第2話 川風

信濃川に沿って、一人の少女が川縁かわべりを歩いていた。

覚束おぼつかない足取りで、川石につまずきながら二度、三度とうつぶせに倒れ、膝小僧にには赤い血糊と青く腫れた痣が痛々しかった。


玄魁は、水遁術すいとんじゅつの修行にと信濃川に潜りを試しに来ていた。


「あの娘、亦転んでるよ。どんくさいなぁ・・・」


玄魁は、修行の甲斐あって既に木猿きざるの地位を獲得していた。

木々を飛び渡る身体能力は、10歳の軽い身体とはいえ、苦しい鍛錬が必要だった。


松の木に飛び移っていた玄魁は、その少女に、何故か兄妹心を抱いた。


「源水師匠に頼んでみようか?」


そう思い、10メートル程の高さはある松の枝木から段を降りるように下の枝へと飛び降りて、倒れて涙を流している少女に近付いて行った。








源水は、武田の密命を受け、上杉方の偵察に向かった。

お供に師範代の三人を連れ難攻不落の城、春日山城に忍び込む。

越後の城、春日山城は要塞と呼ばれるほど堅固な山城だった。

山全体に様々な罠が張り巡らされている。

源水たちは、まずは善光寺へと向かった。

如来様に旅の無事を祈るためである。


「興十、大楽、鍛治。お前たちの命はわしが預かる・・・良いな。」


戦国の世で孤児となった赤子は多い。

その中に何人もの忍者養子が生まれた。

三人は、源水への恩を片時も忘れたことはない。


「承知・・・」


師範代ではなく、裏の者として密命を全うするそれが彼らの使命だ。

善光寺如来はその姿を神々しく威厳あるものにしていた。








「大丈夫かい。」玄魁は、けがをした少女を類稀たぐいまれな力で、グイっと持ち上げ立たせると、懐から、漆の入った小さな蓋つきの皿を取り出し開け、白い粘液を少女の膝に塗り付けた。


「痛っ」


少女は顔をしかめ染み入るのを我慢する。


「名は何てんだい。」


玄魁がその白い歯を見せると、少女は、半ベソをやめ、逡巡してから、にこりと笑い「川風よ」と言った。


少女に話しをよく聞いてみると、名は無いのだそうだ。

川を歩いているから川風かわかぜと名乗った。

そう少女は玄魁に言った。


「何処のうちなの?君の家は。」


少女が玄魁の質問にかぶりを振った。


「家はないの。河原がお家。生まれた時からここで暮らしてる。おばあちゃんと・・・。」


少女の眼は愁いをおびていた。

其れが何を意味するのか、玄魁には分からなかった。


「おばあちゃんは優しいのかい?」


そう臆面もなく聞く玄魁に少女は顔を嫌々するように振った。


「怒りっぽいの?」


もう一度玄魁が聞いた。

すると少女は、「おばあちゃんは、師範代だから厳しいの。」と言った。

その言葉に、玄魁は本能から、敵対心を覚えたが、気を静める術を使い、冷静にもう一度尋ねた。


「何を習ってるんだい?」


少女は、玄魁に向き合い、上段の構えで、「剣術よ。」としっかりした口調で笑った。






源水らは、春日山の麓にいた。


「ここからは地獄の山道が続く。然し、罠は罠じゃ、人が作りしものに過ぎん。どこに罠を仕掛けたらいいか、どこに隠せば分からないか自らに置き換えればわかる、良いな。」


「承知・・・」


忍者は、その存在を悟られては本望を得られない。

影であるが故、人がもくしない場所、事に視線がある。

隠そうとするもの、隠れているものに敏感に反応するのだ。

第一の罠は、両側に大木を据える場所に糸を張り、切れることで矢を放つという基本の罠だった。

源水を含む四人は難なくそれを飛び越えることで逃れた。

然し、敵も馬鹿ではない。

いくつもの仕掛けを組み合わせ、相手を殺しに掛かる。


源水たちは、それぞれバラバラに散って行動した。近すぎず遠からず、そうすることで、一人一人を外観する。


大楽が、蛇に気付いた。

食べ物に飢えていたせいか、その蛇を捕まえて、皮をはぎ、血を啜り身を食べようとその手で掴むと、巻き付く胴体をいともなく持っていた短剣でその首を割いた。

滴り落ちるその血糊を、自らの口の上部から垂らし。

ごくごくと飲み干した。



「うっ・・・か、からだが、身体が痺れるぅ・・・だめだ意識がぁ・・・」


山に仕掛けた罠といっても、物だけではない。

そこにいる生物までもが、罠になっているのだ。

蛇はこの辺りには生息しない、外来種の毒蛇だった。

知識もない生物を食べることは、欲に負けたも同じ。

大楽は、その場に倒れ伏し動かなくなってしまった。



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