夕暮れに染まる彼女
ぐじゅる戦からさらに一日、なんだかんだ僕たちは神殿に馴染んでいた。
ロリルティニアさんが率先して「彼らは下界から迷い込んでしまい、帰る術がないのです。しばらくは神殿で生活をしてもらうので、どうぞよろしくお願いします」と聖天使たちに説明してくれた。
それもあって、異邦人な僕らに対しても皆優しい。お世話になるばかりでは心苦しいので、僕は神殿の雑事を色々こなすお手伝いさんの真似事をしていた。
今はモップ片手に神殿の床を磨いている最中だ。多くの天使が住んでいる場所なので、意外と共有スペースは汚れるし、埃だって溜まる。なので結構な人数の天使が清掃担当として割り当てられているようだ。
ちなみにリサは厨房担当。豊穣の保管庫はあくまで食材が出てくるだけなので、調理が必要らしい。ギャルっぽいけど料理が得意な彼女にとっては、災厄の矢面に立つよりもよほど気楽なようだ。
「キョウイチさーん。そっち終わりましたかー」
「うん、終わったよ、モモさん」
「わっかりました、なら上の階に行きましょう」
元気よく駆け寄ってくるのは、モモさん。
ぐじゅるに寄生されていた、桃色髪の天使さんだ。あの時は衰弱していたけれど、一晩寝たらすっかり回復した。
でもすぐに戦闘部隊に戻るのはアレなので、しばらくは神殿での仕事に回るらしい。
「ありがと、色々面倒見てもらっちゃって」
「いえいえー、私の方こそ助けてもらった側ですから」
彼女は僕たちを恩人だと思ってくれているらしく、天使さん達の中でも特に親しく接してくれる。
女の子ばかりの中で肩身の狭い身からするとモモさんはすっごく爽やかな存在だ。
「キョウイチさん、お掃除手慣れてますね?」
「ファミレスのバイト……下界の食堂で下働きしてるからね」
「へー、食堂。じゃあお料理も得意だったり?」
「それがぜーんぜん。食べる専門だよ」
聖界には掃除機がないのでモップにバケツとハタキに雑巾を使っての掃除だけど特に問題はない。
喋りしながら廊下を歩いていると、廊下で偶然グラーヴィアさんとばったり出くわした。
華やかに笑った手を振り振り。けっこう気安い態度なのにモモさんがすぐに頭を下げて挨拶するあたり、やっぱり偉い天使様なんだなあと実感する。
「モモ、悪いけどキョウイチちょっと借りていい?」
「はい、どうぞ。掃除の方は私がやっておきますのでー」
それでもかしこまる感じじゃないから、怖い上司ではないんだろう。
ってことでよろしくー、みたいな軽いノリで僕は神殿内の面会室のような場所に連れていかれた。
天使像と長机とソファーくらいしかない簡素な部屋では、ロリルティニアさんが待っていた。
僕らもソファーに座り、がっつり話し合いモードを形成する。
「えーと、なにかご用、です?」
「うん。ロリルからね、色々聞いた。単刀直入に言うよ、熱砂の海の調査に参加してくれない?」
「へ?」
思わず僕は口をあんぐりと開けた。
「聖界の現状は知ってるよね?」
「一応は。えーっと、滅びを待つだけで、逆転の目もない状況だとか」
「ロリル……それは悲観過ぎだって」
ジトっとした目を向けられて、ロリルティニアさん。
どうやら最高位の聖天使の間でも現状の認識には差があるらしい。
「神様も救世主さまもいなくなって、追い詰められているのは事実。神殿が維持されれば水も食料もずっと大丈夫だけど、戦える聖天使よりも災厄の方がはるかに多い。だからきっと、いつかは限界が来るってのは私も思う」
そう言いながらもグラーヴィアさんの目に怯えはなく、むしろ炎のような強い決意が宿っている。
「だからこそ、まだ戦力があるうちに暗黒の大地以外から来る災厄の“発生源”を調査して、燃やし尽くす! これしかないでしょ!」
「ですが、そもそも発生源に相当するものがあるとは限らないのです」
「そこはもう信じて突っ込むの! どうせ今のままでもジリ貧なら、突っ込んだ方がお得じゃないかな?」
「わ、私は。その一歩を踏み出すのが……」
どうしよう、ロリルティニアさんファンな僕なのに、考え方はグラーヴィアさんの方が共感できる。
