第20話 チェンジアップ

「チェンジアップか・・・。あいつはチェンジアップを投げられるのか?!」

 溝端が呆れたような顔をして呟く。

「そのようだな、直球と全く同じフォームだった。村木にチェンジアップは投げられない。才能だな」

 田野中監督が溝端に囁く。そして高埜に伝令を走らせた。田野中の方を見ながら黙って頷く高埜。

 田野中の戦法はこうだ。

「きれい事では済まないのが野球だ。ここで女に高埜を仰け反らせるボールが投げられるか? 無理だろうな。アウトコースに投げるしかないはず。アウトコースならチェンジアップでもタイミングを合わせやすい。外角を狙えばヒットが打てる」

 この戦法を見切った観衆からヤジが飛ぶ。

「卑怯だぞ〜!」

だが、田野中は冷静だった。

「野球とは打とうとする者と打たせまいとする者のだまし合いだ。卑怯な戦いなんだ」

 田野中は待たずに行くようサインを出す。

高埜はさっきにも増してホームベースに覆い被さって来た。

「これじゃ、ストライクゾーンが外角しか空かない・・・どうする美悠紀?」

 栞はそれでもストライクゾーン真ん中にミットを構えた。

 美悠紀はグローブの中で硬球を握り締める。指をボールの縫い目に合わせた。この握りで美悠紀はボールを投げ込む。

「インハイ。ストライクコースだ。美悠紀、エグいなあ」

 栞は思考すると同時にバッターの後方へ位置を移動した。

「消えた!?」

 高埜が心の内で叫ぶ。美悠紀の投げたボールが見えない。どこへ行った。

 だが、右対右の対戦では普通のことだ。ましてベースに覆い被さっている高埜にはプレート右側から投げ込む美悠紀のボールは見にくいのだ。

 ボールはいきなり現れた。

「当たる!」

 速いボールだ。今まで観察した数球の中で一番速い。150キロくらいあると高埜は思った。仰け反って除ける余裕もない。

 高埜は思わず後方へ倒れ込む。そこをボールが通過した。通過しながら倒れる高埜の左肘を掠めた。

 ボールは角度を変え、栞はプロテクターに当ててボールを止めた。

「デッドボールだ! 高埜、いいぞ」

 部長の溝端がベンチで声を上げた。

 だが、主審境戸の判定は、

「ストライク!」

だった。

 栞は半年前まで監督と呼んでいた境戸の目に感心する。美悠紀の投げたフォーシームは明らかにストライクだった。

 高埜がそこに腕を出して妨害した。高埜の身体に当たってもこれはストライクだ。

 2ストライク、ノーボールだ。

「1球遊ぶか・・・」

 だが、栞はすぐに思い直した。この特別ルールにしたのは美悠紀の体力を考えてのことだった。投球数をなるべく減らす。それがこの全イニング・タイブレーク・ルールだ。

「よし来い!」

 もちろん美悠紀と直接話をしたわけではない。サインの交換もなしだ。思い通りに投げて、それをこっちは捕るだけだった。

 だけど、2人の考えは一致することが多い。これは美悠紀がスコアブックを読み出してからである。

 どんなボールを投げたかまでは分からないが、空振り三振なのか見逃し三振なのか、牽制球を投げたのか等々読めることは多い。

 栞も美悠紀のスコアブックのコピーを貰っていた。美悠紀の父真藤浩次郎の投球術が2人に染み着いた。

 高埜はだいぶバッターボックス後方で構えている。覆い被さり戦法は止めたのだろうか。

 いずれにしてもバッテリーはアウトコース勝負で一致していた。美悠紀は今までと同じセットポジションで外角低めに投げ込んだ。

「直球だ! ちきしょう」

 チェンジアップを予想していた高埜は慌ててバットを出す。だが、ボールまでは遠い。

 半ば倒れ込むようにして、高埜は辛うじてバットを伸ばした。

 カンッ!

 体勢を完全に崩しながら振り抜いたバットにボールが当たる。ボールは思いの外反発し、ひょろひょろとファーストの頭上を越えていった。ファールか? フェアか?

 セカンドみずえが慌てて追うが、ボールは既に数メートル先だ。フェアだ!

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