愛染の放課後


「ねぇ今日カラオケ行かない?この前ドリンクバー無料の割引券もらったんだよね」

「今日の練習さ、競技場組?俺学校組なんだけど」

西日の差す放課後の教室では、この後の予定を忙しなく会話しているクラスメイトで騒がしくなる。

「騒がしい。嫌気がさす。本当に。」

一人小さく愚痴る。僕は部活には入っていないし放課後一緒に遊びに行く友達もいない。でも僕はそのことに対してマイナスには思っていない。なんなら性に合っていると思っている。人と一緒にいることが苦に感じる僕にとっては、放課後誰かとどこかに行くなんて考えられないからだ。

「香菜〜早く練習行こ」

「うんちょっと待ってて!」

教室の後ろの扉のとこから顔をのぞかせているのは神崎と同じ部活で陸上部の村井さんだろう。放課後練習があるときは必ずうちのクラスに顔を出していく。そういえば教室内に彼女の姿がない。いつもなら村井さんが彼女のことも声をかけに行くが今日は彼女の姿がない。村井さんも彼女の姿を探した後、その姿が無いことに気づいて鈴戸さんに声をかけていた。

廊下もかなり人で溢れている。見える僕にとっては人が大勢いる場所は拷問に近い。早足に玄関へと移動する。モヤが見えるのが嫌で下を向いて歩いてるからなのかかなり人とぶつかった。玄関はまだ気を抜けないくらいの人ではあるから嫌だけど教室や廊下に比べればかなり人の密度は減った方だろう。生徒玄関を抜けて正門から出ようとした時なんだか嫌な予感がした。僕のこういう予感はかなりの確率で的中するからなるべく避けたい。お昼休みのことでいつもの学校よりものすごく疲れているし。僕は更に早足で正門に向かって歩く。でもその時、やはり僕の予感は的中した。

「あ、陽輝だ。今から帰り?」

どうせならいい予感がしたときに現実になってほしいものだ。聞こえてないふりをして早足にその場を去ろうとしたが、彼女にこの手は悪手だったようだ。

「ねぇ、絶対聞こえてるよね。聞こえてるよね?だってさっき一瞬止まったよね。」

朝のHR前に、昼休みに、僕の一人の時間にズカズカと踏み込んで来る彼女に呼び止めれた。

「なんだよ。僕はもう帰るんだ。今帰るんだ。」

さっきまでの人混みで少し気が立っていたのもあってまた口調が強くなってしまった。

「そんな嫌そうに答えなくってもいいじゃん。でも今帰るのちょっと待ってくれない?」

「は?なんで。」

本当に何を言ってるのかわからなくて間抜けな声が出てしまった。

「あはは!何その声!ちょっとかわいい。」

笑われた。でも可愛いやつに可愛いと言われるのはなんだか嬉しくはないという女子の気持ちが何となくわかった気がする。

「で、なんだよ待ってくれって。そもそも神崎さんは今日部活じゃないのか。」

校庭では運動部が続々と準備に取り掛かっている。それに彼女も部活用のジャージに着替えているし靴だって履き替えている。

「そう、私今日部活なんだけど早めに練習始めたから早めに上がらせてもらうんだよ。」

「そうか。で、僕は誰をどうして待たないといけないんだ。」

「誰をどうしてって、それは私と一緒に帰るために。」

僕の学校生活から安寧が消えることを覚悟しないとな。

「何時まで待てばいいんだ?」

「え?」

僕の耳にはさっき僕の間の抜けた声を笑ったやつの間の抜けた声が聞こえたんだが聞き間違いか?彼女の方を見ると口をポカンと開けてあっけにとられている。

「なんだその間抜けな声は。さっき散々僕のこと笑ったやつの声とは思えないな。」

僕が彼女に皮肉をぶつけると、ようやく目が覚めたのかハッとした後彼女は続けた。

「いやいや、そんなあっさりOKもらえると思ってなかったからびっくりしちゃって。」

さっきとは違って驚いたようにあははと笑っている。

「でもすごい嬉しかったのもあるの。私てっきり即答で嫌だって言われると思ってたから。」

「僕は快く承諾したわけじゃないぞ。朝の件といいお昼休みの件といい何を言っても引かないと思ったからしょうがなくだからな。」

「えーなにそれ。まぁでもそれが理由だとしてもOKには変わりないから私は嬉しいんだよ。」

「それで、僕はいつまで待てばいいんだ?いつも通り6時半までなんて待てないからな。」

僕もそこまでお人好しじゃない。そもそもこんな学校に放課後に残ること自体正直に言ってありえない。でもなぜか真っ白なモヤに包まれている彼女ととなると、いくらか心が晴れる。だから渋々だが承諾した。