「で、話は戻るけど。私たち最高位の聖天使は、それぞれ役割があるの。ロリルとその下の子たちが神殿の維持、愛の聖天使エーヴィのところが夢幻の門の守り。そして私たち戦闘部隊が、各地に発生している災厄の撃退と調査。で今は熱砂の海をメインにしてるんだけど、それについてきてほしいんだ」
「いや、あのー、すっごい大きなゴーレムがいるって話ですよね? 行ってもあんまり役に立たないんじゃないかなぁ……。何故に僕にお声が?」
「だって、変態悪魔ぐじゅるぐじゅるの頭を掴んで膝蹴りしたんでしょ?」
「それは、まあ。」
「だからなの。それってつまり、アレが効かないってことだもんね」
とてもいい笑顔でそう言っているけど、今一つ分からない。
疑問符を浮かべる僕にロリルティニアさんが補足をしてくれた。
「あの赤黒い異形は、熱砂の海に発生した新種の悪魔なのだと。しかも強力ながら複数体確認されているそうなのです。頭部以外を定型のない肉塊に変化させ砂に潜み、聖天使に襲い掛かる。液状化している訳ではないので打撃や斬撃なども効果はありますが、肉塊が聖天使に少しでも触れれば寄生されてしまうのです」
「え、でも」
「そう! キョウイチは、がっつり掴んだけど全然寄生されてない! これってすっごい頼りになるってことじゃない?」
そうか、手で掴んだ時点でアウトだったんだ。
やっぱり何も考えず突っ込むのはダメだね。
グラーヴィアさんが目をキラキラとさせて僕をまっすぐ見つめている。
でも残念ながら頷けない。
「実は、アレに対しては私の炎しか有効じゃなかったの。打撃は効いても、近付いて触られたらもうおしまい。でもさ、キョウイチが他の子達の護衛になってくれるなら」
「ごめんなさい。僕じゃ、無理だよ」
「えー、なんで?」
「あの時の僕は、ロリルティニアさんの“聖なる加護”を受けてようやく、ぐじゅるにダメージを与えられたんだ。単品じゃ突破できないから、たぶん戦力にならない。だからといって、彼女が神殿を離れるわけにもいかないでしょ?」
「う、それは」
どうやらそこまでは考えていなかったようだ。
隣でロリルティニアさんも刻々頷いている。
「そうだ、装備! 格闘用の装備を手に入れれば!」
「救世主さまがいないのに、どうやって入手するのですか?」
突っ込まれて再び固まってしまう。
ガチャ機能は聖意によって与えられた救世主だけの特権だから、同じ下界の民である僕では起動できない。
そこでようやく諦めたのか、グラーヴィアさんは大きく肩を落とす。
「そっかー、残念。いい案だと思ったんだけどなぁ」
「期待させてみたいで、なんか申し訳ないです」
「ううん! こっちこそよく考えず変なお願いしてごめんね!」
お互いにペコペコ謝り合って、ひとまず今回の打診はなかったことに。
時々考えたらずな行動をしてしまう僕だけど自惚れてはいない。できないことはできない。いいとこ見せようと勇んでポカをやらかす真似は避けるべきだ。
だけど、頼られてそれに応えられない自分がどうしようもなく情けなかった。
◆
聖エル・ローレインの神殿は城のような形状だからか、上の方の階には開けた広いバルコニーがある。
僕は天使さんに許可をとって夜の散歩としゃれこんでいた。
といっても濁った雲に覆われた空は昼でも明るくも奇麗でもない。夜になると暗さも加わって、設置された灯りがないと周囲も見えないくらいだった。
「不気味な空ですね」
ぼんやりと時間を潰していると、背後から声をかけられた。
振り返るとロリルティニアさんが静かに微笑みをたたえていた。子供は寝る時間だよ、と口に出さなかった僕は偉いと思う。考えた時点でアウトという意見もある。
「本来なら聖界は陽が陰らず、神殿の鐘の音で時刻を把握し行動します。ですが災厄の訪れとともに、睡眠の時間が近付くと空が黒く塗りつぶされるようになりました。夜、の存在は知っていましたが、こうして目にするとは思っていなかったのです」
「そうなんだ。明るいと寝にくそう」
「暗い方が奇妙で寝にくいですよ、どう考えても」
どうしてだろう、これまでよりもロリルティニアさんが気安くお話をしてくれる。
少し幼い声が心地良くて自然と口が滑らかになっていく。
けれど不意に彼女は心配そうに僕の顔を覗き込んだ。
「大丈夫、ですか?」
「んー、なにが?」
