6・〝ソードの7〟正位置

 笠木が指示する。

「至急、負傷者の回収を行え。現場を見てくる」

 部屋を出る笠木に篠原が言った。

「では僕らは、セーフルームに向かいます」

「お願いします。敵の目標は、朝比奈さんの奪取です。万が一この場で殺害することまで想定しているなら、この程度の攻撃ではすまないはずですから。……とはいえ、ここまで大胆に押し込んでくること自体、信じ難い展開ですがね」

「状況は逐次知らせてくださると助かります」

「セーフルームに備え付けのヘッドセットを使用してください」

「了解しました」

 自衛官に先導された篠原らはさらに地下に降り、中心部へ向かっていく。そこには戦術核の攻撃にも耐えられる設計の要人避難用の部屋が準備されていたのだ。

 放射線を遮断する重い扉を開いた篠原は、すでに中で待っていたシナバーと高山に言った。

「始まりましたよ」

 高山がぼやく。

「やっとですか……小1時間もこんな部屋に詰め込まれていたら、退屈で」

「仕方ありません。あなた方は電子戦室に入れるレベルではなかったんですから」

 シナバーが言った。

「戦ってるんでしょう? 見たかったな……」

「そうはいっても、みんなモニターを睨んでいるだけです。戦闘も、光点が動き回っているだけですし」

 純礼も言った。

「退屈、だったかも」

「あたし、それが見たかったんだけど……」

 篠原が重いドアを閉める。

「民間人のあなた方に見せる訳にはいかない規定ですから」

「純礼さんだって見たのに……」

「一番安全な場所――所長の身近にいる必要がありますからね」

「ずるい」

「次があれば、シナバーさんも招待できそうだと言ってました。その時は、嘱託技官を受けなければならないでしょうけど」

「警察にも入ったんだし、自衛隊の仕事したって大して変わらないよね?」

「判断はお任せします。警察には行動を縛る権限はありません。特戦群もお仲間のような政府機関ですしね」

「サンキュです」

「それはさておき、こちらも準備を整えましょう」

 高山がうなずく。

「用意はできています」


       ※


 およそ10分後、個人間通信用にセットされた篠原のヘッドセットに笠木からの通信が入った。

『篠原さんですか?』

「はい」

『緊急事態です。敵に突破されました』

 そのような展開も想定していたものの、状況の変化は篠原の予測を超える速さだった。

「どうして⁉」

『自分が現地に着くのが遅れて、負傷者と数人の敵が入れ替わっていたのを見逃しました』

「たった数人?」

『正確には3人です。ネイビーシールズの教官上がりの手練れが目視されました。変幻自在、百戦錬磨の相手です。装備を奪われ、入れ替わられたようです。彼らは研究所に侵入してすぐに姿を消し、内部からセキュリティを解除した模様です』

「この短時間でそこまで⁉」

『面目ない。実は、内部のセキュリティシステムの構造も筒抜になっていたようです』

 それも想定外だった。自衛隊は隊内の情報を保全するためのサイバー部隊を持っている。能力や人員は万全とはいえなくても、簡単にファイアウォールを破れるとは考えていなかった。

「なぜ⁉」

 笠木の声に苦渋がにじむ。

『ついさっき、この研究所の前所長が自宅で殺されたという情報が入りました。家族ともども、猟奇的な手段で拷問されたようです。その対応に追われて、隙を作ってしまいました』

「特戦群なのに?」

『自分のミスです』

「前所長ともあろう方を簡単に殺せるものですか?」

『複数のプロが先に家族を押さえれば、抵抗できない場合もあります。というより、他に考えにくい――』

「薬師寺かも⁉ いつの話ですか⁉」

『発見は1時間ほど前ですが、殺されたのは今日の未明らしいということです』

「でしたら、僕らがここに来ると決めた直後でしょうか」

『だと思います。情報がもれ、先手を打たれたようです』

「殺された方、機密を話してしまったのでしょうか……」

 笠木はわずかなため息をもらした。

『所長は決して隊の機密を明かすようなことはしません。だから殺されたのでしょう』

「ですが、PMCは死者は出さないのでは?」

『証拠は全て、中国人窃盗団を示しているそうです。実際、手配中のマフィア幹部の指紋が確認されたといいます。偽装の可能性は残りますが、実際にマフィアを動かすことも難しくはないでしょう。ネクストチップスは米議会の圧力があって中国共産党との関係を絶っていますが、いまだに裏で繋がっていることは情報機関の常識ですから』

