4・〝カップの4〟逆位置
パトカーはゆっくりと日銀前を進む。日銀本店警備派出所では警官たちが慌ただしく走り回っている。
ようやく息が落ち着いた高山が、篠原を非難するように言った。
「占いに命をかけるなんて、無茶です」
篠原は純礼の手を握ったまま、穏やかに応える。
「誰も傷ついていません」
「運が良かっただけでしょう!」
「死んでいてもおかしくない状況でしたよね。なのに、生きている」
「だから⁉」
「生きているのに、まだ信じられませんか?」
「だって、占いですよ! こんな緊急時に頼るなんて……」
篠原は、運転席の警官を見もしなかった。直感的に信頼できると判断している。
「誰もが信じているから、こんな事態になっているんです。襲撃者も、守る側も、誰もが、です。僕らも信じるしかないじゃないですか」
「超理系の篠原さんが、どうして……?」
「現象をありのままに認めて、その上で隠された真理を暴くが理系なんです。朝比奈さんの占いが当たることは僕も確信しました。ならば、なぜそんな現象が生じているのか、そこを見極めるのが科学です。人間の知識なんて、海に混じったバケツの水程度に過ぎませんから」
「見極められるんですか⁉」
「まさか。できるとしても、何世紀も後になるんじゃないですか」
「そんな!」
「極めて希少な事例ですからね。少なくとも、僕には無理でしょう」
「適当すぎます……だけど、なんでホテルに行かないんですか?」
「ちょっと考えたいんです。相手がいきなりこんな乱暴な手を使ってくるなら、市街地でうろうろしていると巻き添えが出かねません。ホテルが襲撃されたら、一般人にまで被害が及びます。大企業のCEOを巻き込みたいですか?」
「でも、こんなんじゃ別荘まで行き着けないでしょう。空が飛べるわけじゃないし……」
篠原は、意外そうに高山を見た。
「それ、採用です」
「はい?」
「だから高山さんを選んだんです。こうしてあっさりブレイクスルーをもたらしてくれますから」
「だから何が⁉」
「空、です」
「はい? ただの思いつきですって」
「思いつけることが才能なんです」
ドライバーの警官が割って入る。
「で、どちらに向かえば?」
篠原は高山に問う。
「高山さん、ヘリが降ろせる場所、近くにありますか?」
「ヘリって、なんですか⁉」
「警察でも自衛隊でも、ドクターヘリだって構いません。すぐに呼べる機体を呼び寄せます。だから、降りられる場所は?」
「いきなりそんな――」
「あるんですか⁉」
高山が篠原の語気に押される。
「あるにはありますが――」
「どこですか⁉」
高山が考え込む。
「近くのビルだと、ほとんどマルRか……深夜じゃ屋上まで出られないしな……」
「アールってなんですか?」
「緊急時にヘリは呼べますが、着陸ができません。機体の重量を支えられるほど頑丈じゃないけれど、ホバリングでなら対象を収容しても構わないという場所です」
「ちゃんとしたヘリポートはないんですか?」
「大手町側なら……。しかし、やっぱり深夜ですから、玄関を開けさせるだけで時間がかかりそうで――」
パトカーをゆっくり走らせる警官が言った。
「常盤小ならすぐそこです。陸上トラックがあります」
篠原が叫ぶ。
「それだ! そっちに回してください!」そしてスマホを出す。相手はすでに待機していたようだった。「常盤小の校庭にヘリの手配を! すぐにここを離れなければ危険です」
スマホから総監の声がもれる。
『襲撃からは逃れられたんだな? 負傷は?』
「怪我はありません。しかし安全になったとも言えません」
『殺された岩渕のここ数年の行動が分かった。中東のテロ組織で軍事訓練を受けていたそうだ』
「でしょうね。どうやって持ち込んだのか、大量のクレイモア地雷まで使ってきましたから」
『おいおい、軍隊並みじゃないか……。ホテルには向かわないのか』
「ホテルを爆破されても構わないんですか? 他にどんな武器を用意しているかも分かりません」