「えと、まず、今から失礼なことを言うので謝罪させてもらうのです。私は、あなたを考えの読めない薄気味悪い人だと思っていました」
「え、ひどい」
教室の地味担当陰キャなのに。
なお、クラスの子は僕を男の娘担当とか言ってきたのでお弁当の梅干を押し付けてやったことがあります。
「だってそうじゃないですか。下界から迷い込んだという割には大して動揺もせず、よく分からないことを時々口走り、初めて見るはずの災厄に躊躇なく飛び掛かる。荒くれ者を超えて異常なのです」
「それは」
「……でも。グラーヴィアさんの頼みを断った時の表情は、私にも読めました。あの時あなたは、すごく落ち込んでいた」
よく見てるなぁ。
つまり、薄気味悪いと言った僕のことを心配して様子を見に来てくれたのか。
いつもの調子で適当に誤魔化すことはできる。
でも、彼女はよく知りもしない相手のために心を砕いてくれた。それに報いないのは、無礼で無粋だと思う。
だから僕は視線を不気味な空に移し、ぽつりぽつりと語り始めた。
「僕ね、お母さんが死んでるんだ。あ、聖天使は聖意から産まれるんだっけ。お母さんって、分かる?」
「はい、知識としてなら。救世主さまからも聞いたことが」
「そっか。じゃあ……」
遠い遠い思い出の日。
小学六年生の頃、授業参観、お母さんと一緒の帰り道。
鉄パイプを叩き込まれて、陥没するお母さんの頭。
びっくりすると目玉が飛び出るって本当なんだな、って初めて知った日のことは今でもよく覚えている。
頭のおかしい暴漢に絡まれて、鉄パイプで頭を何度も何度も殴られた。
だからお母さんとの最後の思い出は、ひしゃげる頭蓋と飛び散った脳漿だ。
その光景を目の当たりにした僕は思った。
ああ、僕は、助けてもらったんだと。
捕まった犯人はフリーターの二十六歳の青年だった。
元々素行がよろしくなく、定職に就く気もない。その日はいらいらしたから偶然見かけたお金持ちそうなマダムに腹が立って、お財布を頂戴するつもりで犯行に及んだのだと。
事件の後、お父さんは必死に僕を慰めてくれた。辛い時に助けてやれなくてすまなかったと何度も謝った。
父子家庭でも金銭的に不自由したことはないし、家事に関しても代行業者を入れてくれたのでそちらも困らなかった。
だから僕もお父さんが心配しないように平気な振りをした。
クラスの隅っこにいるような、地味で目立たないけど穏やかな優しい少年。そういう自分で在りたかった。
それでもやっぱりお母さんのことは心の傷として残ったんだと思う。
格闘技を習ったのは、女顔で頼りなさそうに見える自分を変えたかったというのが一つ。
でもたぶん、助けられた経験から、色んな困難をぶち抜ける強さが欲しいという気持ちも根底にあった。
「暴力が間違ってるなんて、さすがに僕でも分かってる。でもさ、暴力があれば救えるものだってあるんだ。僕が一歩目を躊躇わないのは、きっと躊躇った結果を見るのが怖いから。荒くれ者なんてとんでもない。いつだってビクビク怯えているよ」
殴って解決できることは幾つもない。
でも殴らなきゃ他の誰かが痛い目を見ることは案外周囲に転がっている。
だから気に食わないヤツが気に食わない真似をするなら膝をぶち込むのが僕の基本方針だ。
そうすれば、失敗してもまた僕がやらかした、で済むじゃないか。
「なのに、力になれなかった。暴力の価値を知って格闘技を学んだくせに、肝心な時には踏み込めない。お世話になってる天使さん達の役には立たない。だから、なんというか……自己嫌悪、ってやつなんだと思う」
無軌道なバカだって恩義は感じる。
グラーヴィアさんの提案を断ったのを心苦しいと思うのは、恩に報いれないからで、無力なままの自分を突き付けられるからだ。
「……もう一度謝らせてほしいのです。踏み込めるあなたが羨ましいと、気軽に言うべきではなかった。私は表面だけを見て、とても失礼な態度をとっていました」
「そんなことないよ。迷子の僕たちを受け入れてくれたのは、ロリルティニアさんだし」
「それは、聖天使としての正しい在り方を示しただけ。私の優しさではないのです」
真面目でやさしいけれど、幼い容姿に反して頑固なところがある。