「ですが、だったらどこからリークしたと?」

『〝敵〟がこちらの警備体制を熟知していることは確かです。あらかじめ攻略方針が決まっていなければ、こんなに早くは制圧されません。薬師寺という男、他者の人格を奪えるのでしょう? でしたら、知識や記憶はどうでしょうか?』

「その可能性もあると恐れています」

『所長は拷問には屈しませんが、記憶を盗まれたなら抵抗のしようがありません』

「薬師寺自身が現場に行ったのか……」

『そのようです。ですのでその部屋も、もはやセーフルームとは呼べません』

「ドアは中からしかロックを外せないのでは⁉」

『換気系もハックされています。管理権を奪い返す努力はしていますが、ガスを使われると閉じ込められたまま殺されかねません』

「彼らは朝比奈さんを殺せません。おそらく……ですが」

『眠らせることも可能です。部屋を出なければ、最終的には殺されるでしょう。すでに死者が出ているのですから、〝紳士協定〟がいつまで効力を持つか保証できません』

「すぐにここを出るべきですか?」

『救出要員を送りました。指示に従ってください』

「了解」

 通話が終わると、聞き耳を立てていた純礼が思いつめた表情で尋ねた。

「何かあったのですか⁉ 誰かが殺された、とか……?」

「この研究所の前所長家族です。セキュリティシステムの情報が奪われたようです」

「薬師寺の仕業ですか⁉」

「そのようです」

 純礼は心底ショックを受けたようだ。

「そんな……関係のない人を殺すなんて……」

「あなたに責任はありません」

「でも、わたしを捕らえるためでしょう……?」

「あなたは被害者です。気に病む必要はありません。すぐ移動することになりそうです」

 と、ドア横のインターホンから指示が入る。

『笠木所長からの命令です。屋上へ移動し、ヘリで脱出します。出てください』

 篠原は先頭に立って内部のロックを外し、重い扉を開く。

 廊下はほとんど暗闇だった。セーフルームに入った時とは全く印象が違う。照明は、点々と灯る非常灯だけだ。

 篠原が言った。

「ハッキングがここまで⁉」

「電気系統も掌握されました」

「セーフルームは異常ありませんでしたが?」

「バッテリーに切り替わったんでしょう。今、総力を上げて奪還を図っています」

 廊下で待っていた3人の自衛官は、緊張感を漂わせていた。篠原たち4人を囲んで、周囲を警戒する。

 彼らは暗色の戦闘服とヘルメットを着用し、顔のほとんどを黒いマスクで覆っていた。屋外の戦闘と同様、その上に暗視ゴーグルを着用して完全に顔が隠れている。ゴーグルからは4本のレンズが突き出し、ボディアーマーと相まってアニメのロボット兵士のような印象を与えた。

 それは隊員の素性を知られないために必要な、特戦群の通常装備だという。だが今は、室内での実戦対策と化している。

 篠原たちもセーフルームの中で、全員同じ服装に変えていた。陸自の迷彩服の上に胸部を守る簡易アーマーとフェイスマスク、そしてゴム弾から目を守るための暗色のゴーグルを付けている。それでも民間人にとっては動きにくい服装だった。

