第14話 スコアブック
美悠紀はここ数日母のスクラップブックを読みふけっていた。
美悠紀の父真藤浩次郎の記憶はごく限られている。美悠紀が小6の時、建設現場で起こった大きな事故で亡くなったのだ。
覚えているのは母と3人でディズニーランドへ行ったこととか、奥多摩へ父の同僚たちとキャンプに行ったこと。あとはアニメ映画を見に行った事などである。
反抗期で父親を嫌悪するとか、そういう経験もしたことはなかった。
次第次第に父の記憶は薄れていく。そんな時に始めて見せられた父の高校時代の記録。
スクラップブックの中には自分と同年代の時の父がいる。そして記事を切り抜いて集めていたのが母だったとは。
新聞記事の中の真藤浩次郎は格好良く、野球にひたむきだった。そして父は甲子園で壮絶な試合を繰り返した。
地方予選での45イニング連続無失点は今でも最長記録だ。
甲子園第1試合でいきなりのノーヒットノーラン。カミソリのように切れ味鋭いシュートボールが快刀乱麻を断つが如くスラッガーたちを切って捨てる。
凄いのは後から書かれた事件の記事だった。
浩次郎たちが泊まっていた宿舎の旅館に刃物を持った強盗が押し入り、取り押さえる時に腕を怪我したという事件。
利き腕を怪我した浩次郎は怪我を隠してマウンドに立つ。試合は延長戦にまでもつれ込み、縫い合わせた浩次郎の腕はついに傷口が開いてしまう。
白いボールを血に染めながら投げきり勝利を収めるのだ。マウンドの上からじっとこちらを見詰める写真がスクラップブックに貼ってある。
ところが、その時母が1冊の本を持って来た。テレビ雑誌の古い甲子園特集だ。その中にこの写真と同じのがカラーであった。
「あ、折り目を付けちゃダメだからね。これ私の大事な大事な宝物なんだから」
母が言った。
それはあの新聞写真のカラー版だった。正確には別物の写真だが、同じタイミングで撮られたカラー写真である。
赤い夕陽を背景に白いボールを握ってキャッチャーの方を見詰めている。ユニホームの袖口から赤い血が手の甲に向かって流れていた。
美悠紀は生々しい血の赤さに正直ドキリとした。
「どう、やられちゃうでしょ。女の子なら全員やられちゃう」
母はその時の興奮を思い出したのか少女のように熱く語った。
「これで真藤浩次郎に惚れない女はいない!」
母によれば、事の真相を知ったマスコミの騒ぎようは異常だったとのこと。真藤浩次郎はヒーローにされてしまった。
そりゃそうだろう。こんな劇的なことがあれば。いやドラマ以上かもしれない。但し、甲子園大会が終わった後のことである。
美悠紀も父の右腕にあった大きな傷のことは覚えている。触ってみたこともあったが、気持ち悪いというのが当時の印象だった。
だが父は高校を卒業後普通に大学に進学して、野球を辞めてしまった。大学では野球部からの猛烈な勧誘もあったが、ついに首を縦に降らなかった。
その理由については母も何度か尋ねたらしい。だが、はっきりとした答えはとうとう聞けず終いだった。
「凄い才能だったのに・・・」
そう言う美悠紀に母はニコニコしながら答えた。
「プロからの誘いも当然あったのよ、ドラフト外でね。プロ野球の選手になって、それで、メジャーリーグへ行って、
「ふうん。もったいない・・・」
「でもね、スポーツ新聞なんかではお父さんの大活躍で優勝したように書いてあるけど、実際は違うのよ」
母が意外なことを言った。
「このときのチームメートは最高だったの。怪我のことも含めてチームのおかげが大きい」
母はそう言うと今度は古い本を持ち出してきた。
「色々隠し持ってるみたい」
「宝物だもの、大切にしまってある」
母が持って来たのはスコアブックだった。
「スコアブック?」
「そう。予選の一部と甲子園の全試合の記録」
「でも、これ・・・」
美悠紀は古い本を手に取ると母の顔を見た。
「私が付けたのよ。テレビ観戦だけどね。当時高校野球にどハマりしててね、スコアの付け方も覚えたわけ。別に野球部のマネージャーとかじゃないのにね」
「凄い」
「凄いのはこの中にある。これを見ればどういう試合運びだったか、その時真藤浩次郎が何を考えてたのかまで、分かる」
嬉々として母が言うのだった。
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