お告げ -其之参-

 その男は、夢を見た。とても恐ろしい夢だった。


 男はスクランブル交差点の真ん中に立っていた。そこは男がいつも通勤するときに必ず通る場所だった。だが周囲に人はおらず、オフィス街は異様なほどに静まり返っている。誰かいないのかと呼びかけてみても、ビルの間に反響するだけで返答はない。

 すると突然、背後に何者かの気配を感じた。男が驚いて振り返ると、そこにはゴルフボールほどの小さな光の球が浮いている。球の左右には、その球の小ささに似合わぬ大きな黄金色の翼が開いており、輝きを放つ羽根がふわふわと舞っている。その絢爛な姿は、まるで男を誘っているようにも見えた。

 男は直感的に「天使」だと思った。よく絵に描かれるような天使とも、旧約聖書に出てくるような天使とも違うが、なぜだか「天使」に違いないと納得していた。

 男は無意識に手を伸ばす。


 指先が触れようとした次の瞬間、光の球が一際強く輝き出した。それから「天使」は翼をばさりと大きく扇いだ。きらきら光る羽根が男を取り巻いて舞い上がり、そしてゆっくりと落ちていく。降り積もっていく羽根は集まって、みるみるうちに形を作っていく。


 やがて男の目の前に生まれたのは、光り輝く一枚の扉だった。

 男は吸い寄せられるように、扉に歩み寄り、取手に手をかける。ゆっくりと押し開けると、扉はギリギリと軋む音を立てた。


 開いた扉の先は、駅のホームだった。さっきの交差点とは打って変わって、大勢の人で溢れかえっている。だがしかし、誰一人として動かず、誰一人として声を発することなく、全員が虚な目をして遠くを見つめている。

 男は異様な光景に周囲を見渡すと、看板に書かれた文字が目に入った。



「『姫路』……?」



 男が呟いたその瞬間、ホームに立ち尽くしていた人々が一斉に男の方に顔を向けた。そこにいる皆が、顔の筋肉をぴくりとも動かさず、ただ首をぐりんと回して、じっと男を見つめている。

 突然のことに、男はたじろいだ。そして勢い余って「誰か」にぶつかる。


 男がゆっくりと振り返ると、そのぶつかった「誰か」が男の耳元で囁いた。

 


【――――汝、此の地にて死す――――】



 ***


 目覚めた男は、汗でぐっしょり濡れた寝巻きを脱ぎ、急いでシャワーを浴びた。お湯に打たれながら、男は夢で見た光景と、聞いた言葉について考えを巡らせる。

 扉の先の場所――姫路駅には、一度行ったことがある。数年前に出張で関西に行ったとき、暇になった日に姫路城を見に行ったのだ。


「俺は、姫路駅で死ぬ……」


 それはなんとも腑に落ちないお告げだった。

 知り合いが住んでいるということもなければ、観光に行く予定もない。だがそれ以上に、男は来週、ベトナムへ移住するところだったのだ。

 姫路市に行くどころか、次いつ日本に戻ってくるかも決めていない。たとえ夢のお告げが本当だったとして、その瞬間がいつ訪れるかなんて予想もできない。きっと忘れた頃にたまたま姫路の地に足を踏み入れるとか、そんな感じだろう。

 奇妙な夢であったが、余計な心配はしない方が得だ。男は一回深呼吸をして、シャワーのお湯を止め風呂を出た。


 ***


 早朝、名古屋空港を発とうとする飛行機のなかで、男は一週間前に見た夢を思い出していた。

 「天使」は、死ぬ場所を教えに夢に現れた。その場所は、姫路駅のホーム。

 あれ以来深く考えていなかったが、ふと男の脳裏にひとつの疑問が浮かぶ。



「なんで、『今』教えに来たんだ?」


 もう少し死期が近づいてから来ればいいのに。



「……まあ、いっか」


 男は欠伸をして、ポケットから取り出したアイマスクを着けて、離陸の時を待った。



 <続>

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