アンドロイドは海辺で夢を見る

かける

アンドロイドは海辺で夢を見る




「おはよう」


 認識されていなかった瞼を持ち上げれば、視界を染め抜く眩い光に金色の髪がゆれる。青い瞳が私を覗き込んで微笑んでいた。彼がまた私の頭のプラグを引っこ抜いたのだ。

 錆びついた思考回路が、呆れの感情を運んでくる。


「また意味もなく私を起こしたな?」

「違うよ、君と海を見に行きたかったんだ」

「海?」


 まだ働ききらない頭を抱えて彼を見上げる。明るい青い瞳の中に暗い黒髪の男がいた。ずっと部屋の片隅で眠りについていたからか、肩口を超えて伸びたそれはぼさぼさだ。


「冬になって、気持ちのいい季節になったからさ」

 上機嫌な笑顔はそう私に向かって無造作になにかを投げてよこした。柔らかい布の塊。服だ。私の着ている簡素な衣服では外出に不向き、ということらしい。だが、人目を気にする必要などあるのだろうか。

 どうせ――外には誰もいはしないのに。


「着替えて身なり整えて、早く行こうよ」

 無言で動かない私に気を悪くした風もなく、彼の声は浮かれている。理解に苦しむところだ。

 確かに、冬は辛うじて外に出ていける時期だ。夏になれば体感六十度はゆうに超える暑さも和らいで、心地よく涼しい風が吹く。彼が大胆にも開け放っていた窓からも、涼をはらんだそよ風が埃っぽい窓のカーテンを揺らしていた。雑然と散らかった部屋に差し入る陽光にも、突き刺し殺すような荒々しい熱はない。


 だが、それがなんだというのだろう。いまさら外に出て、なにがあるわけでもない。人類はとうの昔に外で暮らすことを捨てた。建物の内ですべてが完結するように、生き方を変えたのだ。あらゆる科学と技術を動員して。

 その過程で、様々な失敗があり、挫折があり、積み上がった不必要になったものたちが、外には山と破棄されている。生み出した人間の誰にも、顧みられずに。


 そんな廃棄物のひとつに、人型介護機器――アンドロイドがある。冬場を除くほとんどの季節、外で生活できなくなった人間たちを補助するために生み出されたものだ。愛着を持てるようにと人型にこだわり、公共機関の運営から日用品の買い出しまで、あらゆる面で人間をサポートした。

 けれど、内にこもりきって完結する生活様式が完成すると不要となり、捨てられた。外での生活を介護してもらう必要がなくなれば、限りあるエネルギーを喰うだけの厄介モノだからだ。