『それは困る。すぐに航空隊を動かす』
「急いでください。襲撃者に見張られている恐れもありますから」
篠原には、総監の背後で指示を出している部下の声もかすかに聞こえていた。大量の人員が投下され、対応に追われているらしい。〝テロの事後対策〟という名目があれば、大々的な捜査網を敷くことも可能になる。
ヘリは間もなく到着するはずだ。
『半径1キロの封鎖を命じた。捜査員を大量に送り込める状況に変わったので、不審者は逃さない』
「なるべく多くのパトカーを集めてください。常盤小周辺を特に厳重に。グレネードの犯人は?」
『一緒にいた集団も捕らえた。サバゲー仲間だと言っているが、まだ正体が確認できていない』
「おそらく、PMCが動いています。背後関係を洗ってください」
PMCは民間軍事会社の略で、〝軍隊〟も〝実戦〟も存在しない日本には本格的な組織は皆無だ。だがアメリカやロシアなどでは、修羅場をくぐり抜けた軍人の再雇用の場として重宝されている。逆に国家に雇われ、公には関われない〝現場〟に密かに送り込まれることも多い。現にロシアのウクライナ侵攻では、各国のPMCが前線や兵員教育で暗躍して戦禍を拡大していた。
プロフェッショナルな手際で罠を構築した〝敵〟は、明らかに〝戦場〟をくぐり抜けている手練れだ。情報収集能力も組織力も、平和ボケした日本人とは次元が違う。
確実に海外のPMCの猛者が薬師寺と組んでいる。
おそらくは、日本で目立ちにくい東洋人が集められたのだろう。
警察の常識で対応できる相手ではないことは、この襲撃だけを見ても疑いようがない。
『分かった。で、行き先は? 別荘に直行か?』
「離陸後に考えます。それなら先回りされませんから。ただし、スティンガーには警戒してください」
『スティンガー?』
「携帯式の地対空ミサイルです」
『それでは朝比奈さんも死にかねないだろう?』
「さっきのは……死んでも構わない、という規模の爆破でした」
一瞬、返事が遅れる。
『そこまで……。だったら、陸自のSでないと』
Sは〝特殊作戦群〟の略称で、日本では最も能力が高いとされている特殊部隊だった。
自衛官の中でも厳しい訓練を経て選ばれたレンジャーから、さらに厳選されたエリート集団だ。対テロ戦などで先頭に立つために、その戦力やメンバーは厳格に秘匿されている。隊員本人のみならず、家族や関係者がテロリストに狙われる恐れも高いからだった。
しかも彼らの教育理念は、通常の自衛官とは対極にある。
〝軍隊〟では規律や命令が絶対で、上官の指示を無視した勝手な行動は〝犯罪〟に等しい。しかし特殊作戦群――特戦群では、各自が自分で考えて目的を達する柔軟性が求められていた。
1人1人がある意味独立した行動体であり、破格の自由度を備えている。それだけに、知識や技能だけではなく、知能や国際感覚、そして忠誠心において極めて高いレベルが求められる組織だった。
スパイ機関とも呼ばれた、旧陸軍の中野学校に近い存在だともいえた。
彼らの力が加われば、おそらくはPMCとも互角に渡り合えるだろう。
篠原の脳裏に、新たな構想が広がる。
「だったら至急要請してください! 常盤小への降下許可もよろしく」
『了解した』
篠原はドライバーに命じた。
「サイレンを派手に鳴らしてください」
「了解! で、今の、誰ですか?」
篠原は隠そうともしなかった。
「警視総監です」
「はい……? こんな夜中に?」
「関係者全員、眠れないんです」
「あなた方……誰と戦争してるんですか?」
「僕もそれを知りたいです。ただラスボスを炙り出すには、もう少し時間がかかりそうです。ですので、この件は絶対に内密に。僕らを乗せたこと、今聞いたことは、一言たりとも他人に教えないでください。絶対に、ですからね」
「了解です。私も処分されたくありませんので」
※