「私今日そんなに多く練習しないからあと一時間くらいで上がれるから。」

「わかった。それじゃあお昼休みの木のところで待っているから。」

「練習終わったらすぐ行くから!じゃあまた。」

彼女はとても可愛い笑顔を僕に向けて軽快にグラウンドへと戻っていった。夕日が彼女の背中を照らしてとても輝いていた。西日にあてられてだんだん体調が悪くなっていく僕とは正反対に。僕とは住む世界が違うとこの時再認識した。毎朝のHR前の挨拶のことや今日のお昼のことがあって、どこか僕にも人と話す楽しさがわかるかもしれないなんて心で思っていた僕自身に嫌気がさした。

 学校の至るところでいろんな部活がそれぞれの練習をしている。そんな人達を横目にどんどん人気の無いところまで進んでいく。いつも通り金木犀の丘の周りは人の影すらない。ゆっくりと木の幹に腰を掛けて、葉と葉の間から覗いてくる夕日が視界に入り目を細める。あぁ、落ち着く。誰の嘘にも触れることのない心地の良い時間だ。木漏れ日から僕を照らして地面に映る僕の影を眺めて思うことがある。今日の僕はいつもと違う。いつもだったら昼休みに誰かが来れば黙って違う場所に行くし、放課後誰かに呼び止められても無視して帰るはずだ。放課後呼び止められたことなんて無いけどきっとそうするだろう。なのに今日は朝はいつも通りのやり取りだったけど昼休みのときはなぜかそのままここに残って彼女と話していたし、放課後だって呼び止められて一緒に帰るために彼女の部活の終わりを待っているんだ。今日の僕は僕自身のことがわからなくなっている。

「どうしちゃったんだよ。僕は。」

足元で一生懸命に今晩のご飯であろう木の実を運んでいる蟻に一人愚痴る。虫とか鳥、ひと括りに言うと人間以外の動物にはモヤはまとわりついてない。まだ僕が小さい頃にこのモヤのことを周りに話そうとしたことがあるが、口にしようとすると自分の頭にもモヤがかかったそんなふうになるから誰かに打ち明けたことなんてない。僕の心が歪んだのはずっと一人で抱えて来たからなんだろうか。そんなくだらないことを考えていると吹奏楽部の練習が始まった。窓を開けて練習しているから外にそのメロディーが響いてくる。曲の一部分を練習しているのだろうか。同じメロディーを繰り返し奏でている。

「音楽は嘘をつかない。頑張れ。」

別に誰に言うわけでもないが、勝手に演奏者にエールを送った。

「陽輝おまたせ。予定より早く上がらせてもらったんだ。」

吹奏楽部の演奏に耳を傾けていたら、さっき聞いた声が僕の名前を呼んでいるのが聞こえた。

「随分早かったな。そんなに待ってないから大丈夫。」

制服に着替えた彼女が僕の隣に腰を下ろした。ボディーシートで拭いたのだろうか。彼女の首元からシーブリーズの爽やかな香りがした。

「普段練習しながらだからちゃんと聞いたことあんまりないけど、吹奏楽部の人たちの演奏すごいきれいだね。」

「きれいって?」

不思議だった。僕もたまにここで聞いているがきれいなんて思ったことはなかった。そもそも音楽にきれいと思ったことがなかった。

「うん、そう。なんていうか聞いてる人の心にすっと入ってくるような、きれいで優しい音だなって。」

彼女は本当に不思議な人だ。僕には何を言ってるのかさっぱりわからない。そもそも音に優しいも意地悪もないと思うし。

「神崎さんはよくわからない感性持ってるよね。僕には音が優しいなんて感じたことないし。」

「まぁそうなんだけどさ、私は一生懸命上手くなりたい!って思って頑張ってる人の演奏だからかな。その人の音っていうか、その人が努力してる偽りのない音って感じがしてね。」