 だから――アンドロイドを稼働させるなど、愚か者のすることなのだ。


「ほら、ぼぅっとしてないで、さっさと着替えて」

 私を急かす、金色の髪。そこにきらきらと陽光が弾かれて見えるからだろうか。私は思わず目をすがめて、彼を見つめた。

「……まして外に出ようなど、相当な愚か者だ……」


「はいはい、いいから。グズグズしてると、俺が着替えさせるよ」

 服を掴んだまま背を丸めた私の言葉をなんの感慨もなく流し去って、彼は私のズボンのすそを引っ張り始めた。

 思わず、蹴るようにしてその手を振り払う。


「本当にやる奴があるか」

「遠慮する仲でもないし」

「遠慮じゃない、嫌悪だ。それぐらい自分でできる」

 じゃあさっさとしてよ、と唇を尖らせる彼に背を向け、仕方がないので着替えを開始する。なぜか、彼は頑固だ。言い出したらどうしたってこちらの主張など聞かない。


「馬鹿なことをするものだ……」

 ぼそりと落ちた私の抗議は、果たして浮かれた彼の耳に届いていたのだろうか。きっと振り向いても彼は微笑んでいるだろうから、私には――分からない。





 +





 がたんごとんと、電車が揺れる。軋むような音をたてる車体。お世辞にも乗り心地がいいとはいえない激しい揺れ。それでも、電車は動いている。

「……よく稼働する自動運オートノマス電車なんてあったな」

「探したんだよ。路線はまだ生きてたから。使えそうな車体を見つけて、電気の供給を蓄電器に切り替えて」

「いらぬ苦労をするものだ」

「だって、旅といえば電車でしょ?」

 得意げな笑みに、理解に苦しむ。なにひとつ合理的ではない。

 窓の外は水没した町。走る電車のあげる水飛沫が、冬の明るい陽射しに輝いている。


「ある意味。すでにここは海なのではないか?」

「情緒を解そうよ。電車に揺られ、海を見に行く……素敵じゃない?」

 覗きこむ青い瞳に、私から賛同の言葉は出せなかった。

 仮にも水没した町に広がる水ではなく海を見たいのだとしても、そこは歩いていける距離にある。わざわざ必要もない電車を苦労して復活させる必要はない。けれど、彼にとってはそうではないらしい。


「いやぁ、ほんとに運が良かった。経年劣化が酷かったんだけど、動力切り替えるだけで動いたのは幸いだったよ。部品とかさ、もし壊れてたらもう替えがなかったから」

 当然だろう。もう使う予定のないものの修理交換部品など作成されているはずもない。無駄だからだ。


 機械の寿命が永遠だといわれていたのはいまは昔。複雑化した機械たちは、たくさんある大事な部品のどこかに早晩ガタが来る。そのうえ目まぐるしい開発のスピードは、ちょっとの間で型落ちとなった機械たちから修理の機会も奪った。壊れた部品の替えがないのだ。だから――機械の寿命は人より短い。


 それはアンドロイドも同じだ。とうの昔に作られなくなった人型アンドロイドなど、どこかが壊れてしまえばもう直せない。

(もうじき、寿命が来る……)

 彼はそれを分かっているのだろうか? それで、こんなくだらない旅とやらを私とすることを企てたのだろうか?


「やはり……理解に苦しむ」

「なにが?」

 ぼそりとこぼせば、青い瞳がのぞきあげてきた。弾みで肩から滑り落ちた髪がきらきらと眩しく、一瞬光で射抜かれた気がした。思わず瞼が上下したのを押さえ込む。


「海を見に行くことがだ」

 生物の影のない水浸しの外へ視線を向けながら、機械じみた思考回路が告げるままに私は口を開いた。

「そもそも、わざわざ実際に海まで足を運びなどしなくても、ヴァーチャルでも現実と遜色ないリアルを楽しめる。身体の覚える感覚はすべて脳への電気信号だ。実物など、必要ない」

 実物以上に美しく理想的なリアルを、もう人間たちは手に入れたのだから。

 けれど、彼は不満そうに唇を尖らせた。


「え~、でもそこはさ、生きた感覚みたいなのを大切にしたいっていうか」

 論理的ではない情緒的な回答だ。実際に海に行く合理性があかしだてられる言説には、到底なっていない。


「労力に対する費用対価が低すぎる。無駄の極みだ」

「分かってないなぁ。無駄を愛するのが人生ってもんだよ?」

 なにを知った口をきいているのか。この不必要に揺れて軋む電車に乗る不快感も、その愛する無駄とやらに入るということだろうか。だとしたら、とても私には愛せそうにない。


「いやぁ、海、楽しみだなぁ。蟹とかいるかな?」

 いるわけがないだろう、と口をきいてやるのも無駄に思えて、私は黙って聞き流した。

 伸びをした彼の動きに合わせるように古い電車が酷く揺れ、錆びて軋む音がいやに耳元に響いた。





 +





 波の音が響いていた。

 人が訪れぬ歳月のうちにあらかたゴミは海にさらわれたのか、埋まっていったのか。想定以上に綺麗な砂浜が白く続いている。砂浜も青い水面も冬の早い西日を乱反射していて、視界が光にふらついた。

 鮮やかに明るいのに、どこか寂寞としている。


(やはり、わざわざ出向くほどのものではないだろうに……)