常盤小の校庭に降り立った迷彩色ヘリコプター――UH60JAブラックホークから3名の制服自衛官が降り立つ。顔は黒マスクに暗色ゴーグルで、人相は全く分からない。
2人は素早く機体の両側に散開し、周囲を警戒する。短機関銃を構えていた。当然、実弾のカートリッジを挿入している。
ヘリのローターの回転は止まらない。ローターの角度を変えて揚力を抑え、すぐに飛び立てるアイドリング状態を維持している。
篠原らの前に出た隊員が言った。
「こちらへ。市ヶ谷から来ました、笠木三佐です。市街戦対応が必要だと説明されましたが?」
篠原はヘリに導かれながら説明する。
「相手はごく少数だと予測されますが、実戦経験と豊富な武器を所有しています。対テロ戦だと考えてください。実際、罠に追い込まれてグレネードとクレイモアで襲われました」
笠木は機体側面のスライドドアから中に入り、フェイスマスクとゴーグルを外す。かすかに笑っていた。
「ほう……要人警護と聞いたのですが……楽しそうですね。生きて脱出できて、なによりです。しかし、本気で対空ミサイルまで警戒しろ、と?」
篠原は乗り込みながら言った。
「ない、とは言い切れない現状なのです。で、守っていただくのは、この女性です」
純礼が頭を下げた。
笠木が純礼の手を引いて機内に引き上げる。
「あなたがた3人、我々が責任を持ってお守りしましょう」
高山はドアの前に立ったまま、乗り込もうとしない。大声で叫ぶ。
「篠原さん! 自衛隊まで出張ってきたなら、俺はもう不要でしょう⁉ たかが刑事じゃこれ以上役にたてない!」
篠原がヘリから手を伸ばす。
「とんでもない。この先、何が起きるか分からないんです。最後まで付き合ってもらいますよ。ほら、掴まって!」
高山は手を後ろに回して一歩下がった。
「なんで⁉ 俺だって命は惜しいですって!」
「人手が必要になるかもしれないからです」
「欲しいのは弾除けでしょう⁉」
「要人警護は警官の立派な職務です。総監からも指名されたんでしょう⁉」
「あなたが要求したんじゃないですか!」
「ほら、急いで!」
高山はがっくりと首を落とす。
「所轄の刑事なんですから、縄張りは超えたくないんですけどね……」言いながら、篠原の手を跳ね除ける。「1人で登れます!」
篠原が笑う。
「事件発生が蔵前署なんですから、誰も非難しません。胸を張ってください」
「そりゃ、総監の名前を出されたら逆えるはずもないですがね……」
笠木が篠原たちにマイク付きのヘッドフォンを手渡していく。
「これで耳を塞いでください。マイクを通じて会話もできます」
機械油の臭いが充満する機内には、パイプに布を張った無骨な椅子が4脚並んでいる。乗り心地などは意に介さない、兵器の仕様だ。
全員がヘッドセットを装着して席に着くと、笠木がドアを閉じる。途端に周囲に巻き起こる音が大きくなって機体が揺れ、上昇していく。
周辺警備に付いた2人は地上に残された。
篠原が問う。
「彼らは?」
「市ヶ谷から迎えが来ます。我々も、この状況を調査する必要がありますから」
純礼はすでに膝の上でタロットを両手で切り、1枚を選び出していた。そのカードを無言のまま、じっと見つめている。
笠木が確認する。
「行き先は軽井沢のネクストチップス所有地でよろしいですね?」
だが篠原は即断した。
「それ、保留です」
「では、どこへ?」
「しばらく上空で待機していただきたいんですが」
笠木は隊と連絡を取って二言三言交わすと、うなずいた。
「了解しました。地上から攻撃できない高度で待機します」
篠原は純礼の手元を覗き込む。
「朝比奈さん、何か見えましたか?」
純礼は自信がなさそうだった。
「〝カップの4〟逆位置。計画を変更した方が良い結果が出せるようなのですが……」
「自信がありませんか?」
「いえ、これほど多くの方々が動いてくださっているのに、わたしが勝手に計画を変えるのはどうかと……」
