融ける心

 神様は平等らしい。僕は生まれて一回もそんなことは思ったことはない。この世はいつだって不平等で不条理に満ちあふれている。結局二極化になる。明るいか暗いかとか、できるかできないか、見えるのか、見えないのか。努力すればできるようになるとかそんなのすべて偽善だ。結局の所、頑張ったって、もがいたって、苦しんだって、何も変わらないし何も変えられない。だから今目の前に広がっている光景だって僕にとってはとてもバカバカしく思える。

 学校には嘘しか無い。みんな取り繕って周りを気にして本当の自分を偽善という仮面で隠している。それは生徒だけじゃない。教師だってそうだ。そんな環境に一日いなければならないなんて毎日息が詰まりそうになる。でも、ただ一人を除いては。

「あ、おはよう神崎さん!」

「神崎さんおはよー」

「みんなおはよう」

神崎胡桃。日本人とは思えないほどにきれいに整った容姿で文武両道。定期テストでは毎回一位を取ってるし、部活は陸上部に入っていて大きな大会では必ず決勝戦へと進んでいる。非の打ち所がない人だ。当然交友関係だって馬鹿みたいに広い。僕とは何をとっても正反対な人間だ。でもそれよりも僕がすごいと思うのは彼女はいつでも本当の自分でいる。周りに取り繕ってる人間しかいない中、彼女だけは本当の自分をさらけ出していた。

僕には生まれつき人が嘘をついてるかわかる。その人の周りにモヤのような煙がまとわりついている。モヤには二種類あって黒いモヤと白いモヤがある。黒いモヤは自分に嘘をついているときにまとっている。白いモヤが彼女のように本当の自分でいる人の周りにまとっている。僕が今まで会った人は、大体の人が黒いモヤをまとっている。だから僕は人と話すのが嫌いだ。大抵の人間が黒いモヤをまとっているから僕だけは話していて何も楽しくない。僕にはその人が嘘をついていることがわかるから。信じたいのに信じられなくなる。胸のあたりが話していくに連れてどんどん気持ち悪くなってくる。僕の心に黒いモヤがかかったように、苦しくなる。だから嫌いなんだ。

「陽輝も、おはよう」

わざわざ僕の席の近くまで来ておはようと言ってくる。でも僕は彼女となら苦しくならない。彼女の周りは眩しいほどに真っ白だからだ。僕の曇った心を優しく照らしてくれる。

「あぁ、おはよう神崎さん。」

「ねぇ陽輝、いつになったら名前で呼んでくれるの?」

いつも朝はこんなやり取りから始まる。僕と彼女は幼馴染とか中学からの付き合いとかでもない。去年偶然同じクラスだったというだけで別に特別親しいとか言うわけでもない。なのに僕のことを名前でそれに呼び捨てで呼んでくる。去年は中村君と呼んでいたのに。

「僕と神崎さんはそんな親しくないだろ。」

ぶっきらぼうに言葉に感情を乗せずに返す。結局の所僕は人が嫌いなんだ。いくら彼女が白いモヤだからといって人は結局変わってしまうから。なんの前触れもなく僕の心にぽっかり穴を開けていくから。

「なんでそんな冷たいこと言うの。親しくないなら親しくなればいいじゃない。世の中には[お互いだんだん好きになっていこう!?]みたいなかんじでお付き合いする人だっているくらいだよ。」

僕の席に腰掛けて、くしで髪を整えながら彼女は言った。

「僕にはそんな考え方は理解できない。人と関わり合うのも億劫なんだよ。」

僕だって彼女と親しくなりたい。でもそれはできない。そんな複雑でどうしようもない気持ちに苛立ったのか、つい口調が強くなってしまった。クラスメイトの視線を感じる。そりゃそうだ、クラスの中心である彼女にこんな悪態ついたんだ、クラスメイトだっていい気分じゃないだろう。

「高2にもなってあんな性格なの、ほんとに最悪だよね。」

「神崎さんもなんであんなやつと関わるんだろうね。俺だったらイライラして話もできねぇよ。」

「去年のあのことで神崎さんが気を使ってるだけじゃない?」

全部丸聞こえなんだよ。いや、もしかしたらあえて聞こえるように言ってるのかもしれないな。でもそれももう慣れた。生まれつき嘘がわかるんだ、物心ついた頃にはこの現象も理解していたから幼稚園から僕は周りから浮いていた。歳を重ねるに連れ一人に慣れたし今は一人じゃない時の方がしんどいくらいだ。

「あ、ごめんね。今日長く居すぎちゃったみたい。じゃあまた。」

彼女の耳にも聞こえたのだろう。自分たちの会話でクラスの雰囲気がピリ付いてるのを感じてなのか、バツが悪そうな顔で自分の席の方へと戻っていった。そんな顔されても僕は困るんだ。僕の返した言葉がみんなは気に入らなくてこんな空気にしたんだ。彼女は悪くないのに。彼女の態度とクラスメイトのことに苛立ちを覚えながら朝のHRが始まった。