 遠目には個人の判別は難しい。

 標的を絞らせないための手段だった。

 だが篠原たちは、廊下を進むことすらできなかった。

 廊下の奥の暗がり、非常灯の薄明かりの中に一際暗い人影がにじみ出る。〝敵〟はすでに目前に迫っていた。

 だがエレベーターホール出るには、そこを突破するしかない。

 廊下は後方にも伸びているが、篠原たちはその先の構造までは教えられていない。

 篠原の前に立つ自衛官がさらに前進して拳銃を連射する。

〝襲撃者〟はその弾丸に跳ね飛ばされた。

 高山が反射的に叫ぶ。

「殺したのか⁉」

「ゴム弾です。気は失ったかも!」さらに銃を撃ちながら進む。「朝比奈さん! 私の背後に来てください!」

 進み出た女の手を掴み、庇うように自分の背中に引きつける。他の2人の隊員が、さらに両側から囲みこむ。

 3人が自らを盾にして、要人を警護する体制だ。

 その瞬間、前方から叫び声がする。

「敵はそいつらだ!」

 笠木の声だった。

 と、1人が舌打ちした。

 篠原が叫ぶ。

「逃げろ! 敵はこいつら――」

 篠原の言葉が終わる前に、2人の〝自衛官〟が振り返る。と、篠原の胸に拳銃の銃口が突きつけられた。

 高山は背後の女を守るように、もう1人の銃口の前に飛び出す。

〝敵〟は一瞬の躊躇も無駄もない動きで、同時に引き金を引いた。

 篠原たちは轟音と共に胸にゴム弾を打ち込まれ、弾かれる。肺が圧迫され、呼吸を奪われた。

 防弾性能がレベルⅢAの簡易アーマーは銃弾を通さないだけで、衝撃までは防げないのだ。

 前方の自衛官の一団が、拳銃を撃ちながら接近してくる。肩から短機関銃は下げていたが、狭い廊下での誤射を避けるために単発での攻撃を選択している。

 3人の〝敵〟は、女を囲みながら素早く後退していく。

 自衛官たちが、倒れた篠原らを追い越して〝敵〟を追っていく。

 篠原たちを守るように2人が残る。1人が篠原に手を貸した。

 篠原が立ち上がると、ゴーグルを上げた。

「驚きました。あなたの予測はほぼ的中です」

 笠木だ。

 篠原はつらそうだ。

「とんでもない。前所長が殺されるなんて、反則です」

「逃げ道さえ作ってあれば、彼らは何でもやるんでしょう」

「廊下の奥には何が?」

「非常階段です。エントランスまでつながっています」

「建物の構造は把握されてるわけですね」

「当然、自分らの方が詳しいですがね」

 篠原が高山を見る。

「立てますよね?」

 高山は尻餅をつかされたものの、〝シナバー〟を守ってゴム弾を体で受け止めていた。すぐに立ち上がったが、息は苦しそうだ。

「特戦群の突きより少しは軽いが……一瞬気が遠くなった。防弾ベストがなければ、肋骨にヒビぐらい入りそうだ」

 篠原も屈んで胸を押さえている。

「目の前で撃たれましたからね……」

 笠木がヘッドセットで指示を送る。

「予定通り出口は封鎖だ。人質は絶対に傷つけさせるな――」

 と、背後で女の声がする。

「シナバーさん、大丈夫でしょうか……」

 篠原はようやく背を伸ばして、フェイスマスクを降ろした純礼に向き直った。

「あなたの占いは完璧でしょう? シナバーさんはそれを確信しているから、身代わりを買って出たんです」

「それでも……」

 高山が言った。

「変わりもんなんですよ、篠原さんの周りに集まってくるのは」

 篠原が肩をすくめる。

「それって、あなたも勘定に入っちゃいますよ?」

「自分でも嫌になります。定年まで大人しくしていたいのに……」

 ヘッドセットで連絡を受けた笠木が言った。

「取り囲みました。上がりましょう!」

 暗視装置をつけた笠木を先頭に、階段を上がってエントランスに近づく。ホールに出る直前で、壁に身を隠しながら様子を伺う。

 暗いホールの中に、強力なライトが何本も当てられていた。明かりの中心に、敵が追い詰められている。

 笠木がささやいた。

「館内システムは奪還しましたが、自分らが隠れやすいので暗いままにしています。彼らからはこっちを目視するのは困難です」

 まばゆい明かりの中で3人がシナバーを盾にして、取り囲んだ特戦群隊員を牽制していた。彼らの背後は、玄関横の壁だ。

「暗視装置は?」

「ライトを浴びたら機能しません。裸眼より視野が狭いので、むしろデメリットになります」

 マスクを下ろしたシナバーには、たすき掛けに太いベルトがかけられていた。ベルトには、小さな箱や電子装置が取り付けられている。

 笠木が状況報告を受けたようで、篠原に説明した。

「あれ、自爆ベルトだと言っているそうです」

 シナバーの腕を背後から捻じ上げている男の手には、遠隔操作スイッチのようなものが握られている。それを掲げ、ボタンを押していることを誇示していた。

 その両側を、短機関銃を腰だめにした巨漢が守っている。

 シナバーの顔を確認して対象ではないと知り、恫喝に使われたのだ。

 PMCとしては死人は出したくないはずだが、爆弾ベルトがフェイクだと断定できる根拠はない。

 篠原がうめいた。

「あんなものまで準備してきたのか……」

 笠木がうなずく。

「自分らが手出しできないように、朝比奈さんに使う予定だったのでしょう。『この娘と交換だ』と要求しているそうです。20人以上に囲まれているのに、どうやって脱出する気なんだか……」

 そこまでは篠原の想定にもなかった。

 これまで〝敵〟の攻撃は一線を超えないように抑制されていた。純礼を奪取するという目的は明確だったが、特戦群に死者を出せば国際問題に発展しかねないと了解している証左だ。

 日米間の演習は古くから繰り返され、顔見知りの者も多い。特に特戦群は、ネイビーシールズとの共同訓練を常態化させている。覇を競いあうことは一種の〝遊び〟ですらあって、殺し合うことなど望むはずもない。

 プロ同士の語り合いなのだ。

 しかし民間人が巻き込まれて死に至れば、状況は一変する。

 いかに『実戦訓練だった』と強弁しても、正規軍ではないPMCが自衛隊の極秘施設を〝攻撃〟したことが隠しきれなくなる。

 シナバーの爆弾ベストは、彼らの〝言語〟には含まれていないはずなのだ。

 男が、流暢な日本語で叫ぶ。

「朝比奈純礼を連れて来い! 俺が手を離せば爆発するんだぞ!」

 誰かが説得を開始する。

「それでは君も死ぬぞ!」

「爆薬は少量だ。着せられた人間しか死なない!」

 爆弾魔の岩渕なら、製作可能な装置だ。そして岩渕は今、薬師寺の中に棲んでいる。

 彼らを取り囲んだ自衛官たちがグイッと前に出る気配があった。

 シナバーは顔面蒼白で、言葉も出せずにいる。足が小刻みに震えているのが見えた。

 篠原の背後に隠れていた純礼が小声で言った。

「わたし……行きましょうか?」

 笠木が叱責する。

「自分らの努力が無駄になります。信じてください」

 高山は不安を隠せない。

「しかし、あいつ、怯えてるぞ……」

 篠原が言った。

「彼女は朝比奈さんを信じました。震えていますが、耐えてもいます」

 笠木がマイクにささやいた。

「総員、指示を待て。狙撃手、1人は男の脊髄を、もう1人は爆弾ベストが落ちるように女性の肩を狙え」そして篠原に説明した。「極力反射作用を抑え、爆薬を彼女から離します」

「それでも重傷を負いかねません」

「最終手段です。その前に自分が交渉に出ましょう」

 そして笠木はゴーグルとマスクを外し、武器を捨ててホールに進み出た。

 両手を上げて指を開く。起爆装置を持った男に語りかける。

「行き詰まりだな」

 男が命じる。

「朝比奈を出せ!」

「そうしたところで、どうやって逃げる?」

「それは俺の考えることじゃない!」

 男の声は自暴自棄に聞こえた。

「だったら、誰が考えるんだ?」

「朝比奈を捕らえなければ、家族が殺されるんだ!」

 笠木にとっては意外な言葉だった。この男はPMCではない。

 ならば、誰なのか……。

 しかし笠木の言葉は落ち着いている。交渉に慣れた口調だ。

「つまりあなたは被害者だということですね。だったら自分ら特戦群が力を貸しましょう。警察より頼りになるし、法律に縛られた警察にはできないことも可能です。実力は思い知ったはずです」

