第32話 男子部惨敗

「美悠紀! どこ行ってたの、遅いよー」

 スタンドへ戻った美悠紀を栞たちが迎えた。

「どうした? 何かあったの?」

 栞の問いかけに美悠紀は曖昧な返事を返す。

「やっぱり、こりゃ悲惨だね」

 隣に座る三井がバックボードを指差す。1回の表を終わって6対0となっていた。

「6対0!?」

「いきなり打者一巡の猛攻だよ。ホームランも2本。村木が1回持たずにノックアウトで2番手安西も火だるまってヤツ?」

 岡田義郎キャプテン率いるグリー学園高校男子野球部はコテンパンにやられていた。もはや試合にならないと言うべきか。

 救いは岡田たち全員が坊主頭にしていたことだ。いや、救いでも何でもない。見方によっては皮肉かもしれない。

 東海学園の選手たちはほとんどが調髪だった。青木もそうだが中には結構長い髪をしている選手もいる。時代は変わり出している。

「岡田もさ、結局田野中監督の亡霊見ちゃってんだろうな」

 神谷が言う。

「やっぱり甲子園は坊主頭でって決めちゃってさ」

「これ、5回コールドは間違いないでしょ。早めにウォームアップした方がいいな」

 神谷が言った。1回が終わっただけで、岡田野球部は女子部に見放された。


 新制グリー学園高校男子野球部は34対0で敗れた。5回コールドゲームである。それは野球の試合というレベルではなかった。

 戦力的には何も変わっていない。司令塔がいなくなった、というより人形使いがいなくなったからだろう。

 選手ロッカールームではあちこちで啜り泣く声が聞こえた。

 あまりにも惨めだった。甲子園大会地方予選1回戦負けが続いていたが、こんな酷い負け方をしたことはなかった。コールド負けもなかったのだ。

 初めての屈辱的な敗北だった。しかも東海学園は主力を出さず2軍中心の編成だった。

 岡田義郎キャプテンはさっきまでグラウンドで気丈に振る舞っていたが、今はロッカールーム外の廊下で1人目を真っ赤に泣腫なきはらしていた。

 そこへ下山田総務部長が現れた。

「岡田君、山辺理事長からの伝言を伝えます」

下山田はキャプテン岡田に近寄るとそう告げた。

「ロッカールームの掃除を忘れないように。月曜日に今日の試合の反省点と対策をリポートにまとめて提出するように、ということです」

 下山田がいたって事務的に伝えた。さすがの岡田も赤い目で下山田を睨みつける。

「私が伝言を伝えに来たのは、山辺理事長の武士の情けです。理事長は観客席に最初から居られた」

「お願いです。誰か監督を招聘してください。僕たちは強くなりたい」

 岡田が声を振り絞って下山田に訴えた。

「まだ誰かに頼るつもりですか? この結果を招いたのは他でもない君たち自身じゃないですか。理事長が言ってました。あの子たち、試合に負けて泣いた事なんて一度もないんじゃないの? それは自分たちでやってないからです。今度の敗戦の涙を次に繫げて欲しいって、ね。では」

 そこまで言うと下山田は通路を戻っていった。岡田は拳をきつく握り締め、下山田の背中をじっと見ていた。


 1回の表。グリー学園高校女子野球部が守備に着く。マウンドには何か清々しい気持ちの美悠紀が立っていた。

 本当に野球の試合が出来る、美悠紀には感慨深いものがある。

 栞に誘われて河川敷でキャッチボールを始めて。女子硬式野球部を作って。ここまであっという間だった気がする。

 そして母との関係でも、野球という共通の話題で知らなかったことを色々知った。早くに亡くなった父が高校球児だったことも。

 美悠紀は緊張と言うよりワクワクで胸が躍っていた。

 栞が座るとミットを構える。いつも通りど真ん中だ。どこへ投げるかは美悠紀の自由である。どこへ投げても必ず取ってくれる。美悠紀は安心していた。

 美悠紀は栞を正面から見据えた。

「ふふ。こっちの方がお互い顔が見れていいね」

と美悠紀の心の声。

「今日はいい顔してるじゃない。どこへ投げんの?」

栞が同じく心の声で返す。

 東海学園女子野球部の先頭バッターはポニーテールを肩まで垂らした子だった。

 バットを短く持ち、しきりに立ち位置を気にしている。ようやく場所が決まるとスパイクを地面にめり込ませるようにして足場を決めた。

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