第29話 因縁
ほとんど何も話さなかった。最寄り駅を降りても再度礼だけ言うとひとりで走り出していた。
「またね。頑張って!」
後ろから彼の声が聞こえた。振り返って、
「今日はありがとう!」
そう叫べれば良かったが、結局美悠紀はそれ以上何も言えずに、後ろを振り向きもしないで逃げて帰って来た。
母がまだ帰っていなかったのがむしろ幸いだった。頬が火照ってしょうがない。
美悠紀は何も食べる気になれず暗い部屋で悶々としていた。
9時になってようやく母が帰ってきた。2人で食事をする。
美悠紀はあの青年のことはもちろん黙っていたが、具合が悪くなってしまった切っ掛けの出来事については母に話さずにはいられなかった。
「ふうん。不思議なこともあるものね」
「本当にお父さんなのかな?」
「さあ、どうだろう。あの運動公園は・・・」
母が何かを思い出すように考え込んだ。
「どうしたの?」
「スクラップブックを持って来て」
母が言い出した。
「やっぱりそうだ・・・」
美悠紀がスクラップブックを持って来ると、母は何やらスマホで検索していた。
「あの運動公園の前はあそこに別の野球場があったのよ」
「野球場?」
「
母は言いながらスマホの画面を見せてきた。
「この地には40年くらい前まで明寺という浄土宗の寺があった。後継者がいなかったことで廃れてしまい、今から30年程前までには荒れ寺となっていた。最終的に市が寺を敷地ごと接収して寺の名前を冠した野球場を作った」
美悠紀が明寺球場の謂れを読み上げた。
「それが、明寺球場。そこでお父さん一回投げてるわ」
母が言った。そして今度はスクラップブックを捲り出す。
しばらくあっちこっちを捲っていたがやがて探し当てた。
「あった。これだ」
母が小さな記事を指差す。それは父の高校と他校との練習試合の記事だった。
「そう、お父さんの高校は無名だったんだけど、試合相手の広島
母がまた当時を思い出したように話した。
「凄い執念ね」
「当たり前よ、もう夢中だったんだから」
「はいはい」
但し記事にはたった一言、先発は真藤浩次郎投手とあるだけだった。試合は1対0で勝っている。
「お父さんが甲子園に出たのはこの翌年だから2年の時ね。1対0ってヒリヒリするような試合だったんだろうな・・・」
更に夢の中に入り込む母を美悠紀は揺り戻した。
「ということは・・・?」
と美悠紀。
「明寺球場は、総合運動公園の計画が持ち上がった10年くらい前に老朽化もあって取り壊されたけど・・・、お父さんが出て来ても不思議じゃない・・・」
母はそう言った。
「化けて出たってこと?」
「化けてって事じゃなくてさ、だって若い頃の真藤浩次郎君だったんでしょ? おじさん真藤父じゃなくて。ユニフォームは着てたの?」
「分からない・・・どうだったろう」
美悠紀は考え込んでしまう。
「
「お馬?」
「違う違う。黄昏時のことを逢魔が時って言うの。つまり昼でも夜でもない時間帯。この時間帯にはこの世の者ならざる者が現れることがある・・・」
母が言った。
「マジか・・・」
美悠紀は不思議と怖いとは思わなかった。むしろ自分を応援するために現れたんじゃないか、そんな気さえした。あの時は驚いて過呼吸になりそうだったのだが。
母との話はそこまでだった。でも、本当はその後の出会いの方が強烈だった。彼とのことを考えると胸がドキドキする。
何のドキドキなのか、美悠紀にもうすうす分かっていた。
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