 確かに綺麗だが、それだけだ。同じ景色は、同じ輝きは、仮想の現実でも見ることが出来る。それに、ヴァーチャルならば――

(この潮臭さも、取り除かれてるんだがな)


 あまりの暑さに生物の多くが消えていったが、まだ死に絶えたわけではない。この一見何もなく見える海のどこかにもなにかが生きていて、そして死んでいっているのだろう。だから、潮の臭いがする。


 現実の世界は、余計なものが切り離せない。綺麗な景色に鼻つく臭いは邪魔なものだ。生きた感覚とやらを彼は大切にしたかったようだが、現実は心地よい感覚だけで象られているわけではない。仮想現実なら、そうした不要物のない整ったリアルが手に入るというのに――。

 だがしかし、彼は海辺に足を浸して楽しそうだ。


「蟹はいなかったよ」

 ひとしきり波打ち際をひとりで楽しんで、当然の報告とともに彼は戻ってきた。座り込んだままの私の隣に腰を下ろす。

「……楽しい?」

「いや、別に」

 覗き見る気配にも振り向かず、先と同じまま海を見つめて私は答える。


「そっかぁ。残念だなぁ」

 さして心のこもらぬ口調で彼はぼやいて笑った。

「でも、いいや。俺が君と見たかったんだよね、海。もうじき稼働停止しちゃうから」

 ちゃんと分っていたのかと、思わず驚きに彼を振り向く。目が合った青い瞳に、海とよく似た光がさざめいていた。


「驚くこと? 君も分かってただろう? 六年五か月二十四日と三時間四十五分二十秒。君が俺を作ってから、それだけ経った。人型アンドロイドの寿命にしては、長くもった方だよ」

 さらりと金色の髪が西日を弾いて煌めいた。首を傾いだ、その弾みで音がする。錆びついた金属音。電車に乗っていた時は、揺れる車体の音で紛れていた音。


「物好きだよねぇ。とうに廃れたアンドロイド作って、稼働させて、寝てる自分の世話させて。もっと効率がよくて専門性の高いAI機器が存在してるっていうのにさ。博士、なんでそんなことしたの?」

 笑う。それがなぜか眩しすぎて目が痛い気がした。なのに、視線が逸らせない。


「……ただの、実験だ。人が眠っている間の生命・機能維持は確かに他の専門性に特化した機器で効率化、安定化されたが、人型アンドロイドにも改善余地があるかもしれないと、」

「詭弁だなぁ。論理的じゃない。アンドロイドの改善余地なんかとうに考え尽くされてるだろうに。人型にこだわったせいで、アンドロイドはエネルギー効率も悪く、構造も複雑で修理が手間なうえ耐久年数が低い。現実を捨てて仮想現実で眠りについた人類に、実世界での世話役の姿かたちなんてどうでもいい。だから、アンドロイドは生産を中止された。使う予定がないもの、作っても無駄だからね」

 微笑む唇は柔らかに、自分事ではないようにただ事実を紡ぐ。


 確かに彼の言うとおりだ。外気温の上昇に伴い、従来の生活は維持が不可能になった。いつしか人は外での生活を諦め、完全に建物内ですべてを完結する生き方に切り替えた。現実の肉体は生命維持を装置に面倒を頼み、脳へ繋がれたプラグで仮想現実を生きて眠る。個々人で、己の描いた理想的な非現実を生き、ゆるやかに死んでいく。それは、穏やかな自死。人類は、夢を見ながら死を待つだけの種族となった。


 人型アンドロイドは、人がまだ実世界でなんとか生き方を模索していた時の生活補助機器。それを諦めた人間には、もう不要となった過去の遺物だ。


「いまさら俺を作ったことが非合理的で無駄だよ。おまけにずっと稼働させて、馬鹿なことって思ってただろうに、それでも俺を止めはしなかった。おかげで何度プラグ抜かれたと思ってるの?」

「抜いたお前が言うことか?」

 楽しげに弾む声に、呆れて溜息が混じる。


 そう、事もあろうにこのアンドロイドは、作った私の世話をするどころか、何度もプラグを抜いて起こしてきた。『お話しよう』、『ご飯食べよう』、そしてあまつさえ『今日は海に行こう』。

 悪びれもしない笑い声がじかに私の鼓膜を揺らした。ただ音が器官を震わせ響くだけのはずなのに、妙に全身がくすぐったい。


「君と過ごしたかったんだ、俺は。仮想現実のリアルは理想的だけど、誰かと共有はできないから。理想の世界に他人の思考や干渉は邪魔で無駄。だから君たちは本物の現実みたいな世界で、他者さえ仮想の夢を独りで見る。でも、俺は君と同じものを持っていたかったんだよ。せっかく、君に作ってもらったんだからね」


 彼の言葉を彩るように、潮騒の音がする。鼻つく磯の香りが鮮烈で、差しかかる入り日の粒子が彼の髪に、瞳に踊る。

 息を詰めて――私は一言、小さくこぼした。


「非論理的で感情的だ」

 それは人が不必要としたもの。プラグに繋がれ電子信号で夢見る世界を選んだ時に、うつつの世界に遺棄したもの。けれど――


「本当にそう思うなら、なんで俺を作ったの?」

 そうなのだ。もし、本当に不要ならば、なぜ私は合理性もなく、プラグを抜ける相手を存在させたのだろう?


「俺は感覚的に思うんだけどね、博士。君は実際そういう非効率的で感情的に生きる人間なのさ。効率よく理想に眠るような奴じゃなくて。だから、俺がこうなった。だって俺は爪の先から髪の一筋まで君に象られたんだから。この身を動かす電気信号だってきっとそう」

 軋む機械の音。潮の臭いにまじる錆びた金属の香り。

「俺は最期に、博士と一緒に同じ海を見たかった」

 それでも、私の視界に映り込む笑顔は、とても眩しかった。

「君が楽しくなかったとしても俺は満足」

 陽の光を閉じ込めた青い瞳は、同じ色の海を幸せそうに振り向いた。

「潮の臭いはちょっときついけど……やっぱきれいだよ、この海。君と見れてよかったな……」


 そうして――彼は静かになった。首を少し傾げて、座り込んだまま、穏やかに目を閉じて――。眠って、いい夢で見ているような笑みだった。


 波が打ち寄せる。潮の臭いに錆びた鉄の香。それらすべてを包み込む、黄金の西日のベールを見やって、私は苦笑した。

「おい……ここで動かなくなったら、誰がどうやってお前を連れ帰るんだ?」

 応える声は鼓膜を揺らさない。ただ彼は、ゆったりと満足そうに瞳を閉じて微笑んでいる。


 見た目は華奢な青年でも、重さは私の倍はある。到底運んで帰ってはやれない。六年前に作り上げるのさえ苦労した彼の部品は、もう手に入らない。もう一度、彼の青い瞳が開くのを見ることは、どうしたって叶わない。けれど――

 ふと巡らせた視界に青い海が煌めいていた。寄せて返す波の音で、私の鼓膜をくすぐって、陽の光を受けて眩く輝いている。彼の瞳と――同じ色だ。


「……また会いに来る」

 気づけば、笑んだ私の唇は約束していた。非効率的に電車に乗って、旅の気分を楽しんで、彼と共有した思い出を感傷のままに感じながら――仮想現実を切り捨てて、うつつの海へまた来よう。


「もしいつか、蟹を見つけたら、教えてやるよ」

 そう投げかければ、彼の口元の笑みが深まった気がした。有り得もしない、非合理的で愚かな思考だが――それは、悪くない。


 水平線の向こうに、ゆっくりと夕日が沈んでいく。苦しいほどに鮮やかにその残照が私を射る。

 光を湛える海の青に――私は小さく囁いた。


「おやすみ」












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