第20話 天狗


突然“やま”にやって来てしまったらしい状況にあたふたしていれば、不意に頭上が暗くなる。


「ようこそ、大蜘蛛の花嫁殿」

私のことを知っていて、攫ったってこと?

見上げればそこには、顔半分を覆う天狗面の男がいた。山伏の格好に、背中からは黒い翼が生えている。まごうことなく天狗である。高位妖怪である上に、時に神通力をも扱う存在だ。


霊力の高い人間でさえ、彼ら相手には最新の注意を払う。霊力もない人間には、さすがに手も足も出ない。


それに何だか嫌な視線だ。この視線を以前にも感じたことがなかっただろうか……?


「何だ、ちび蜘蛛までついでに連れてきてしまったのか?まぁいい。そんな小さな蜘蛛には何もできまい」

確かに、そうかもしれないけど。


「ふるふる、ふるふる」

もみちゃん、震えてる!?そう言えば、ひと見知りな子なのだ。ゆららちゃんも言っていた。蜘蛛には人見知りで臆病な種もいるって。それでも、危害を加えない人間に対しては好意的な蜘蛛妖怪も多い。それにみんな私に優しかった。

しずれもまた、優しくて。


だから、私が守らなきゃ。


「このこには、手を出さないでください」

ぎゅっともみちゃんを抱きしめる。


「そう脅えるな。我々は、そなたを助けてやったのだ」

「……た、助けて?」


「大蜘蛛の花嫁など、不憫にもほどがある。大蜘蛛の花嫁になるくらいなら、我ら高貴な天狗に嫁いだほうが良いだろう?」

何を、言ってるの?


「私は、しずれの花嫁に迎えてもらって、満足しています」


「ぐっ、蜘蛛なんかの嫁だぞ!毛むくじゃらの、化け物だ!それよりは天狗の方が美しく、神聖だ!」

目の前の天狗が、仮面を外す。確かに、酷く整った顔立ちである。

しずれも美しい顔立ちをしているとは思うけど。


「そうじゃない」

そこじゃないのだ。しずれは優しくて、温かい。花嫁に、家族に迎えてくれた大切なひと。


「私は、しずれだからいいんです!」

あのひとの花嫁になれて、本当に良かったと思った。救われたのだ。


「あなたこそ、何故、霊力もない私を?」


「確かに、霊力は感じられない。だが、会合でそなたを見つけた」

あの時の会合……?そしてあの時目が合ったと感じた天狗と、この天狗は似ている。同一妖怪……と言うことなのか。

いや、きっとそうだろう。しかし……。


「ヌシさまは、このことは」


「ヌシさまには、後で報告すればいい」


「えっ」


「花嫁が大蜘蛛との契りを嫌がっていると伝えれば、きっとヌシさまもこちらの味方になる。この山で大きな力を持つ、我ら天狗一族の」


「嫌がってなんて、いません!」


「何故!大蜘蛛だぞ!」


「だからなんだって言うんですか!」

みんな、みんな優しい。

しずれも、花嫁だと。大切だと言ってくれる。お姐さんたちは妹としてかわいがってくれて、ちび蜘蛛ちゃんたちも一緒に遊んでくれて、懐いてくれる。


実家の離れではおじいちゃんやにゃーちゃんたちがいてくれて、寂しさは凌げた。けれど、おじいちゃんやにゃーちゃん、ねこさんたちも一緒に、たくさんの蜘蛛たちに囲まれて暮らしている今のままのほうがずっと、ずっと幸せだ。


―――そして、かなうならば、しずれと……。


「何故分からない!分からないのならば、無理矢理にでも!」

無理矢理ってっ!


「い、嫌です!」

「ふーっ!」

天狗に押し倒されるにして、背中を床に叩きつけられる。そして腕の中のもみちゃんが叫ぶ。


「おびっ」

帯?あ……隠れ帯……!


「逃がすか!」

天狗が、私の胸元を掴んでくるが、その時だった。


電流のようなきらめきが、天狗を襲う。

何?これ。


「おび!」

そうだ、今は!

隠れ帯に入るには……。


「ねがう!」

隠れ帯に入りたいと強く、願うこと。

それにちび蜘蛛ちゃんのもみちゃんもいるのだから。


――――きっと、入れる。


その瞬間硬い床に打ち付けられていたはずの背中がふわりと浮き上がった気がした。そして背後から雪のように白いもふもふの蜘蛛脚が勢いよく伸びて来て、後ろからヒト型の腕に包まれた。