「ここまで入り込まれたくせにでかい口を叩くな!」

「特殊部隊同士の実戦訓練を行なったまでです。勝つこともあれば負けることもある。だが、あくまで訓練です。しかし、人を殺せばその限りではなくなりますよ」

「俺はやらなければならないんだ!」

 と、男を囲んだ巨漢が不意に銃を捨てた。もう1人も続く。

「game over」たどたどしい日本語で加える。「カサギ。ツギハ、マケナイ」

 そして、ゴーグルを外してマスクをおろした。白人だ。

 笠木が言った。

「やはりトビーだったか。腕が落ちたんじゃないか?」

 トビーと呼ばれた巨漢が、肩をすくめる。

「ホットケ」

 しかし、シナバーを抑えた男は諦めないようだった。

「くそ……てめえら、馴れ合ってんじゃねえよ!」

 そして起爆装置を投げ出す。

 笠木は予期しない反応に、一瞬指示が遅れた。

 ホールに爆発音が響き、光の中に血飛沫が舞う。辺りが真っ赤な霧に包まれ、背後の壁が血に染まる。

 そして、シナバーが背中を押されたように膝をついた。

 だが……倒れたのは、起爆させた男の方だった。

 爆発音の残響が薄れていく。

 シナバーは爆弾ベストを着せられたまま、その場に座り込んで両手を見下ろしていた。そして、つぶやく。

「あれ……生きてんの? なんで……?」

 笠木が駆け寄る。隊員たちも警戒を緩めないまま集まってくる。

 倒れた男は首の半分を吹き飛ばされていた。脊髄が分断されたのは、確かめずとも見てとれる。体の下に血溜まりが広がっていく。

「狙撃手、撃ったのか⁉」

 命令がないまま撃ったとすれば、越権行為になりかねない。しかし特戦群の隊員は、自主的な判断を求められる立場だ。あり得ないことではない。

 どこからか返事が返る。

「撃っていません!」

「自分もです!」

 笠木が命じる。

「照明をつけろ!」

 ホールは明るい光に包まれた。

 篠原たちがシナバーに駆け寄っていた。

「高山さん、シナバーさんをよろしく!」

 高山がシナバーの肩を抱いて立たせ、その場から引き離す。

 シナバーは、うまく足を動かせない様子だった。背中にはべっとり血糊が張り付いていた。ぼんやりとつぶやく。

「なんで生きてんの……」

「素直に喜べ。死にたかったわけじゃないだろう?」

 純礼も手を貸す。

「お風呂、入ろう」そして声を上げる。「誰か案内してください! 怪我してないか診てあげて!」

 両腕を上げたトビーたちは身を寄せ、自衛官に囲まれていた。だが、緊迫感はない。多くは顔見知りだったようだ。

〝訓練〟は終わったのだ。

 笠木が言った。

「トビー、しばらく付き合ってもらう。負けた罰だ」

「シカタ ナイネ」

 笠木が部下に指示を出す。

 そして2人は、笠木の部下に別室に連れて行かれた。

 笠木はマイクに命じた。

「状況終了。ただし、周辺警戒は厳とせよ。戦闘の痕跡は可能な限り消すように」

 篠原は屈んで、倒れた男の血まみれのマスクを外す。

「まさか……」

 それを見下ろす笠木が言った。

「知っている人物ですか? 爆薬はこいつのボディアーマーに仕込まれていたようです。雇い主に騙されたんでしょう」

 篠原は言った。

「この男は、城紀明(じょう のりあき)。クラッカーです」

「会ったことがあるんですか?」

「報告書で写真を見ただけです。……薬師寺の中に、城の人格も含まれているんです」

「ということは……こいつも命を狙われていたということですか?」

「すでに殺されていると考えていました。警察が保護する前に姿をくらませていましたので。薬師寺に捕らえられていたんでしょう」

「ですが、なんだって自分を付け狙う犯罪者に協力するんですか?」

「さて、どうしてでしょうか……」

「『家族が殺される』というのは本当かもしれませんね」

「僕が読んだ報告書には、『城には家族がない』と書かれていました」

