第72話 待ち焦がれて
「美悠紀はどうなんだ?」
三井奈央が栞に聞いた。部室である。
結局グリー学園高校は埼玉栄光高校に6対2で敗れた。この2点はチーム一丸となってもぎ取った勲章だ。
百合子もよく投げた。代わりは誰もいないなかで6点で押さえたのだ。
そして部員たちは誰ひとり美悠紀を恨んでなどいない。
むしろ美悠紀の復帰を心待ちにしていた。
「まだ全然・・・。学校にも来ていない」
「会ったのか?」
「この前家に行ってみたけど・・・会えなかった。お母さんに聞いたら茫然自失っていうの、そんななんだって」
「ボウゼンジシツ? 聞いただけで酷い状態みたいだ。よっぽどショックだったんだな」
「青木君とは浅からぬ縁があったみたいだから・・・」
栞が三井だけでなく部室にいる皆に聞こえるように話し出した。
「美悠紀の亡くなったお父さんが高校球児だったこと。優勝ピッチャーだって事は前から聞いてたんだけど」
すると由加里が突然声を上げた。いたのか?という感じだ。
「え? そうなんですか? どこの高校なんです? 私は聞いてないです」
「ああ、由加里が加入する前だったかな。静岡第一実業高校だよ。それで、青木君のお父さんも高校球児で広島赤嶺高校だって」
「あ、凄え!」
パソコンをいじっていた由加里が声を上げる。
「静岡第一実業、略して静一実業が初優勝した時のピッチャーだ。カミソリシュートで評判だったって」
「そのシュートを復活させた訳か、美悠紀は。やっぱり凄えな」
と三井。
「で、静一実業と広島赤嶺が総合運動公園の野球場で一度だけ試合をしてるそうなんだ。もちろん今の球場じゃなくて、昔あそこにあった
栞が説明を続ける。
「記念の石碑があるらしいよ。あそこに。小さいヤツだって。その石碑を調べるためにいつかの日曜日美悠紀と青木君は誰かを訪ねたらしい」
「それで仲良くなったと・・・」
三井が頷く。
「いや、もう少し前から知ってたみたいだ」
「美悠紀もやるね」
「あ、真藤浩次郎ってピッチャー、結局甲子園優勝してそのまま引退してる。なんで?」
また由加里がひとり騒ぎ出した。
「そうなのか?」
「昔の新聞記事に出てる。ドラフトの目玉だったのに、ドラフト断って、大学野球にも社会人野球にも行ってない。病気かな? その青木さんと同じような・・・。それで美悠紀さんのショックも大きいとか」
「由加里、勝手な憶測を言うな!」
栞が由加里を叱る。
甲子園の優勝投手真藤浩次郎のことは美悠紀からよく聞いていた。美悠紀も父が野球を辞めてしまった理由を知りたがっていた。
でも野球を嫌いになった、あるいは自信を無くしたというのはあり得ないと思う。これは美悠紀も同じ考えだ。
とすれば原因は病気か怪我かということになる。だけど、怪我なら周囲に分かるはずだ。今回青木君のような病気のことを知ると真藤浩次郎もまた病気だったのではないかと思うのだ。
美悠紀の祖父母は既に他界しており今となっては真藤浩次郎の病気について知るすべもない。本人が隠してきた以上これは永遠の秘密なのだろう。
「すみません」
由加里はしおらしく頭を下げ、パソコンを閉じた。そして改めて、
「早く復活しないかなあ・・・美悠紀さん」
と呟く。
「うん」
「早く元気になって・・・」
「美悠紀がいないと野球が面白くないよ」
栞が涙を拭って言った。
だけど、美悠紀は立ち直れなかった。
美悠紀の時間は真夏のあの日から止まったままだ。
それでもあの日から3ヶ月が過ぎて今では街はすっかり晩秋の気配である。
以前と比べれば母と話しをすることも多くなった。でも急に塞ぎ込み、涙を溢れさせることもしばしばだ。
野球部の仲間たちが何度か家を訪ねたが、結局まだ誰とも会っていない。
「美悠紀さん、このまま学校辞めちゃうんじゃ・・・」
花蓮が呟くように言った。美悠紀はまだ学校にも出て来ない。
「学校からは単位不足で落第の警告が出たみたい」
「なんだよ、それ。理事長だってよく分かってんだから、大目に見ろよな」
みずえが噛みつく。
「それにしても、もう3ヶ月経つよ。美悠紀さん、大丈夫なのかな」
佳恵が言った。
皆美悠紀を案じ続けているけど、何も出来ないのが悔しかった。
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