 僕はお昼の休み時間を当然誰かと過ごすなんてことはしない。それに周りに人がいる空間も気分が悪くなるから静かで落ち着ける場所でお昼を過ごす。校舎裏の一本だけ梅の木が生えている小さな丘が僕の学校での唯一の憩いの場だ。この木は何年も前にこの学校の事務員さんが趣味で植えたそうだが今はその事務員さんも辞めて時々業者の人が整えに来る程度だ。だからここには人はめったにこない。それに校舎からも少し距離があるから校舎内の喧騒もこの場所には届かない。ずっしりと大きく育った梅の木の幹に腰掛けて朝登校前にコンビニで買ったお昼を食べようとした時、視界の端に見覚えのある顔が映った。反射的に目をそらしたがそんなことは無意味に終わった。

「なんでここにいるんだよ。」

もうすでに僕の隣に彼女は腰掛けていた。

「探したんだよ?学校の中どこ探しても居ないし、学食にだって居なかったんだから。」

頬は少し赤くなって肩は少し上下に揺れているし髪も少しハネているところがある。走って探していたんだろう。どうして彼女は僕に関わるのだろうか。朝のことをもう忘れたのか?だとしたら記憶力は鳥より少しいい程度だ。

「どうして僕に関わるんだよ。今日の朝だってそうだろ。」

「だからじゃん!」

関わってくる意味がわからなくて聞いてみたが意味がわからない。なにが[だから]なのか全くわからない。

「みんなが私達のことを気にするならみんなが気にならないとこならいいってことじゃん!」

彼女は数百年解明できてない数式を解明したかのような自信に満ち溢れた顔で言った。

「たしかに朝のあれはこういうことで解決できる。でも僕はそういうことを言ってるんじゃない。朝僕はハッキリ言ったはずだ。人と関わること自体が僕にとっては苦なんだよ。」

「でも私は陽輝と話したいの。だから陽輝に話しかけるし陽輝の側に行くの。」

彼女のモヤは変わらず真っ白だ。僕は高校になってももちろん周りから浮いている。普通そんな浮いているやつと関わろうとするやつなんて居ない。なのに彼女はこうして僕に関わってくる。

「僕の気持ちはどうなってるんだよ。」

「そんなの陽輝が私と話すのが億劫じゃなくなればいいだけの話でしょ?そのためにはまず話さないとじゃない?」

真っ直ぐな瞳で僕を見ながら彼女は続けた。

「そんなの僕が神崎さんと話すことに対して何も思わなくなる確証なんて無いじゃないか。」

「それこそまずはやってみないとわからないでしょ?」

「神崎さんは僕がそれに付き合わないと今後もこうやって僕の昼休みを侵食してくるのか?」

僕は学校にいる時間で唯一この梅の木の下で一人静かにいることが心の休息になる。それさえもなくなってしまうと週5回もある学校に行くことに僕の心が持たなくなってしまう。それだと親にも迷惑がかかるから避けたい事態だ。

「わかった。神崎さんと話せばいいんだろ。」

僕がしょうがなく割り切って彼女の提案を受ける意思を伝えた。はずなのに。

「違うよ。そういう事じゃないんだよ。私は陽輝と一緒に楽しく話したいの。いま陽輝が言った感じだとあくまで事務的な会話はするって受け取れるんだけど。」

ムスッとした顔で地面に描いたニコちゃんマークは悲しい表情をしている。

「楽しく会話するってどういうことなんだよ。そんな抽象的な言い回しだと理解できないからもっと具体的に言ってくれ。」

そんな一言で[楽しく。]なんて言われてもこれまでの人生で人とまともに話したことのない僕には到底理解できないし想像もつかなかった。そもそも楽しいとか言う感情自体なんとなくイメージがつかない。

「具体的にって言われても、、、こう、なんていうか、うーんと、、、」

「わからないのかよ。」

自分から提案してきたくせにわかんないなんてという少しの苛立ちすら覚えたがそれよりも呆れてしまった。

「うーん。ことばで言うのはなんかむず、、、」

急に話が止まった。ふと横に目をやると彼女は口をポカンと開けて驚いていた。

「なんだよどうしたんだよ。僕の顔に虫でもついてんのか?」

僕が話しかけてようやく動いた。僕が話しかけるまでの少しの間、微動だにしなかった。

「今、陽輝笑ってた。笑ってたよ!陽輝楽しそうに話してた!」

本当に何を言ってるのかわからない。もうここ三年は笑うなんてしたこと無い。なんなら笑い方を忘れたくらいのレベルだ。でも彼女は嬉しそうに一人ではしゃぎだした。

「笑ってなんかないぞ。何見たんだよ。」

「さっき絶対笑ってたよ!絶対笑ってたから!」

必死に僕に訴えかける彼女を見ていて心が跳ねるのを感じた。その瞬間彼女のきれいな真っ直ぐな瞳にぎこちなくだけど笑っているような僕が映っていた。その周りにまとわりついているモヤが何色なのかはわからなかった。

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