第5話 今自分が居なければ

足が痺れる前に立ち上がり、台所へ向かう。夕飯の支度だ。

米を1合釜に入れて水道水でワシャワシャ洗う。水を入れ替えるのは6回。よく回数を忘れてしまうので、俺は米を研いだ回数分の指だけで米を洗っている。一回目は人差し指、二回目は中指、三回目なら薬指。そんな感じ。研ぎ終わったら釜を炊飯器に入れて早炊きボタンを押す。

ハンバーグを作る。といってもレンジでチンだが。

リンの死を機に蒸発した母の代わりに晩ごはんは俺が作っていた。父は料理が出来ないし、ずっと外食、弁当ってのも金がかかるのでやむなしだ。

ハンバーグのチンが完成する。父の分をラップして冷蔵庫に入れてから俺は一人で食事をする。人気のバラエティ番組を観ながら箸を進める。七時台、ゴールデンタイムの番組はやはり面白い。面白いけど食事を終えテレビを消す頃には、内容なんて1つも覚えてなかった。

食器を水に浸け自分の部屋に入る。ベッドに寝転がり枕を抱き締める。音楽を聞いたり漫画を読んだりして時間を潰す。そうしてると段々瞼が重くなり首がガクンと折れ始める。風呂、沸かさねーと。と思いながらも俺は完全に目を閉じた。



ドンッ!パリィン!

大きな物音で目が覚めた。

泥棒、なんて1ミリも思わなかった。誰がどんなことしているかは、寝起きの頭でも理解出来た。だから俺は部屋から出ずまた目をつむる。


「カオル!ちょっと来い!」


ちくしょうが。

俺はベッドから起き上がり、1深呼吸してから居間に向かった。

居間には土木の仕事から帰ってきた父がいた。顔が赤い。相当飲んでる。着替えもせず汚い服で座布団に座り、喉仏を大きくさせながら酒をガブガブ飲む。父の頬はこけていて、乱れた髪からはチラチラと白髪が見える。年、取ったなぁ、と俺は思った。50ならこれくらいか。

酒を飲み終わると父はコップをドンッと割れそうな勢いでテーブルに叩きつける。


「風呂は?」


父は俺と目も合わせずテレビを見ながら言った。が、テレビの電源はついていない。一体何を見てるんだ?


「わりぃ。すぐ沸かす。」


俺は風呂場に向かう。その際にべちゃっとしたものを裸足で踏んづけて、背中に悪寒がした。恐る恐る足をどけると、それは肉の塊、さっきレンジでチンしたハンバーグだった。ハンバーグが畳の上にぶちまけられている。壁にはご飯が付着していた。おそらく全て皿ごとぶん投げたのだろう。側にある皿は半分に割れていた。


「おい!何突っ立ってんだ!言いたいことあるんならさっさと言え!」


父の怒号に俺は「何もない」と答え風呂場に向かう。本当に言いたいことなんて何にもない。ただ風呂を沸かすために俺を呼んだことも、用意した晩ごはんをぐちゃぐちゃにされたことも、あまつさえ皿を割ったことすら、別にどうでも良かった。

リンと母をほぼ同時に失った父に対する憐憫。もうまともな父として機能しないだろうという諦念。そして、リンの死を誰よりも一番近くにいながら防げなかった罪悪感。その3つが俺の心の大半を占め、そこに怒りが混入することなど微塵もなかった。

元は温厚な父はリンが死んでから人が変わったように不安定になった。今みたいに物に当たり怒鳴り散らかすこともあれば、異常に優しい日もある。最初は父の一挙手一投足に一喜一憂して息子らしく振る舞おうとした。がそれもある一言をきっかけに止めてしまった。



「死んだのがお前だったらなぁ」


中学一年の冬の夜だった。泥酔して帰ってきた父は「今日は寒い」くらいのテンションで自然にそう漏らした。正直俺は「そう考えても無理ないよなぁ」と薄々感じていた。だから普通に受け止められた。だけど、その言葉のせいで父に好かれたい、何でこんなこと言われなアカンねんという苛立ちとかそういう活力が栓を抜いたように無くなった。そして同時に父は俺をもう息子として見てない、そう感じた。

俺は母と浮気相手の間にできた子供だった。

俺が小3の時に発覚した事実だ。この件について俺はよく知らない。幼いながらに聞いてはいけないことだと理解していたのだろう。浮気なんて誰でもする。そう飲み込んで耐えて理想的家族を演じていた。だけどそれもリンが死んで全て壊れた。

俺はふと思う。

父が言ったように死んだのが俺だったなら今頃どうなっていた………

いや、答えは考えずとも分かる。

風呂を用意し入った後の父の姿を見る。

さっきまでの不機嫌さは何処へやら口をぽかんと開けてイビキをかいて寝ている。すごいアホ面だ。


「ははっ、似なくて良かった。」


そう思いながら掃除をこなしていった。

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