第6話 マウンド

 父は建設会社に勤める会社員だった。その父が不慮の事故で亡くなったのが美悠紀が12歳の時である。

 本当に学校に連絡が来て、美悠紀は迎えに来た警察官の人に付き添われて救急病院へ行った。

 病院に着いた時には父は既に亡くなっていた。何の言葉も交わせないまま父とは永遠のお別れとなってしまった。

 同じ会社の設計課で働いていた母はその後家から近い不動産会社に転職した。美悠紀を育てるために。

 だけど、そんな父が高校球児だったなんて。一度も聞いたことがない。父親に野球の臭いは全くしなかった。

「お父さんね、プロ野球からも誘われてたのよ。だけどあっさり辞めちゃった」

「そうなんだ・・・」

「もうスッパリって感じで野球辞めちゃったのよ」

 母が少し寂しそうに言った。

「何でだろう?」

「さあ。お父さんと付き合い出したのは辞めた後だったから。もう草野球もしなかったわね」

と母。

「プライド、かな?」

「どうだろう。テレビで高校野球見ることもなかったな」

「うん」

 小学生の頃父と高校野球を見たことはない。いやプロ野球も見たことはなかった。

 だが、ここで美悠紀が疑問を持つ。

「ちょっと待って。だったら、このスクラップは誰がやったの?」

 だってそうだろう。父と母が付き合って結婚するのはずっと先のことだ。

「このスクラップ帳は私のよ」

「え?」

「お母さんね、お父さんのファンだったの。高校生の頃ね、テレビで見て、好きになっちゃったのよ。カッコよかったあ・・・」

「えええ!?」


 母と父の意外な馴れ初めに美悠紀は今の自分との共通項を感じた。血かもしれないと、密かに考える。

 物思いは突然栞によって中断させられた。学食のテーブルだ。平らげたA定食の器が前にある。

「美悠紀、何ぼうっとしてんの」

「ああ、栞」

「週末市民球場で野球やるよ」

「市民球場? どうしたの?」

「それより、ユニフォーム買いに行くぞ」

「ユニフォームって、まだ部が出来たわけじゃないのに」

「どっちにしたってジャージでキャッチボールばっかりしてるわけにいかないじゃない」

「そうかなあ・・・」

 相変わらず美悠紀は煮え切らない。先へ先へ突き進む栞とは対照的だ。

 栞の言う市民球場とは電車で二駅の市営の総合運動公園にある野球場のことである。

 総合運動公園の施設は大きな大会が無い時はそれぞれ市民に開放されている。 

 野球場も市民なら誰でも借りることが出来た。ただし全て抽選である。

「抽選に当たったの!」

「本当に?」

「前々からね、何度も応募してたんだ。パソコンでね」

 栞は少々詭弁を使っていた。本来は試合用に学校のクラブ活動や草野球のチームが借りることを想定している。 

 市ではキャッチボールに毛の生えた程度の利用は想定してはいない。

 だけど・・・。

 ダッグアウトから目の前のダイヤモンドを見る。外に出てセンターバックスクリーンの掲示板に目をやると少女たちに震えが来た。

「凄え!」

 1年生の片倉みずえが思わず唸った。

「これが野球場!」

同じく1年山口佳恵も目を見張る。そこへ初めてのユニフォーム姿の美悠紀がグラウンドへ出てきた。

「カッケー!」

 美悠紀を見て飯田花蓮が思わず声を上げる。背の高い美悠紀はユニフォームがよく似合った。胸にはグリー学園の文字が。

 まだ部が出来ると決まったわけではなかったが、栞はやる気満々でユニフォームに学校名を入れさせていた。

 もっともユニフォームは売れ残りの既製品で名入れはサービスだったが。

 ただ、9着分で作っていたはずだが、残り4着がどうなったのか美悠紀は知らない。なお背番号はまだ入れていない。

「美悠紀、マウンドへ上がって」

 栞に促されて、マウンドに立つ美悠紀だ。

「意外に高い・・・」

「だろ。でも大丈夫・・・」

 そして栞はプレートの踏み方を教える。佳恵、みずえ、花蓮の3人が集まって来た。

「本当に真藤先輩って野球初心者なんですね」

 みずえが言った。だが、それに答えたのは栞の方だ。

「だけど、何て言うかな天性のモノがあんのよ美悠紀には。最初にキャッチボール始めた時に思ったわ」

「園田先輩は見抜いたわけだ」

 佳恵がそう言うと周りがどっと湧いた。

「じゃあ美悠紀、シャドウやってみて」

「うん」

 美悠紀は栞にいわれた位置に足を決めると大きく腕を引いて大上段から右腕を振り下ろした。

「転げそうだわ・・・」

美悠紀が開いた足を庇いながら言う。

「そうだね。もう少し筋力を付けた方がいいかもね」

 栞は美悠紀の太股をパシパシ叩きながら満足そうに言った。

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