第21話 捜査本部設立

 この日――、築地圭介は、いつもより十五分遅く出勤してきた。

 何処の警察でも、出勤時間は八時半である。

 しかし彼が神奈川県警本部刑事部捜査一課・特殊捜査班に到着したのは、午前八時四十五分――、完全な遅刻である。

 

「おっはようござまーす♪」

 軽いノリの築地の挨拶に、捜査一課特殊捜査班警部補・矢田喜一が眉間に皺を刻んだ。

「おはようじゃない。何時だと思っているんだ?」

「聞いてください、矢田さん。ついに魔王ジーストを確保しました」

 魔王ジーストとは、築地がはまっているネットゲームのラスボスらしい。

「……は?」

 満面の笑みで返してきた築地の態度に、小言を言おうとしていた矢田の思考は停止しかけたかも知れない。

 矢田は開きかけた口を開けたまま、固まっていた。

 築地がゲーム好きだと知っている明石は「またか」みたいな顔をしていたが、ゲームなどやったことがないという矢田には、理解不能だろう。

 そんなやりとりを近くで見ていた明石が苦笑して、天城がいるデスクにやってきた。

 

「さっき、一課の前で小耳に挟んだんだが――、加賀町署かがちょうしょに捜査本部が立てられるそうだ」

 明石からは、先ほどまであった呆れ顔と、それに伴う笑みは消えている

 加賀町署は市内中区を管轄する所轄警察署である。

 重要な事件や事故が発生すると、警察は事件や事故が発生した場所を管轄にもつ警察署に、捜査本部を設置する。

 捜査本部を設置するのは、発生した事件や事故の捜査をより効率的に行うために、捜査で得られた情報を本部に集約して処理する必要があるからである。

 捜査の進展状況がすぐわかるのはもちろんのこと、事件解決へ向けて捜査にあたる警察官に、最新の情報をもとにして的確な指示を与えられるという目的もあった。

 

「加賀町署といえば……」

 参考人調書に目を通していた天城の頭に浮かんだのは、港を一望するある公園である。

「そう、山下公園が目と鼻の先だ。どうやら本郷幸恵殺しの犯人ホシと、大桟橋のホームレス殺しの犯人ホシは同一人物と断定したようだ」

 二件とも捜査を担当したのは一課三係の警部補、綱島左門だ。

 なぜ時間も場所も違うのに犯人が同一人物としたのか、それはホームレス仲間の証言らしい。そのホームレスによると、被害者はサングラスをした男から金を受け取っていたという。しばらくして目撃者のホームレスは街の中で、その男を見かけたらしい。

 男は花柄ワンピースの美女と、レストランにいたらしい。

 男はそのときもサングラスをしていたそうだが、一課は本郷幸恵を毒殺したのも、その男だと思っているようだ。

 

特殊捜査班うちに話が?」

 天城はそう明石に聞いた。

 いつもなら一課本体だけでは手が回らないと、特殊捜査係に応援の声がかかるからだ。

 だが明石は、渋面だ。

「来ると思うか? 陣頭指揮を執るのはあの新庄管理官だぞ?」

 捜査本部が立てば、前捜査員を束ねるのは管理官かれだ。

 新庄は特殊捜査班を“おまけ”と思っている。

 要するに、あてにされていないのだ。

 特殊捜査班班長長・神埼によれば、ある事件を一課一係と捜査をしているときに、意見を言おうとすると「特殊捜査班あなたがたの意見は聞いていません。我々の足を引っ張らないよう、お願いします」と言われたらしい。

 

「明石さんも、新庄管理官は苦手ですか?」

 よほど嫌なのだろう。

 明石の眉間に刻まれた皺が深くなった。

「なんかあの人に睨まれると、生きた心地がしないんだよなぁ……」

 そう言って明石は、視線を天井に運ぶ。



 昼になった。

 天城の午前中の仕事は、デスクワークが中心だった。

 いつもは気にならないデスクワークだが、座りっぱなしというのは健康に良くないなと実感している。

 デスクワークでも大抵は資料室に行ったりと席を立つが、この日の午前中はトイレに行くために席を立っただけで、別段行くところはなかった。おかげで、尻が痛い。

 どうして事務椅子というのは、あんなに固いのか。

 昼食を外で摂ろうと、天城は一階に下りた。

 

「事件の進展は!?」

 突然耳に飛び込んできた騒ぎに、天城は視線を巡らせた。

「もう四人も殺されているんですよ!? 犯人の目星はついていないですか!?」

 エントランスロビーの自動ドア――、捜査員と思われる男たちにマスコミが迫っている。

「答えてください!」

 捜査員かれらは鬱陶うっとしそうに渋面で口を曲げていたが、群がるマスコミに、口を開くことはなかった。

 そんな彼らから「ちょい、ごめんよ」と言って顔を出した男がいた。

 捜査一課三係の、綱島左門警部補だった。

 

「よぉ」

 天城を見つけた綱島が、手を上げてやってくる。

「大変そうですね」

「マスコミが騒ぐのはいつものことだ」

 綱島は、首の後ろを片手で掻きながら苦笑する。

「中央署に捜査本部が立つそうですね?」

一課長いちかちょうが、上から事件の早期解決をせっつかれたのさ」

「真犯人は、サングラスの男ですか……」

「大半の捜査員はそう睨んでいる。だが、確証がない。そいつが本郷幸恵と、ホームレスを殺害したという確かな証拠がな。例のホームレスに似顔絵の協力を頼みに行ったんだが、ヤサはなくなっていてな……」

 

 おそらく、行政代執行による撤去が行われたのだろう。

 綱島が意味深な視線を寄越してくる。

 

「……残念ながら、協力しませんよ。俺が一課の件に絡むと、新庄管理官を直に刺激することになります」

 天城は「では」と一礼して、綱島と別れる。

 それから天城は、マスコミで塞がれた表口ではなく、裏口から外に出ることにしたのだった。 

 

  ◆◆◆


 神奈川県警加賀町警察署――、捜査本部の会議が行われる会議室の扉横には『本郷幸恵殺害事件・大桟橋ホームレス殺害事件捜査本部』と書かれた紙が貼られていた。

 事件を仕切ることになった県警捜査一課管理官・新庄宗一郎は、中央署長とともに入室した。

 すでに県警捜査一課一係と、加賀町署の捜査員、さらに事件の鑑識作業を担当した県警鑑識課の古澤渉などが新庄たちを待っていた。

 会議室の長いテーブルの中央に置かれたホワイトボードには、赤と青のマーカーで書き込まれた事件の概要と重要な手がかりが整然と並んでいる。

 部屋の隅には、壁一面に張り出された地図や写真、そして証拠品のリストが一目でわかるように貼られていた。

 捜査員たちは誰もが沈黙を守り、その目は鋭く、まるで何かを見逃すことを恐れるかのように細かい情報を見逃さないようにしていた。

「全員起立!! ――、敬礼!」

 立ち上がった捜査員たちは、一糸乱れぬ動きで敬礼をした。


「では会議を始める。まずは事件の概要を」

 これに、一人の捜査員が手帳を手に立ち上がった。

「――第一の被害者・本郷幸恵ですが、事件当夜の午後六時頃に車で出かけていくところを近所の住人が目撃していました」

「被害者は車の所持を?」

 新庄は、眼鏡を指先で押し上げると質問した。

「いいえ、誰かが迎えに来たようです」

「その目撃者は、運転者は?」

「夜だったため、暗くて見ていないとのことです」

 すると寝所の隣にいた加賀町署署長・大塚が話しかけてきた。

「新庄管理官、その運転者が容疑者の可能性がありますな」

「まだ決めるのは早いでしょう。綱島警部補、現場に臨場したのはあなたでしたね?」

 新庄の問いかけに、前列に座っていた綱島が立ち上がった。

 

「はい。本郷邸のある山手町から殺害現場となったホテルまでは四十分です。おそらく、松島氏と食事をしたあとに、被害者だけホテルに入ったものとみられます」

「確か報告では、その男は被害者と男女の仲にありましたね?」

「はい。食事をしたことも認めましたが、殺しは否認しました。被害者と偶然街で再会し、食事に誘われたそうで、現在の男から高級ブランドの香水をプレゼントされ、つけてきたと語ったそうです」

「その香水に毒が仕込まれていたと――、見ているんですね? 綱島警部補」

「はい」

 綱島の目が一瞬泳ぐ。

 おそらく香水にたどり着いたのは、特殊捜査班の天城宿禰の存在だろう。

 モノの声を聞くというのも胡散臭いが、もっとも気に入らないは彼が県警本部長の抜擢により、捜査一課に異動してきたことだ。

 幸い一課自体に来ることだけは浦戸捜査一課長に抗議して阻んだが、なぜ皆はあの男を頼るのか。

「わかりました。引き続き捜査をお願いします」

「はい」

 綱島の声は落ち着いていたが、その裏には焦燥感が感じられた。

 捜査はすでに数週間にわたって続いており、犯人の行方は依然としてつかめていない。

 時間が経てば経つほど、証拠が薄れ、目撃者の記憶も曖昧になっていくのだ。

「次に大桟橋のホームレス殺害事件について――」

 進行役の言葉に、鑑識の古澤が立ち上がる。


「現場から見つかった、複数の指紋の分析結果が出ましたが、前歴者からもヒットする人物はいませんでした」

「ビールの空き缶からは、被害者の指紋しか出なかったんでしたね?」

 新庄の問いに、古澤は「はい」と答えた。

 会議はさらに続き、各刑事がそれぞれの担当分野での進捗を報告し合った。緊張感は途切れることなく、全員が自分の役割を果たすべく集中していた。

 新庄は、県警警務部長・福島との会話を思い出していた。

 


「君にやって欲しいことがある」

「それはいったい――」

「あるデーターを極秘に処分してほしい。それがあると、困ったことになるのだ。警察にとっても、な」

「福島警務部長……」

「君の夢はいずれ警察庁に戻り、捜査一課長になること――、違うかね?」

 福島はそう言って、ふっと笑う

 刑事となったからには憧れる、捜査一課長の座――。

 それも警察庁ともなれば、キャリア組である新庄には叶えたい野望だ。


 ――あなたには、わからないでしょうね。


 天城の顔を思い浮かべ、新庄はひとり笑みを浮かべていた。

  

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