第24話 意外な接点
暦の上では初秋だが、まだ暑い日は続いている。
炎天下の横浜市内――、灼熱の太陽が容赦なく地面を照りつけている。
アスファルトは溶け出しそうなくらいに熱く、そこを歩くだけでもまるで焼けた鉄板の上を歩くようだった。
横浜市中区桜木町――。
桜木町の駅前には、横浜ランドマークタワーがそびえ立っている。
みなとみらい地区のランドマーク・シンボルとなる、超高層建築物である。
その高層ビルは、まるで横浜の未来を象徴するかのように空へと突き抜けている。その足元に広がる街並みは、新旧が絶妙に融合した風景を描き出していた。
この日も県警の捜査員たちは、事件解決に向けて聞き込み捜査に動き回っていた。
捜査一課三係警部補・綱島左門は、額に
周りを見渡すと、同僚の刑事たちも同じように汗だくである。
刑事は足が基本――、綱島がまだ新人の頃、よく先輩刑事に言われたものだ。
「こんな日には冷えたビールでも飲んで、のんびりしたいもんですね。綱島警部補」
隣を歩く、綱島の相棒がぼやいた。
綱島は苦笑しながら
「それは同感だが、まずはこの事件を片付けないとだな」
と、返した。
この街で起こった連続殺人事件の捜査は、すでに数週間に及んでいた。
被害者はすべて異なる場所で発見されたが、犯人の影は一向に見えてこない。
これでもかと炙ってくる日差しに辟易しつつ、被害者が殺害される日まで何処で誰に会っていたか、痕跡を求めて街をさまよう。
近くの公園ではボランティアによる炊き出しが行われ、ホームレスたちが並んでいる。
大桟橋近くで殺されたホームレス『ゲンさん』について彼らに訪ねてみると、知らないという答えが返ってきた。
が――。
「そいつじゃねぇが――、他の奴なら男と揉めていたぜ?」
ホームレスの一人がそう言った。
「男?」
「ほら、殺されたなんとかいう評論家――」
綱島は瞠目した。
まさかホームレス殺しで、その人物の名前が出くるとは思っていなかった。
「もしかすると、この人物か?」
綱島はその人物の写真を見せた。
「そう、こいつだ。そいつ凄い剣幕で殺してやるって叫んでてよぉ」
やっぱりか――、綱島は天を仰ぎたくなった。
彼が見せたのは、本郷孝宏の写真だったのである。
「その男の名は?」
「名前は知らねぇ。みんなは“シャチョウ”って呼んでるからな」
その男はホームレス仲間に「自分は社長だった」と語っていたらしい。
その自称・社長が本郷孝宏と揉めていた場所は、赤レンガ倉庫広場だったらしい。
日付は八月の初め、時間は夕方の五時頃だったという。
美術評論家とホームレス――、意外な取り合わせに綱島は驚いたが、一連の事件は繋がっている気がする綱島であった。
◆
日夜、県民の安全を守る警察にも昼は来る。
腹が減っては戦はできぬではないが、この時間を楽しみにしているこの男にとっては、時計の針が十二時を指すのと同時に席を立っていた。
「そのやる気……、
特殊捜査班警部補・明石倫也が渋面で促してくるも、特殊捜査班巡査部長・築地圭介はへらっと笑って廊下に出た。
だが――。
「げっ……」
昼食を外で摂ろうと県警一階に下りた築地は、自動ドアから入ってきた男を視界に入れると
やって来たのは捜査一課管理官、新庄宗一郎である。
三つ揃いのスーツを着こなし、銀縁の眼鏡をかけている。
特殊捜査班の面々は、彼が苦手である。
彼は神経質な性格で、眼鏡越しに鋭い視線を向けてくるのだ。
ゆえに新庄の視線を感じると蛇に睨まれた蛙のごとく、固まってしまうのである。
特殊捜査班も指揮下に置く、一課長という地位でなかっただけ幸いだが、捜査一課ナンバー2の男である。いつかは一課長になるかも知れないという噂もある。
そうなれば、特殊捜査係は果たして存在しているか否か。
その新庄が築地に気づき、足を止めた。
「確か――、築地巡査部長……でしたね?」
新庄は眼鏡を指先で軽く押し上げ、目を細めた。
嫌な奴に捕まったな――と、築地は思うものの、逃げ場はない。
捜査一課は現在、加賀町署に捜査本部が立てられ、新庄が陣頭指揮をしているはずである。
「今日は、彼は?」
「は……?」
築地の反応に、新庄の視線がきつくなる。
「天城特殊捜査官です」
「あ、ああ……。七階にいるかと」
七階には食堂があり、天城の今日の昼食の場所はそこらしい。
築地は日本大通り沿いにある洋食屋で、トロトロオムライスを注文する予定だった。
