第27話 花火の相手の名前

 ゲーセンを出ると、容赦ない暑さが襲ってきた。しかし、冷房で冷えてしまった体が解凍されるようで、気持ちいい。

 だが、気持ち良さを感じたのは束の間。三十度を超える気温に、すぐさま、うんざりする。

 ギラギラとした太陽の下。歩きながら、麻衣に質問する。


「もしもの話なんだけれど、前世のことをうっすらと覚えているとします。で、前世で親しかった人に会ったとする。相手はいい人だから、前世の話を頭ごなしに否定はしないと思う。この場合、前世のことを話してもいいと思う?」

「前世のことを、どれくらい覚えているの?」

「えぇと……」


 家族に関しては、けっこう覚えている。海水浴に行ったとか、兄と喧嘩して爪で引っ掻いて泣かせたとか。

 だが、冴木先生のことになると思い出せるものがない。小五のときに書いた、前世ノートがすべて。


「隣に住んでいて、メガネをかけていて、千葉に引っ越しして、花火に誘われたみたいな」

「千葉のどこに引っ越したの?」

「え?」

「花火ってどこの?」

「あ、全然わからない」

「私、そういうところが気になっちゃう」 


 麻衣は汗で額に張りついた前髪を払うと、「雨が降りそう」とつぶやいた。

 空を仰ぐと、怪しい黒雲がこちらに近づいている。


「相手の話が嘘か本当か、確かめたくなる。わからないって言われたら、信憑性ゼロ。前世詐欺かと思う。私が疑り深いだけかもしれないけれど」

「ううん、気持ちはわかる。確かめたくなるよね」

「なに? 友那には、前世の記憶があるの?」


 私は、最近読んだ本の話だと嘘をついた。

 やはり、冴木先生に前世のことを打ち明けなくて正解だった。質問されても答えられない。

 


 麻衣と別れて、家へと帰る足を早める。けれど、今日はとことんツイていない。雫がポツンと落ちてきたかと思えば、いきなりの激しい雨。


「ひゃあー! ゲリラ豪雨ってやつ⁉︎」


 私は近くのカフェに避難しようとし、カフェの軒下にいる人に、心臓が止まりそうなほどの衝撃を受けた。


「冴木先生……」


 恋心を胸の奥にしまった三十分後に偶然会うなんて、神様は意地悪だ。


 私は器用な人間じゃない。三十分前に恋心をしまった箱に、まだ鍵をかけられていない。びっくり箱のように、いきなり飛び出してしまう可能性がある。

 逃げようか迷った。しかし、私と冴木先生の視線はぶつかっている。先生は驚いた様子を見せることなく、自分の左隣を指先で示した。

 私は雨から逃れて先生の左隣に立つと、髪の雫を払ってから、「どうも」と、ぎこちなく頭を下げた。


「いきなりの雨で、ビックリですね」

「そうですね」

「こんなところで偶然会うとは、またまたビックリですね」

「渡瀬さんって、神出鬼没ですよね」

「それ、私のセリフです。私の行くところに現れないでください」

「その言葉、そのままお返ししたいです」


 先生と会話を交わすのは、一学期の終わりの日以来。

 先生が落ち着いているせいなのか、モヤモヤした気分が凪いでいく。

 泣きたくなる。冴木先生と話すのは、心地が良い。

 恋心をしまった箱に重石を乗せたくて、私は鼻から息を吸った。心を落ち着ける。


「先生、ごめんなさい」

「尾行しようとしたことですか?」

「ぶーっ!!」


 私が謝ろうとしたのは尾行ではなく、お店でジィーッと見てしまったことなのだが。

 パスタ屋で見かけたことを話して、女性とどのような関係なのか問いただすための前振りとして謝罪を口にしただけ。

 深呼吸をして落ち着いたはずなのに、動揺して吃ってしまう。


「な、ななんでそれを⁉︎」

「あんな大声を出されたら、嫌でも聞こえます」

「大声なんて出していないです! ちょ、ちょっとばかり大きかったような気もしますけど……。っていうか、聞いてください! 尾行しようとしましたが、すぐに見失いました! よって、無罪です!」

「尾行はしたんですね?」

「そう言われると……。でも、麻衣が止めてくれたから、すぐに諦めました。……すみません」

「いい友達を持って良かったですね」

「本当にそう! 私、友達には恵まれているんです。恋愛運はさっぱりだけど。それよりも、先生。お店に私がいたことに気がついたなら、声をかけてくれても良かったのに」

「絶対に嫌です」


 しかめっ面を作って、「ブーブー!!」と抗議の声をあげると、先生は笑顔を返してくれた。

 どうやら先生は、怒っていないらしい。そのことに、心から安心する。


「それよりも、先生。濡れていませんね。カフェにいたんですか?」

「はい」


 もしかして、癒し系の女性とカフェで話をしていたとか?

 そう考えた途端、胸がムカムカする。先生が怒っていないのをいいことに、追求する。


「婚活していたんですか?」


 嘘は許さないぞ、と目で訴える。

 車のクラクションが鳴り響き、先生は大通りに顔を向けた。私にはそれが、質問から逃げたいがための動作に思えた。

 先生の耳の後ろをじっと見つめる。そんなところに答えが書いてあるはずもないので、問い詰めるしかない。


「私、知っているんですから。婚活していたんでしょう?」

「……なんでそんなに鋭いんですか?」

「やっぱり!! 結婚するんですか⁉︎」

「悩んでいます」

「結婚しないでください! 先生の運命の人は他にいます!!」


 先生は驚いて、目を丸くした。

 私も、自分の発言に驚いた。恋心が飛び出しそうになっている。だが、運命の人は隣にいますとのセリフを飲み込んだので、セーフ。


「婚活しないでください。今すぐにストップ! 適当な人と結婚してもいいことないです!!」

「恋愛運がさっぱりな渡瀬さんにアドバイスされても……」

「先生って、私の話をちゃんと聞いているんですね。それよりも! お願い。婚活しないで!」

「なんでそんなに必死なんですか?」


 先生が好きだからです。卒業式後に、告白したいからです。


 とは、言えない。

 それに今、告白しても、受験生なのだから勉強に身を入れてください、と断られるのが目に見えている。


 激しく降る雨が、道路の上を跳ねている。それに負けない勢いで、質問する。


「あの女の人と付き合うんですか?」

「さぁ」

「付き合うの? 付き合わないの? どっちなの⁉︎ お願い、教えてっ! 気になって、勉強できない!」

「受験生なんですから、しっかりしてください」

「するする! しっかりしますから。お付き合いするのか、しないのか。これで最後にしますから、教えてください!!」


 最後にするから教えて。と、今まで何回言ってきただろう。自分でも呆れてしまう。

 だけど、癒し系の女性とどうする気なのか、猛烈に知りたい。


「もしもの話ですけれど、付き合わないとしたら、どうなんですか?」

「それは……非常に嬉しいです」


 この答えは、恋心を隠していると言えるのだろうか? 箱から半分ほど出ている気がしてならない。

 先生は苦笑し、唐突に話を変えてきた。


「花火大会に女性を誘ったことに興味があるようでしたが、まだ知りたいですか?」

「えっ?」

「もう興味がないなら、話さなくてもいいですけれど」

「すっごく知りたいです!! 教えて!!」


 話を振ってきたのは先生なのに、困ったように視線を落とした。


「相手は、隣の家に住んでいた及川めぐみさんという人で、学年は一つ上です」




 

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