「了解です」そして笠木を見る。「やはり待機をお願いします。上とすり合わせしたいので」
笠木は意外そうだった。
「タロットで決めるんですか……?」
篠原は確信を持って言い切った。
「タロットのおかげで生き残れましたから。それに、朝比奈さんがこれほど重要視されるのも、この能力が信頼されているからです」
笠木もそれで納得できたようだった。ニヤリと笑う。
「なるほど。相当上から降ってきた政治案件だと感じていましたが、そういうことなんですね」
「ぜひ、ご内密に。このヘッドセット、マイクは切れますか? 電話をかけたいので」
篠原はスマホを出して笠木に見せる。
笠木は篠原のヘッドセットに手を伸ばし、スイッチを切った。
篠原はヘッドホンの片耳を外してスマホを思い切り顔に近づけ、口の周囲を手で覆った。
「総監、陸自に収容されました」
『その雑音……ヘリか? 聞き取れるか?』
「なんとか。行き先はネクストチップスから変更します」
『やはりか。理由を聞きたいが?』
「相手が悪すぎます。襲撃は計画的で緻密、罠は狡猾で効果的、その上武器は潤沢です。PMCと手を組んだとしか思えません。先ほどの襲撃は、あえて自分たちの力を誇示する行動だったと考えられます。このままネクストチップスに頼ると、大きな被害を与えてしまうかもしれません。破壊活動にCEOまで巻き込むと、国際問題化が防げませんから。たぶん、僕らを軽井沢から遠ざけるための手段だったのでしょう」
総監も反論しなかった。
『現場の様子が送られてきた。君の言う通り、いかにも乱暴なやり口だな。しかも、意図して被害を大きく見せている。よくもまあ無事だったものだ』
「朝比奈さんのおかげです。あの攻撃を民間人に向けさせるわけにはいきません」
『こちらでも同様の判断を下した。実際にグレネードを使ったのはサバゲーの常習者たちで、「市街戦の教習素材の撮影だ」と言われてアルバイトを引き受けただけだという。雇い主の素性はよく分からないそうだ。「あまりに真に迫っていたので驚いた」とまでうそぶいたとか。当然、都合が良すぎて信用しきれない』
「取り調べは誰が?」
『中央署の坂本警部が頭だ』
「ベテランですね。彼の印象は?」
『意識を操られているというか、洗脳されているような雰囲気だそうだ』
「薬師寺はそんな手段も使えるのでしょうか……」
『坂本の第一印象だ。まだ何も証明されてはいない』
「第一印象なら、余計に重要に思えます」
『君は直感を重要視する男だったな。確かに、彼は経験も実績も豊富だ。信頼はできる』
「徹底的に背後を洗ってもらってください」
『見逃しはないだろう』
「他の襲撃者は捕らえられましたか?」
『それが全く見当たらない。最初からいなかったのかもしれない』
「それはないと思いますが……包囲を破って逃走したのなら、やはりプロでしょうね」
『クレイモアの罠やビルを破壊した手際も破壊工作に慣れた者の手口だ。目の前の日銀警備員にも全く気付かれずに仕掛けている。彼らは不審者や異音には敏感なはずなのに、だ。我々が移送計画を煮詰めてしてからごく短時間でそこまでできたのだから、薬師寺は相応の技量を持つ組織を駆使している』
「すでに〝戦略家〟の能力も身に付けていると考えています」
『こちらもその線で対応策を練り直す。日銀周辺はすでにテロ対策の厳戒態勢に入って、包囲も固めた。襲撃自体はガス爆発として隠蔽するが……実行犯が網に掛かるかどうかは疑問だな』
「ガス爆発という言い訳、マスコミに通じますか?」
『報道各社の幹部には、「日銀を狙ったテロだ」と説明して、しばらくは報道を抑えるよう要請する。いずれどこかから漏れるだろうが、泥を被るのは政府だ。その程度の協力はしていただく。今は時間が必要だ。朝比奈さんは守らなければならないが、これ以上の被害を出すわけにもいかない。君には何か考えがあるんだろう?』