日本大通りは横浜市中心部の関内地区にあり、神奈川県庁などが位置する官庁街となっていた。
中央を北東・南西に日本大通り、北西・南東に本町通りが貫き、港郵便局前交差点で交わる。
北東は海岸通りを挟んで、県警本部がある海岸通、南東は大桟橋通りを挟んで山下町、南西は横浜公園、北東はみなと大通りを挟んで元浜町・北仲通・本町・南仲通・弁天通・太田町・相生町に接する。
港郵便局前交差点の北は、キングの塔の別名を持つ神奈川県庁本庁舎、東は横浜港郵便局や横浜開港資料館、県庁分庁舎、南は中区役所や横浜情報文化センター、西は横浜地方検察庁や横浜地方裁判所、横浜簡易裁判所、日本銀行横浜支店などが位置している。
「そうですか。ところで――、捜査は進んでいるのですか?」
早く開放してくれないかな――、という築地の思いを他所に、今日の新庄はしつこかった。
これでは、まるで尋問である。
「えっ、あ、まぁ……、ははは……」
ついいつもの癖で笑ってごまかしてしまう築地だったが、新庄は特殊捜査班の捜査の進展が気になるらしい。
「彼は犯人についてなんと?」
「特になにも……」
「わかりました」
新庄は何故か、自動ドアの方へ向き直った。
そしてそのまま、外に出ていってしまう。
いったい彼は、何をしにきたのか――。
お陰で築地は、新庄に捕まってしまったために昼時間が十分近くも削がれ、外に出ることを諦めざるを得なくなったのであった。
◆◆◆
神奈川県警・七階食堂――。
十二時半、昼下がりの喧騒が少しずつ落ち着きを見せ始めていた。
古びた時計が壁に掛かり、その秒針が静かに時間を刻んでいる。
この食堂は、県警内の誰もが集まる場所だった。
巡査から刑事、事務職員まで、階級や役割を問わず、ここでは皆が同じ空間を共有している。
天城は窓際の席に陣取り、片手でスマートフォンを操作しながら『今日のランチセット』を腹に入れていた。
海老フライとクリームコロッケに、グリーンサラダとコンソメスープとライスがついて五百円という財布に優しいコースである。
天城が見ていたのは、宝永堂という万年筆専門店のウェブサイトである。
彼が本郷邸から先にある空き地斜面で拾い、科研に分析を依頼した万年筆は、ここの限定品だった。
ただ、その万年筆からは一切の指紋が出なかった。
誰かが落としたのなら、その持ち主の指紋があって良さそうなものを、それには付着していなかったのだ。
推測されるのは、誰かがわざとあの場に放置したということだ。その誰かは手袋をしていたか、布に包んで万年筆を置いたかしたのだろう。
なぜその誰かは、そんなことをしたのか――。
「ここ、いいですか?」
天城が座る正面に、築地がトレイを手に立っていた。
「外に食べに行ったんじゃなかったのか?」
「行こうしたんですが、新庄管理官に捕まりまして……」
築地はそう言って、頭をかく。
「いつかはと思っていたが、お前……なにをやらかしたんだ?」
築地はいわゆるお調子者で、どうやって巡査部長までになれたのか謎だ。
築地は天城の言葉を否定した。
「なにもしてませんよ。あの
「あの
新庄が天城をよく思っていないことは今に始まったことではなく、気にする天城ではなかった。
「でも、妙なんです。来たと思ったから出ていったんです。あの
それはお前もだろう――と、喉まで出かけた天城だが、彼はなにも言わなかった。
昼食がすみ、天城は特殊捜査班の部屋で戻ろうとした。
これから、万年筆専門店『宝永堂』に行ってみるか――、彼はそんなことを考えていた。
宝永堂は関内・馬車道に店舗があるらしい。
そんな天城のスマートフォンが、着信を報せてきた。
『――俺だ』
電話の向こうから、野太い声が聞こえてくる。
なぜ俺はこの男に電話番号を教えたんだろう――と思いつつ、天城は嘆息した。
電話をかけてきたのは、捜査一課三係の綱島であった。
綱島が天城に話しかけてくるといえば、大抵は捜査協力だ。
先ほどまで新庄管理官の話をしていただけに、今時点で三係の事件に首は突っ込めない。
「言っておきますが――」
そう言って断ろうとした天城の言葉を、綱島が遮った。
『そっちの本郷孝宏殺し――』
「え……」
天城はなんとなく、嫌な予感がした。
綱島は話を続けた。
『こっちの事件に、本郷孝宏が関わっているようなんだ』
天城の思考が、一瞬停止した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます