第57話 好待遇の遠征
グリー学園高校は2回戦のため広島に向かう。これ以降決勝まで宿舎暮らしだ。
宿舎は広島のビジネスホテルを借り切った。
全員にシングルの部屋が用意される。また、食事もホテルが用意する。
こんな好待遇には理由があった。仁藤慧である。広島赤嶺高校OBの仁藤は東京で旅行代理店を経営していた。従業員180人の大きな会社である。
美悠紀が高校女子硬式野球選手権に参加し、既に1回戦を突破した事を知ると、仁藤は酷く喜んだ。真藤君の娘さんが甲子園を目指している。応援しないわけがないと言うわけだ。
それで
更に期間中の練習場に母校である広島赤嶺の野球部グラウンドを貸して貰えることになった。
「そんなことまでしていただいて・・・」
美悠紀の母が仁藤に電話を掛けると大歓迎を受けた。是非東京へ来て欲しいとのことだ。
「少しですが利益も出てますし、そう気を遣わないでください。あの時何もして差し上げられなかったことへの償いです」
と仁藤は言い切った。母は電話口で泣いていた。
こうしてグリー学園高校女子野球部は初参加ながらかなり恵まれた環境で予選2回戦を迎える。
「今日も理事長は来ません。文科省の何とか分科会に出席しています」
選手一同を集めて佐藤が訓示する。
「今回から私がベンチに入ります。いいですね?」
「ベンチに入って何するんですか?」
と花蓮が意地悪なことを言う。
「何もしません。いつも通りです。野球のことはよく分かりませんから。ただ問題が起きた時、練習試合の時みたいなね、その対応に当たります」
と佐藤は開き直った態度だ。だが、その方が選手たちにはありがたかった。不測の事態には対応するが、野球は全て任せて貰える。
「よし、行こう!」
栞が皆に声を掛けてバスに乗り込んだ。
「今日の相手はどうなの?」
美悠紀である。由加里はパッドを片手に説明した。
「打線ですが、全打者の平均アベレージが2割5分2厘。クリーンナップ3人の平均が、2割9分1厘です。まあ、美悠紀さんの球は打てませんよ、この連中には」
「そういう思い上がりが死を招くのよ」
佐藤秘書が口を出した。
「あれ? 野球には口を出さないのでは?」
と由加里が凄む。
「野球の事じゃありません。人としてどうかと言うことです。謙虚になりなさい」
佐藤秘書が由加里をたしなめた。
「それで?」
「あ、はい。ただ4番の牛宮という選手、1回戦でホームランを2本打ってます。いずれもスタンドインなので、多少注意を」
由加里のコメントだ。
「ああ?! 侮れねえじゃねえか!」
と神谷が横から大声を上げる。
「相手のことは舐めない。私たちの野球をする。大胆に、そして繊細に」
美悠紀が唱えた。するとバス内はうおーという歓声に包まれた。
「細かな各選手の特徴と1回戦の戦略的特徴はリポートにまとめてあります」
由加里はそう言ってリポート紙を配った。
学校法人仙台高校の1番は小柄な左バッターだ。ベンチを出る前に監督から入念な指示を受けていた。
バッターボックスに入ると最初からバントのポーズ。
「うぇえ・・・ボール当てゲーム?」
栞が心の中で選手を
一方美悠紀は父の青春の一端を知り、爽快な気分で試合に臨んでいる。
「プレイボール!」
の声とともにワインドアップの動作を始めた。ゆっくりとした動きだ。
栞と顔を見合わせアイコンタクトをするが、サインの交換は相変わらずしていない。
美悠紀は大きく左足を踏み出すと素早く腕を振り下ろした。
ビュッ!
ズバッ!
という一連の音とともにボールはインコース低めに決まった。バッターはバントのポーズでこれを空振っている。
ストライク!
美悠紀の第2球。同じようにワインドアップから長い腕を振り下ろす。これまた内角低めに来る。だが、今度はチェンジアップだ。
バッターはまた空振りだ。
ストライクツー!
バッターはベンチを見た。何やら複雑なサインが送られている。
一応サインの解読も由加里に任せてあるが、ここまで複雑だと解読はほぼ不可能だ。
「よく分かるなあ、あのサイン」
栞は次はさすがに強打に切り替えるだろうと考えた。それで外角に構える。
美悠紀の3球目はアウトコース高めにフォーシームだ。バッターはまたバントポーズのまま空振りした。
「なんだよ、当てるだけかよ。どういうサインなんだ」
栞が悪態を突いた。心の中で。
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