「見つけた」

その声に、どれだけ安心したことだろう。

そしてもふもふな脚に包まれながら、優しい声が降ってくる。


「よくできたな」


「し、ずれ?」

見上げてみればそこには、ふんわりと微笑むしずれの顔があった。


そして気が付けば見覚えのあるほわわんとした空間にいた。

あちらこちらには『あっち』『どこか』などと言う独特の看板が立っており、周囲には他の蜘蛛たちの姿も見えた。


「さて、帰ろうか」


「……っ!うん」

こくんと頷けば、もみちゃんごとさっと抱き上げられながら、屋敷へと帰還した。


すると……。


「ふゆはちゃん!」

「うわああぁぁぁんっっ!もみいいぃぃぃぃっっ!!」

ユズリハお姐さんとヌシさまが真っ先に駆けてきたのだった。



「無事で良かった。ふゆはが隠れ帯に入ろうとしてくれたのもあるが、お陰でスムーズにふゆはをもみと共に保護することができた」

「うわ~んっ!もみもだよ~~っ!」

そして私の腕の中のもみをヌシさまが回収していく。


「それに無事に隠れ帯にも避難できた。よくできたな」


「あの、もみちゃんがいたから、です。しずれも、来てくれて」


「そう言う面ではもみも一緒で良かったかもしれないな。それに願ってくれたのだろう?だから俺も行きやすかった。ふゆはの気配を辿って行けば、隠れ帯と直接つながったから」


「う、んっ」

緊張の糸が解れたのか、ふいに涙が込み上げてくる。


「恐かっただろう?ふゆはを保護する直前、攻撃を受けたのが分かったし、蜘蛛脚を展開させたときに思いっきり何かをぶっ飛ばした気がするが」


「それはっ」

どうしてそこまで……?


「本当に、ウチのもみを攫うとかどう言うつもり?」

ヌシさまの目が本気だ。あんなに穏やかな雰囲気だったヌシさまが本気で怒ってる。


「でも、あの、天狗さんはもみちゃんのことを知らなかったようで」

「は……、天狗?それにもみのことが分からないとか死にたいの?」

ヌシさまがしれっと恐いことを言う。


「気持ちは分かるが、優しいふゆはの前では抑えろ、伊吹。あともみもいるのだし」

しずれがヌシさまの名を呼べば、伊吹は後ろに控える天狗たちを静かに見やる。


「いえ、我々はヌシさまの花嫁を攫うなどと!」

「しかも大蜘蛛さまの花嫁さままで!」

天狗たちが一様に頭を低く下げて恭順の意を示す。いくら天狗と言えど、ヌシさまに逆らうほど馬鹿ではないだろう。


「それに、ふゆはは俺の花嫁であり、フユメが溺愛する孫娘だ」


「あの、フユメさまのっ!?」

天狗たちが絶句している。


「元々はホウセンカ姉さんの旦那のイサザさんのために月守家にいついた神聖な蛇だ。そしてイサザさんが婿入りする時に、家族を大切に思うイサザさんのために月守家の守り神になった」

イサザさんは……私のご先祖さまだったんだ。


「一方でその子孫は長い時を経て、堕落し、破滅寸前だ。蛇爺はイサザさんの子孫であるふゆはに付いてきた。それは、蛇爺の加護が終了したことを意味している。イサザさんはそれを悲しんだだろうが、ふゆはのことは喜んでいる。最後の月守の子孫が、ふゆはで良かったと」

イサザさん……。

イサザさんがそう思えたのなら、私も、祖先がイサザさんで良かったと思う。イサザさんのお陰で、私はあの家でひとりぼっちじゃなかったから。


「話が少々脱線したが、天狗よりも神通力とやらを操ることができる蛇爺の孫娘に手を出せばただじゃすまされないだろう?」


「何かの間違いです!」

「それに消えたとはいえ、天狗が攫った証拠など!」

天狗が地べたに額を付けながらヌシさまに懇願する。


「あるぞ。俺がふゆはにつけたしおり糸が、霊山に繋がった。それに俺も、ふゆはを迎えに行ったから。あそこは屋内だったようだが、そこかしらに伊吹が守護する霊山の気配がした。……あと天狗が纏う気も」

しずれの言葉に天狗たちが唖然とした顔をあげる。

しかし……。

「……しおり糸?」

首を傾げれば。

「分かりやすく言うとストーキング糸ね!」

「え……っ!?」

「ちょまっ!蜘蛛聞きの悪いことを言うな!ユズリハ姐さん!ふゆはも固まってるじゃねぇかっ!うぅ……しおり糸と言うのは、蜘蛛が迷子になったりしないように付ける目印だ。時に花嫁や大切な相手につけ、その居場所が分かるようにする」


「だからストーキング糸じゃない。私たちもつけたかったけど、そこは旦那のしずれに特別に譲ることにしたわ」


「ふんっ」

何故か満足げなしずれである。


「でも気持ち悪かったら解かせるから。お姐さんたちのを付けてあげる」

「……おい」

ユズリハお姐さんの言葉にしずれがすかさず突っ込むが……。


「そんなことは……」


「ないのか?」


「あの、守ってくれるためにつけてくれたんでしょ?」


「もちろんだ。しおり糸がいきなり霊山に行ったから、慌てて伊吹の首根っこを掴んだぞ」

「ヌシさまの……っ!?」


「うむ、そうだ」


「ひどい~~っ!俺だってもみにしおり糸付けてもらってるんだから~っ!あと山のヌシだもの!伴侶が霊山の中に突然入ったことくらい分かるわっ!!俺だって何事かと思ったんだからねっ!?」


