第1章 悪夢 :1-5 悲劇の兄弟

土曜日を迎えた剛志は、朝から落ち着きがなかった。

カフェでコーヒーを飲みながら本を読もうとしても、内容が頭に入らず、ページをめくる手が止まってしまう。

ジムで体を動かしても普段のように集中できず、トレーニングが雑になっている自分に気付いた。

翔太からの相談が原因なのは間違いないが、さすがに気にし過ぎだと自嘲する。

しかし、心の奥底では何か重大な問題が起きているのではないかという不安が拭いきれなかった。



夕方になると、剛志は中古車を激安で買った自分の車に乗り込み、翔太の家へ向かうことにした。

電車とバスでも行けるが、車の方が早いし、今日は特に急いでいた。

翔太の家に向かう道中、剛志は心の中でいくつものシナリオを想像していた。

美咲との関係についての相談なのか、それとも何か別の深刻な問題があるのか。考えれば考えるほど、心の中の不安が膨らんでいく。


「なんだか落ち着かない…」剛志はハンドルを握りしめ、気持ちを落ち着けようと考えた。

胸の奥にじわじわと広がる不安感を抑えきれず、深呼吸を繰り返した。



翔太の家の近くにあるコインパーキングに車を止めた。

翔太の家の前の道は広く、路上駐車しても迷惑は少なそうだったが、剛志はそれを嫌い、いつも決まったコインパーキングを利用していた。

今日は必要になるだろうと思い、翔太との話のためにウイスキーを用意してきた。

あまり高い銘柄ではないが、酒を片手に話すくらいがちょうどよいはずだ。

今日は翔太の家に泊まるつもりだった。コインパーキングには上限設定があり、1000円程度で打ち止めになるだろう。



「なんだか嫌な予感がする…」剛志は自分を落ち着けるように息を吐き出しながら、翔太の家へ向かった。


コインパーキングから5分ほど歩いたところで、剛志は翔太の家の前に到着した。

翔太の家は年季の入ったアパートの2階にあり、古びた階段を上らなければならなかった。

階段を上るたびにぎしぎしと音を立て、その音が剛志の胸騒ぎを増幅させた。周囲の住宅は静まり返り、ただ風の音だけが耳に響いていた。


「翔太、大丈夫かな…」心の中でつぶやきながら、剛志は階段を上り切った。

玄関のドアの前に立ち、自分の気持ちを落ち着ける。

インターホンに手を伸ばすが、その手が震えているのを感じた。

翔太の家に来るたびに感じる安心感が、今日はなぜか感じられなかった。



ピンポーン。「翔太、ついたぞ」


しかし、返事はなかった。

剛志は眉をひそめ、背中に嫌な汗を感じながらもう一度鳴らす。普段ならすぐに翔太が応答するはずなのに、今日はその声が聞こえない。


ピンポーン。「おい、翔太」


焦燥感が胸を締め付ける。

不安が募る中、剛志はキーホルダーから翔太の家の合いかぎを取り出した。

翔太が一人暮らしを始めた頃から持っているが、使ったことは数えるほどだった。

焦りながら鍵を鍵穴に差し込み、回す。

しかし、手ごたえがない。

すでに開いているのだ。


「翔太!」剛志は声を張り上げ、ドアを一気に開け放った。

翔太の家は1Kであり、玄関を開けたら屋内のほぼ全貌が見渡せる。

その瞬間、剛志の目に異様な光景が飛び込んできた。



部屋の真ん中には仰向けに寝転がった翔太の姿があり、その周りには黒い色の魔法陣のようなものが描かれている。

翔太には見たこともない黒いローブが着せられており、目を閉じている。

床には他に汚れなどは見当たらなかったが、天井には大きなシンボルが描かれていた。

それは、剛志が夢で見たあの二匹の蛇のシンボルだった。


剛志の頭は一瞬にして混乱し、心臓の鼓動が速くなる。

恐怖と不安が一気に押し寄せ、彼の呼吸は荒くなった。


「なぜここに…?」剛志はおそるおそる翔太に近づいた。


「翔太?」声をかけるが、反応はない。

震える手で翔太の肌に触れる。

冷たい。

剛志の一縷の望みが絶望一色に塗りつぶされた。


剛志は何とかして翔太を蘇生させようとしたが、それは無謀なことだった。

体の冷たさから素人の剛志でもそれは分かった。

しかし、どうしても諦めきれず、ローブをめくってみることにした。

すると、そこで更なる絶望が待っていた。

翔太の腹は深く切り裂かれ、中にはあるべきはずの臓器が無惨に取り出されていた。



「嘘だろ…なんだよこれ…」最愛の弟のあまりにもむごい姿を目の当たりにした剛志は、その場に崩れ落ち、涙を流しながら翔太の冷たい体を抱きしめた。

頭の中が真っ白になり、何をどうすればいいのかわからなかった。

ただ、目の前の現実があまりにも残酷で、心が引き裂かれるような思いだった。



部屋の真ん中に描かれた黒い色の魔法陣は、複雑な模様が絡み合い、その中心には二匹の蛇が絡み合ったシンボルが描かれていた。

魔法陣の線は不自然に太く、まるで墨汁で描かれたかのように濃い黒色だった。

床一面を使って描かれたその模様は、異様な存在感を放っていた。


翔太の体は仰向けに寝かされ、両手は体の横にまっすぐ伸ばされていた。

彼の顔には安らかな表情が浮かんでいるようにも見えたが、その目は永遠に閉じられていた。

黒いローブはまるで儀式の衣装のようで、その異様さが際立っていた。

ローブの素材は滑らかで重厚感があり、翔太の体にぴったりとフィットしていた。


部屋の天井に描かれたシンボルは、剛志の夢に出てきたものと全く同じだった。

正方形の中の二匹の蛇が絡み合い、その中心に不可解な文字が描かれている。

シンボルの周りには小さな円が連なり、それぞれの円の中には別々の模様が描かれていた。

ただ円の中の模様には心当たりはなかった。

そして天井の中心に描かれたそのシンボルは、まるでこの部屋全体を支配しているかのような威圧感を放っていた。


悲しみに暮れる剛志は、何度も涙を拭いながら、翔太の冷たい体を抱きしめたまま動けなかった。

心の中で、何故こんなことになったのか、自分に何ができたのかを繰り返し問いかけていた。しかし、その答えは見つからなかった。

ただ、翔太を失った現実だけが重くのしかかっていた。

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