「こっちも罠を仕掛けるしかないと思われます。薬師寺を誘き出して捕らえないと、危険を根本から断つことはできません」
『同感だが……具体案は?』
「誘い出す場所が用意できますか? 大規模な破壊活動を受けても周辺に影響が及ばない地域が必要です。相手は暴力を躊躇しない組織だと考えるしかありません。どこか適地が準備できませんか?」
『当たってみよう。朝比奈さんを守りたい有力者は1ダースでは効かない。民間企業の所有地なら、なんとかなるはずだ』
「それと、情報のリークには万全の防御体制を。ハッカー対策は強化していただきたいですが、署員の他愛ない会話から計画が予測されてしまうこともあり得ます。薬師寺の中にはハッカーと詐欺師の人格が宿っています。ソーシャル・エンジニアリングは案外見逃されやすいですから」
ソーシャル・エンジニアリングは、人のミスや行動の隙につけ込んで情報を盗むテクニックだ。肩越しに暗証番号を覗き込むショルダーハックや、パスワードを記したメモを探すようなやり方が主体で、電子的な知識よりも詐欺師のテクニックが活躍する分野だ。
ハッキングにおける重要性は大きな比重を占める。
『了解した』
「僕たちの車両がピンポイントで狙われたことから考えると、遊撃車の手配情報も察知されていたのでしょう。警察無線や電子情報の伝達ルートは全てを監視されていると考えてください」
『対抗策を指示しておく』
「ですが、あまり厳格に締めしすぎないように。計画が煮詰まったら、偽情報を送り込むかもしれませんので。疑われない程度に、穴は残しておいてください」
『難しい注文だな』
「そういう知恵比べが好きな方々は科捜研にもいるんじゃないですか? 以前組んだことがある〝シナバー〟さんが本部の科捜研で嘱託技官をしているはずです。どんなメンバーなら対策が打てそうか、彼女に相談してください」
『シナバー?』
「彼女のあだ名です。本名は大河内辰砂(おおこうち しんしゃ)さんです。小宮山管理官とも懇意のはずですから、ぜひチームを作らせてください」
辰砂は赤の顔料や水銀の原料となる鉱石の名で、「賢者の石」の別名も持つ。英語名がシナバーで、革新的な変化をもたらすパワーストーンとしても珍重されている。
『分かった。ところでこの回線は大丈夫なのか?』
「警視庁最高のセキュリティ対策を施してあると聞いています。ですが、用心は怠らないでください」
『しかし、これから立てるプランまで悟られたらどうするのだ?』
「悟られているという前提で対策を用意しておきます。だからこその知恵比べ、なんです」
『君……何やら、楽しそうだな』
「命がかかってるんですから、失敗はできません。楽しんでいる余裕はありません」
『それはどうだか……だが、君には期待している。では、退避地が選定でき次第こちらから連絡する』
「お願いします」
そして電話は切れた。
傍らで聞き耳を立てていた笠木がぽつりともらす。
「あなた、自衛官になる気はないですか?」
篠原が苦笑いをもらす。
「こんな時にリクルートですか? ダメですよ、嘘でも聞いていないフリをしてくれないと」
「そうではなくて、特戦群の訓練用に極秘の施設があるんです。そこにテロリストを呼び込めれば、我々も真剣な実戦訓練を行えるかな……とも期待しまして」
篠原の目が鋭く変わる。
「面白い話ですね。施設とは、どのような?」
「敷地はおよそ東京ドーム20個分。福島県の山中ですが、震災以降ほぼ無人の地域になっています。取り残されたIT企業の研究所を買い取って、隊員の訓練や最新兵器の実験も進めています」
篠原が手で制する。
「おっと――それ、僕が聞いてもいいことなんでしょうか?」
笠木は動じない。
「上は了解済みです。実は、あなたの才能を特戦群にもお貸しいただきたいというのが以前からの希望でして。警察に先を越されたと悔しがっている技術幹部もいます。今回の要請でようやくお近づきになることができました。上の方は横のつながりが強いようですので、話はすぐに通ると考えます」