「まぁ、もみも一緒に攫われた以上、貴様の嫌疑は晴れた。良かったな」


「まぁねっ!?」

ヌシさまはもみちゃんに頬ずりしながら叫んだ。


「あの、しずれ」

「ん?」

ちょいちょいと、しずれの着物の袂をつまむ。


「あの、ヌシさまなのに、いいの?」

「ん?問題ない。山のヌシではあるが、虫系妖怪及び大蜘蛛の長の方が影響力は強いぞ。その時は同胞たち総動員で眷属に号令をかける」


「やーめーてーっ!!さすがに霊験あらたかな山でも高位妖怪が詰めてても、山を構成する虫系や蜘蛛、それから微生物たちが一斉に去ると山が死滅するわぁっ!生態系破壊される!しかも最近では爬虫類両生類とも同盟組んでんじゃん!?」

ヌシさまが吠える。同盟……そんな同盟があるんだ……。


「……やらないでよ?」


「別に貴様は絡んでいなかったのだし本当にはやらんが。それに犯人ならば目星はついているぞ」


「え、そうなの?八つ裂きにしていい?」

ヌシさまの瞳孔が、開いていた。


「それは山のヌシの貴様の自由だ。だがふゆはの目には入れるなよ」

「うんっ!もみの目にも入れないっ!」

「ならば良し!!!」

い……いいのだろうか……?本当に……?


「それで、犯人って誰よ」

ユズリハお姐さんが話を戻してくれる。

「それなら、俺のふゆはに悪意を持って触れたものだ」

しずれがニヤリとほくそ笑む。


「私に?」


「何か起こらなかったか?」


「……そう言えば、着物に手を伸ばされた時、ばちばちっと電流のようなものが走ったような?」


「そうだ。ふゆはの衣には俺の糸を撚りこんだ糸を使っている」

「しずれの……?」


「そうねぇ。ホウセンカなら桜菜に自分の糸を練り込んだ糸を渡して、衣や装飾品に使ってもらってるから私たちもね。一応妖力が一番強いのはしずれだから、そこは妥協したの」

と、ユズリハお姐さん。


「効いただろう」

「うん……っ」

まさか、着物にまで、しずれが守ってくれる仕掛けを施してくれていたなんて。


「でもそれ、しずれのお尻から出た糸だよね?」

しかしヌシさまが余計なひとことを告げ、思わず固まる。


「もみ、コイツに糸は提供するな」


「う!」

もみに告げれば、もみも了承したと頷く。


「いやああぁぁぁぁぁっっ!!やめて~~っ!俺は着衣ももみに包まれたいのにぃっ!もうそんなこと言わないから許してぇっ!俺はもみのお尻から出た糸も、だいっすきだからああぁぁぁぁぁっっ!!」

ロリコンよりもやばそうな性癖を聞いたような気がするのだが……。


「まぁ、反省しているようなら考えてあげてもいいんじゃない?」

と、ユズリハお姐さんが助け船を出してくれれば。


「ん」

「うぅっ!もみが蜘蛛たちの意見の方優先する~っ」


「そりゃぁ、蜘蛛妖怪だからな」

「お姐さんとしての当然のアドバイスよ」

しずれとユズリハお姐さんの言葉にヌシさまががっくりと首を落としながらも、もみちゃんの糸は欲しいとすすり泣いていた。


「それで?犯人目星ついてるって、一体誰?」

そしてしばらくすると気を取り直したらしいヌシさまが不意に顔をあげる。


「あぁ、そいつには俺の妖力を帯びた糸が絡まっていることだろう。例え神通力を持っていようと無駄だな。フユメの鱗の粉末も糸を撚るときに入れておいたから」


『鬼―――――っ!?』

天狗たちが叫ぶ。


「いや、オニグモだっ!鬼よりは優しいぞ。鬼の長に比べたらな!!」

しずれがズバシッと告げる。うん……確かにしずれたちは優しい。


「……それで?そこまでした糸は、どこに絡まっているんだろう?」


「では、行ってみるか。貴様の山へ。山へはそこの天狗どもも連れて行く。山のヌシなのだから、連れて行け」


「ふぅん?まぁしょうがないね」


「この、俺の糸の伸びる先だ」

しずれの妖力を帯びた糸が伸びる。


「もちろん」

ヌシさまがその糸の先に異空間を出現させると、糸がその先に繋がる。


「では行こうか」

「あぁ」

天狗たちがびくびくする中、私たちはヌシさまの造り出した異空間への入口をくぐった。



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