第36話 事故か故意か
「東海学園のデータ野球もたいしたことありませんね」
「あの子たちよくやったわ」
「AIで分析とか言いながら結局今までの経験と勘に頼った分析なんでしょう。がっかりです」
「後1回ね。いい練習試合になった」
スタンドでは山辺理事長と佐藤秘書が話していた。
観客は減っていない。男子部がボロ負けしたのを見ていた人がほとんど残っている。
そしてこのまま2対0で勝つことを皆祈っていた。だが、3塁側ダッグアウト上の青年はひとり憂鬱な顔をしていた。
明寺ボールパークに夕闇が迫っている。
だいぶ疲れてきた美悠紀だったが、まだまだ行けると自信を持っていた。
マウンドに上がると場内から一斉に拍手が起こった。ドーム球場などのように反響するわけではないが、その響きはうねりとなって市民球場に渦巻いている。
最終回1番バッターはピッチャーに変わって代打が出てきた。暗い顔をした少女だ。ヘルメットを目深に被り顔色も窺えない。
大歓声を受けて美悠紀は第1球を投げる。
スパン!
小気味よい音を残してボールが栞のミットに収まった。バッターは元々短く持っていたバットを更に短く持ち直す。
美悠紀はアウトコースへ1球外した。するとそのボールを打ちに来た。短く持ったバットの手を滑らせる。バットはぐいっと伸びてアウトコースの外した球に掠った。
ファールだ。
「あいつ何する気だ・・・嫌な予感がする」
サードの百合子が呟く。
3球目。今度はインコース低めで、打たせることにした。栞が珍しく首を振ってアウトコースへ構える仕草を見せた。
栞はこのバッターに不吉なものを感じていた。外そう、そういう意味だった。
だが美悠紀はインコース低めに放った。その球がやや真ん中に入る。
バッターはそのボールを叩いた。
「美悠紀、逃げろ!」
百合子が叫んだが、歓声に掻き消されてしまった。
ボールを叩いたバットが手を離れる。元々強く握っていなかったのだ。バットは掌を滑り抜けて美悠紀に向かって飛んで行った。
「美悠紀、手を出すな! 逃げろ!」
百合子はもう一度大声で叫びながら猛然と美悠紀に向かって走り込んで来た。
ボールは力なくふわりと美悠紀に向かってパスでもしたように飛んできた。美悠紀は捕球すべく手を伸ばす。
だが直ぐにバットが自分に向かって飛んで来るのに気が付いた。
百合子がピッチャーとキャッチャーの間に浮いていたボールをはたき落とすと、バットにむかってダイビングを試みる。
だが勢いのあるバットには百合子の手が届かない。うつ伏せに倒れ込んだ百合子が顔を上げると、バットは美悠紀の左足向こう脛を直撃していた。
ギャッと叫んで美悠紀が転倒する。マウンドから転げ落ちて行く。
美悠紀は左足を抱えるようにうずくまってしまった。その間にバッターは一塁を走り抜けていた。
騒然となる場内。
「やりやがった!」
佐藤秘書が大声を上げて立ち上がった。
「理事長、行きましょう!」
佐藤は山辺理事長を引き摺るように通路へと向かった。
「危険行為じゃないですか!」
栞が主審境戸に申し立てた。境戸はセーフのジェスチャーだ。
バッターは間違いなくボールを打っている。その後バッターの手を滑り抜けたバットがピッチャーを襲った。これは不可抗力だと考えられたからだ。
「故意にバットから手を離した!」
栞が食い下がる。だが境戸の判定は覆らない。
恐らくは百合子も感じた悪意を栞も漠然と感じていた。
だがそれを証明する証拠はない。バッターは確かに打撃しており、バットが手を離れたのは偶然かもしれない。
美悠紀はマウンドの下でうずくまったままだ。内野手が美悠紀の元に駆け寄っている。
「タイム!」
抗議を諦めて栞は美悠紀の元に走り寄る。
「大丈夫か、美悠紀」
「栞さん、今のはわざとだ!」
百合子が栞に言った。
「分かってる、分かってるが、どうにも出来ない」
栞が答えた。
するとレフトから駆け戻った神谷が境戸の元へ行こうとした。
「ぶん殴ってやる!」
それを慌てて栞が押さえる。
「やめろ、止めろって。それより担架だ、いや救急車を!」
栞がそう叫んでも部員9人のグリー学園ベンチには誰もいない。監督は栞であり、部長は観客席だった。
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