「偽りのない音か。」

彼女は部活終わりにも関わらず、とても楽しそうに笑っている。目を閉じて嘘のない音に耳を傾ける彼女の横顔を夕日が照らしている光景は、なにか惹かれるなにかがあった。

「陽輝なにぼーっとしてるん。そんなに私の顔が可愛かった?」

「は?そんなんじゃない。僕は神崎さんの顔なんて見てないよ。ただ空を眺めてただけだ。」

嘘だ。僕は彼女の儚いそしてきれいな横顔に見入ってしまっていた。でもそこで素直に肯定できるような人間では無い。

「はい、はい。そうですか。私の横顔より空のほうがきれいですか。」

お昼休みのデジャヴを感じた。ムスッと頬を膨らませて、小さい子のように口を尖らせながら、下に泣いているニコちゃんマークを描いている。

「神崎さん、その絵好きなの?」

「え?あぁ、この絵。好きってわけじゃないよ。簡単ですぐに描けるから。」

そんな意味なんて無いよ?と彼女は涙の消えたニコちゃんマークを描きながら答えた。

「そろそろ帰れるか?」

日もだんだん落ちてきたし少し肌寒く感じる風も吹いてきたから彼女に声をかけた。

「え?うん、帰るけどなんでさっきまでは帰れないみたいな言い方?」

「別になんだっていいだろ。」

さっきまで部活でグラウンドからここまでも近いってわけじゃないだろうけど、急いで部活切り上げてきたみたいだったから疲れてると思って。なんてひねくれた僕が面と向かって言えるわけでも無いから適当にはぐらかした。横を見るとニマニマしてこっちを眺める彼女の顔があった。僕はなんだか恥ずかしくなって正門へと足を歩きだした。

「そういえば神崎さんも同じ方角だったな。去年も帰り道に会って驚いたんだったか。」

歩きながら去年のことを思い出していた。隣で部活用のバックだろう、かなり大きくて重そうなバックをいかに楽に持ち歩くか持ち方をああでもないこうでもないと変えながらそんなこともあったねぇ〜なんて相槌を打つ彼女が歩いている。僕の普段の下校にはありえない状況が今目の前に広がっている。この道は車なんて殆ど通らないし通行人だってたまに見かける程度のかなり静かで人気のない道だ。

「神崎さんはいつもこの道で帰っているのか?」

よく考えたら女子高生が夕方の薄暗くなる頃に一人で歩くなんて危なすぎると思った。

「うーん。普段は先輩とかと一緒に帰ってるけど一人で帰るときはいつもこの道かな。」

彼女は頭がいい。それは周知の事実だ。だが僕への接し方からも分かる通りどこか何かが抜けている。

「なんで?私と通学路同じで嬉しくなっちゃった?」

出た。さっきも見た顔だ。ニマニマしながら僕のことをからかってくる。人の気も知らないで。

「そんなこと一ミリも思っていない。でもこの道で帰るときは必ず誰かと一緒に帰ったほうがいい。」

「え。陽輝それって。」

「何を考えてるのか知らないけど、いつもの通学路でなにかあったら寝付きが悪くなると思っただけだ。」

「そうなんだ。」

「あぁそうだ。別に故意はないからな。」

「わかったって...。」

心臓の音がうるさくなる。顔が少し熱くなっているのを感じる。きっと僕は今とても人に見せれる顔じゃないだろう。T字路に設置されているカーブミラーで自分の顔を確認しようと目線だけミラーへと移した。そこには顔が少し赤くなった僕と、僕の一歩後ろを歩く彼女の姿も写っていた。彼女の顔が僕の視界に入る。さっきまでの僕をからかうようなうざったらしい表情ではなく、「神崎胡桃」の微笑むような表情が見えた。

「去年の君より何倍も輝いてるよ。」

「ん?なに?」

「いや、なんでもない。」

いつも白いモヤに囲われている彼女のそんな柔らかい笑み。僕みたいな歪んだ人間にとっては眩しいくらいの微笑みだ。「ドクン。」心臓の跳ねる音が僕の脳を揺する。僕も彼女も頬が紅潮している。それは夕日のあまりにも眩しい西日のせいなのかそれともまた別のなにかなのかは今の僕にはわからない。でも、いつかこの紅潮の意味、跳ねる心臓の向く先に何があるのかはいつかわかる気がした。

 

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