「ずいぶん話が煮詰まっている口ぶりですね」
笠木がニヤリと笑う。
「自衛隊も資金繰りには苦労していましてね。この件に絡めれば、財務省も協力を拒否できないでしょう。望ましい予算措置も得られるかもしれません。その施設、酷使しているので大規模補修が必要なもので」
「訓練施設なのに大きな資金が必要なのですか?」
「技術開発の研究所も併設していますので。最先端の量子技術も暗号を中心に研究しています。軍事関連に特化はしていますが、民間へのスピンオフも充分に期待できます。予算のみならず、あなたという頭脳が得られるのなら、これほど力強い後押しはありません。いっそ、対テロリスト戦で研究所を廃棄に追い込んで、新築したいものです」
「それは大胆な提案ですね。ですが、僕は量子研究の第一線からは遠ざかっていますよ」
「それでも、うちの研究員はあなたを慕っています。あなたのアイデアは突き抜けていた、とか」
「お陰で少し精神を病んでしまったんですがね。とはいえ、あなたはそれほどの決定権をお持ちなんですか?」
「自分は研究所――正式には『福島駐屯地第3派出訓練団』となっていますが、そこの管理も任されています。実は階級も、正しくは一等陸佐です。特戦群の群長でもあります。市ヶ谷に滞在していたのはたまたまでしたが、研究所の管理については大幅な決定権を預けられています。通常50名程度の隊員が訓練に従事していますが、彼らも自由に使っていただいて結構。実戦となれば断るはずもない〝はみ出し者〟ばかりですから。ちなみに、1人で並の自衛官10人以上の仕事ができる連中を揃えています」
「だとしても、こんなに簡単に決断していいんですか? 自衛隊全体のすり合わせとか、政府の了解とか――」
「あなたのことはずっと追いかけてきました。今回のトラブルもまた、興味を持って見守っていましたので、準備はすでに終えています」
篠原は気づいた。
「だから群長が送られてきた、と?」
「ご想像のままに」
「まあ、これ以上の提案は望めないでしょうね。総監に提言します」
と同時に篠原のスマホが鳴った。
モニターを見た篠原がうなずく。
「いいタイミングです。総監からです」
スマホに出るなり、総監が言った。
『場所が決まった。福島の――』
「特戦群の研究所ですか?」
『知っていたのか?』
「今、笠木一佐――いや、三佐から提案されたばかりです」
『なるほど、手が早いな。では、今後は君たちは警察の管理下を離れることになる。名目上は出向で、臨時の自衛官として行動してもらうことになる』
「話が急すぎますが……了解しました」
『健闘を祈る。当然口外は無用だが、薬師寺柾及びその支配下にあるテロリストに関しては警察の管轄外にあるものと考えたまえ。捕らえる必要はない』
「脳科学の研究対象として保全しなくてもいい、と?」
『薬師寺が脱走した時点で、研究は終了した。犯人追跡時に事故が起きるのは珍しいことではない。後始末は任せてくれて構わない』
「それも了解しました」
『では、これで切る。君たちの情報も警察内では更新されない。その心構えで』
そして、通話は一方的に終わった。
純礼の手には、新たなカードが現れていた。
「〝ワンドのエース〟逆位置……『空回り』ですね……。良い結果にはならないかもしれません」
篠原がため息をもらす。
「それでも、他には手段はないようです。未来は、現在の行動で変えられるものでしょう?」
しかし、純礼の不安げな表情は消えない。
「これは運命。宿命なら変えられませんが、運命は努力や巡り合わせ次第で揺らぐ可能性も……」
笠木がほほえむ。
「タロットを司る神の御託宣ですか。神の気まぐれに抗うなんて、武人の本望じゃないですか」
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