「はい? だったらなぜあんなことを言ったんでしょう?」

「その件は改めて調べさせます。隠し子がいたりするかもしれませんので。だとしても、自ら特戦群に突っ込んでくる理由があるでしょうか? 肉体派ではないはずなんですが」

「高度なハッキングが必要だったから、連れてこられたんでしょう。テクニックは群を抜いていたそうです」

「それは薬師寺の目的です。城が従う理由にはなりません」

「躊躇なくシナバーさんを殺そうとしていましたしね……」

「薬師寺は極めて冷静で知能が高いようです。僕らの前で城が死ぬように仕組んでいたんでしょう。本人は自暴自棄でスイッチを離したようですがね」

「ハッカーなら、理論的な思考ができるでしょうに?」

「薬師寺の中には刑部という詐欺師の人格も取り込まれています。人身掌握のプロともいえます。洗脳もできるのかもしれません。もしも城が投降するようなことがあれば、遠隔操作とかで爆殺したに違いありません」

「なんのために……?」

「殺すこと自体は、人格を統合して100パーセントの能力を奪うためだと考えています。しかし、あえて僕や朝比奈さんの目の前で殺すのは……『殺す意志もある』と誇示するためでしょう。そんなことをする意味がどこかにあるのか、考えてみないと……」

「殺人を見せつけている、と?」

「愉快犯ではありませんから、必ず意味はあります」

「確かに。お遊びだったら、背後で動いている組織が大きすぎます」

 そして篠原は口調を変える。

「襲って来たのは知り合いなんですね?」

「何度も合同演習をやってきたシールズ上がりの連中です。中東やウクライナにも派遣されたと聞きました。同業者の中ではそういう情報はすぐ広まりますから。PMCならルールに縛られないし、収入もいいんでしょう」

「特戦群の被害はどの程度でしたか?」

「死者はいませんが、骨折やナイフの傷を負った者は10人以上になるでしょう。肉弾戦の結果です。大損害ではありますが、実戦訓練としては成果は大です。相当やり返したし、あちらさんも自尊心がボロボロのはずです」

「本気の戦闘だったということですね?」

「実弾使用は最小限でしたが、機材も戦術もプロそのものです」

「それほどのPMCって、犯罪者が手配したり雇ったりできるものでしょうか?」

「合法スレスレの巨大マフィアなら可能かもしれませんが、明らかな反社組織は嫌います。彼らの顧客の大半は政府かグローバル企業ですから。薬師寺は高名な作家だと聞きましたが、だからといってそこまでコネや資金があるとは思えません」

「やはりネクストチップスですか?」

 笠木がうなずく。

「他には考えにくいですね。トビーは雇い主の情報は漏らさないでしょうが……近くの空港にプライベートジェットで降りれば、密かに武器を持ち込むこともできるかもしれません。軍隊まで引き連れてきたのでしょう」

「敵認定するしかないようですね」

「特にSNSの関連部門は中国べったりでしたから」

「ネクストチップスは薬師寺と――猟奇殺人犯と手を組んだと判断します」

「前所長の殺害に中国マフィアが使われたのなら、そう考えるしかないようです。しかしグローバル企業がなぜそんなことを? 代価には何を? 薬師寺は何が提供できるでしょうか?」

「おそらくは、朝比奈さんの能力の独占でしょう。CEOは彼女の占いを期待していたようですから。薬師寺が彼女を殺して全能力を奪えば、ネクストチップスだけのアドバンテージに変えることができるわけです」

「そこが解せないんです。所詮、占いでしょう? 国際企業がそこまでするものでしょうか?」

「朝比奈さんの占いは、いわゆる超能力に近いもののようです。現実にネクストチップスの商売敵の日本企業が、その占いで業績を伸ばしたという噂もあります。それを奪えるだけでも、価値は低くないと思えます。薬師寺が約束を守るかどうかは疑問ですが、ネクストチップスもそれなりの対応策は準備しているでしょうね」

