第5話 高校球児

 美悠紀が家に帰ると珍しく母親がいた。

「最近帰り、遅いな」

いきなりご挨拶な言いようだ。

「みんなとお好み焼き食べてきた」

「そうか、じゃあ晩ご飯はカレーでいいか」

「構わないけど・・・」

 美悠紀から見ても母は疲れているように見える。仕事しながら自分を育てている。毎日残業、残業で9時過ぎないと帰って来ない。

 だが、その残業代で辛うじて我が家の生活が成り立っているとも言えた。

「学校は楽しい?」

 母が温まったカレーの封を切りながら美悠紀に聞いた。

「うん・・・」

「美悠紀はいつも口数が少ないなあ」

母が言った。

「でも、あたしも美悠紀を見習わなきゃいけないな・・・」

 母は思い詰めた顔で皿に盛ったご飯にカレーを掛けた。

「何かあったの?」

 美悠紀が尋ねる。

「課長につい言っちゃったんだ・・・」

「課長って、いつも言ってる能なしオヤジ?」

「そう。いやいや、そうは言っても課長さんだからね、人事権持ってるし」

 それから2人は黙ってカレーを半分くらい食べた。そこで美悠紀が再び尋ねた。

「何を言ったの?」

 母は天井を見ていた。が、

「そんな時代錯誤なこと。お客さんだって逃げちゃいますよってさ・・・」

「そんなことって?」

「美悠紀、それ聞く?」

「だって、言いたそうだし。言うとスッキリするかもしれないし・・・」

「ありがと。美悠紀も私の心配してくれる年になったんだ。私しゃあ嬉しいよ」

「だから」

「ちょっとミスがあって、お客様のところへ課長と謝りに行ったのよ。ご担当の方とは信頼関係も出来ていて、別に課長が来なくても問題なかったんだけどね。行くって」

「ふんふん」

 美悠紀は余計なことを言ったと後悔した。こんな話聞いても面白くもないし、だいたい自分にはどうしようも出来ない。

「ちょっとした行き違いで、たいした問題じゃなかったんで、すぐにご担当者とは雑談になって・・・それで課長が・・・」

 母の話を聞きながら美悠紀はカレーを頬張る。そして、まだ続くのかと思っていた。

「真藤は頭は硬いですが、おっぱいは大きくて柔らかですから・・・って」

 母が言った。

「何それ! セクハラじゃん! 労基局へ訴えてやれば」

 美悠紀が思いの外大きな声で叫んでいた。どうでもいい話と美悠紀は今まで聞き流していたのに。自分でも意外だった。

「まあまあ」

「まあまあじゃないよ。その課長、能なしだけじゃなくて変態じゃない」

 美悠紀は湧き上がる怒りをまだ抑えられていない。

「訴えるのは労基局じゃないけどね」

 母がやんわり訂正する。美悠紀はさっきお好み焼き屋で聞いたソフトボール部監督の話が甦っていた。

 あの時は他人事みたいな感じで聞いていたが、母がそんな目に遭っているなんて思いもしなかった。

「課長を訴えるなら会社辞める覚悟しないとね。それもまだ困るわ」

 そう言って母は笑った。今時大企業ならそういうことの対策も出来ているのかもしれない。

 だが、母が勤めているのは小さな不動産会社なのだ。上に逆らえばどんなことになるか、想像はついた。


 モヤモヤを感じながらも2人で夕食後にテレビを見た。

 ちょっと胸キュンなドラマの後、ニュースショーが始まった。

「もう選手権大会なの!?」

 テレビを見て母が言う。

「選手権大会って?」

と美悠紀。

「知らないの? 夏の甲子園大会よ」

 番組では高校選手権大会の予想をしていた。注目の高校や話題の選手等、誰もみな輝いて見えた。

「知ってたっけ? お父さんが高校球児だったこと」

 初耳だった。いや昔聞いたのかもしれない。だけど、美悠紀の記憶には全くない言葉だった。

「お父さんが高校球児!?」

「話したことなかったっけ?」

母は部屋に戻ると古いスクラップブックを持って来た。

 スクラップブックには新聞や雑誌の切り抜きが丸々1冊分貼ってあった。そのうちの1枚に美悠紀の目が止まる。

 甲子園のマウンドの上。その高校球児は目深に被った帽子の下の瞳を輝かせこっちを見ていた。そしてタイトルが・・・、

「冴えるカミソリシュート真藤浩次郎」

だ。

 その写真とタイトルに美悠紀は魅せられててしまった。

「こんなの見たことなかった・・・」

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