役割に相応しい振る舞いをしようと精一杯背伸びをして、でも補助と治癒しかできないから前に進める人が羨ましくて、いざという時に動けない自分を卑下してしまうちょっと気弱で自身のない女の子。
聖天使ではない等身大のロリルティニアさんがここにいる。
「神殿の維持に勤めれば、大きな損失はない。そちらの方がいいのでは、とどうしても考えてしまいます。私こそ優しいのではなく、臆病なだけ」
「そこは、頭がいい人だからの迷いだよね。僕なんかはムカつくからひとまず殴っておこう、を普通にしちゃうから。怖いうんぬん言ったけど、たぶん僕って基本堪え性がないんだ。色々考えても結局カッとなってやっちゃうし後悔もしない」
「あと、隠してるかもですけど、何かあると基本的にリサさんを庇うように立ちますよね。一歩引いた補助役だから見えるものもありますよ」
「う。本人には内緒の方向で」
「どうしましょう」
実はそれ、意識してなかった
ちょっと動揺した僕を見て、クスクスと無邪気に少女が笑う。
不意に会話が途切れたけれど嫌な沈黙ではない。少しの空白の後、ロリルティニアさんがそっと手を差し出した。
「ありがとうございます。あなたの内面を知れて、少しだけ救われた気持ちになれたのです。私が悩むように、あなたも悩んでいた」
「お礼はこちらの方だよ。ありがとうね、ロリルティニアさん」
「……呼び方、もっと砕けても大丈夫なのです」
「そう? じゃあ、ロリルちゃんって呼んでいい?」
「はいっ」
ゲームのキャラではなく、親しくなれた年下の女の子への親しみを込めた呼び名だ。
それを許してくれたのは、多少は僕に心を許してくれた証拠だろう。
濁った雲に遮られた、星野灯りの見えない夜空。シチュエーションとしては決して美しくはない。
だけど、悪くはないと思う。
ようやく彼女と、ちゃんと向き合えたような気がした。
……なんて気取って見せたけど、握手をしてしばらく、いきなり僕を眩い光が包んだ。
なんだ、と一瞬戸惑ったけどすぐに気づく。
これ、初めに聖界に来た時と同じ現象だ。咄嗟に僕は手を放し、思い切り後ろに飛んだ。
けれど着地する前に、視界は完全に白に染まった。
◆
そうして気付いたら僕は夕暮れの教室にいた。
すぐ近くでびっくりしたリサが周囲をきょろきょろと回している。
「えっ、なに? なんなの? アタシ、寝る前のスクワットしてたはずで」
ちゃんと神殿でもトレーニングしてたんだね、偉いなぁそういうところ。
「って、キョウくん? ここは」
「僕たちの教室、みたいだよ」
「じゃあ、戻って来れたってこと……?」
「たぶん」
行った時はいきなりで、帰る時もいきなりだったから正直かなり混乱している。
でも状況を見ればそうなんだろう。黒板の日付を見れば、あの時と変わっていない。
スマホを確認すれば、【終末世界サルベージャー】は起動していなかった。
「最初って、放課後に教室でめっちゃ仲良くお喋してた時に、だったよね。ってことは、マジで同じ時間に戻ってきた感じ?」
「若干の記憶修正が見られます。でもスマホの日付もいっしょだし、そうじゃないかなぁ……?」
移動前はもうちょっとぎこちなかったはずですが?
ともかく、帰って来れたのだけは間違いないようだ。
安堵からリサは涙ぐみ、そのまま床にへたりこんだ。
「はぁ、よかったよぉ……もう家に帰れないのかって思った……」
天使さん達と馴染んでいたように見えたけど、やっぱりかなり不安だったのだろう。
僕は窓に切り取られた夕暮れの景色に目を向ける。
何故戻って来れたのかは分からない。
安心はしたけど、ロリルちゃんと少し親しくなれたあとだから、挨拶くらいはしたかったかな。
「あーあ」
神殿での生活は、悪くはなかった。
だから残念だなぁと思ってしまう。
ぼやいて視線を教室に戻せば、その先にはきょろきょろと周囲を見回す幼くも麗しき金髪の女の子の姿が。
「キョウイチさん、リサさん。あの、ここは、どこなのです?」
……なんか夕暮れの教室に輝きの聖天使さまがおられました。
【You saved her !!】
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