 笠木にはどうしても納得できないようだった。

「とは言っても、他国で宣戦布告まがいの行動を起こすのは、行き過ぎかと……」

「次代を見据えた先進的な研究は、1000に3つも成功すれば上出来だと言われます。グローバル企業は、その3つを掘り当てるために巨額の開発費を注ぎ込んでいます。たとえ占いの結果であっても、それが1000に10個になるとしたらどうでしょう。莫大な利益をもたらすことになります。そして何より、薬師寺自身が超能力研究の貴重なサンプルです。もしもその能力を解明できれば、量子研究や通信技術などの基礎テクノロジーにブレイクスルーをもたらすかもしれません。新たな産業を越すことさえ可能かも。ネクストチップスの関心は、そちらに重点があるとも考えられます」

「なるほど……奇妙な世界ですね」

「この世界はそもそも、奇妙で不安定なものの積み重ねでバランスを保っているんです」

 と、笠木のスマホが鳴る。声が聞こえないように離れた笠木は、通話を終えて戻った。

 表情が沈んでいる。

「統幕に報告を上げさせたんですが、『今後は一切警察に手を貸すな』と命じられたそうです。間もなく正式な下命があるでしょう」

「ネクストチップスのゴリ押しですか⁉」

「ともいえそうですが……ここのセキュリティが破られた結果です。特戦群の部隊構成がゴッソリ奪われ、防衛相と統幕に送り付けられたようです」

「城が中に入ってきたのは、そのためですか……」

 笠木がうなずく。

「自分たちは身元を暴かれると、家族がテロリストに狙われたりします。ですので隊員の個人情報は機密扱いになっています。まだ特に要求はありませんが、今の攻防の最中に情報を抜かれたことは間違いありません。幸い、量子研究などの先端技術の成果は守り通せたようですが……それも、充分時間をかけて精査しなければ確信が持てません。『これ以上は動くな』という恫喝ですね」

「政府まで脅迫してきましたか……」

「米軍に直談判したことへの仕返しのつもりでしょうか。あなた方を仙台空港に送るように指示されました」

「では、出ていくしかありませんね。援護も武装もなしで、彼らと戦うことになるようですが……」

 笠木がかすかに笑う。

「そんなことはさせません」

「はい? でも命令が下るのでしょう?」

「命令されるのは、特戦群です。民間人なら問題はない……ことはないでしょうが、まあ、気持ちの問題です。辞表を出します」

 篠原が笠木を見つめる。

「辞表って……今、決めたんですか?」

「今、ここで決めました」

「なぜそこまで?」

「私怨を晴らすためです。自分を引き上げてくださった前所長を殺されたとなれば、部下が落とし前をつけなければ海外の軍人仲間からもバカにされます。……法を犯すことになるかもしれませんが、そこは篠原さんのお力でなんとかしていただけると助かります」

「そうは言っても、独断で構わないのですか?」

「自分らはいつ死ぬか分かりません。なので、後任は常に準備していますから」

 篠原の目が真剣さを増す。

「そこまでお考えなら、僕も本気を出すしかありませんね。あなたが力を貸してくだされば、戦闘力も格段に増しますから」

「単身では、できることは限られますがね」

「それでも、です。特戦群トップの知識と経験は何物にも代え難いですから」

「立場が逆になったようです。自分を臨時の警察官として採用していただけると動きやすいんですが」

「お安い御用です。その程度なら上もすぐに許可するでしょう。そう……SATの特別教官とかなら、即採用ですね。で、お願いがあります」

「なんでしょう?」

「ここにも医官はいますよね? 協力してもらえないでしょうか?」

 笠木がうなずく。

「今ならまだ、知らんぷりが効くかもしれませんね……今なら、ですが」

「城の遺体を調べたいんです。どうしても納得できないことがあって、それをはっきり確かめないとなりません」

「疑問な点があるんですか?」

「直感が疼くんです」

 笠木は迷わなかった。

「だったらすぐ始めましょう!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る