第15話 聞き込み捜査

 神奈川県警本部は地上二十階からなる県内所轄のトップに立つ警察機関である。

 一階には広報センターや、県民相談センター。二階には最新の交通管制センターと通信指令室、それと機動捜査隊。三階は交通課と会計課。四階からは刑事部で、捜査一課、取調室、鑑識課。五階は捜査二課と、生活安全課がある。

 他にもいろいろあるが、食堂や喫茶室がある七階より上は、凄腕の刑事だろうと訪れることは滅多にないだろう。よほど、なにかをやらかさない限りは。

 

 エレベーターが十九階で止まると、さすがの彼も緊張した。

 長い直線の廊下は、厳格な管理のもとに磨き上げられた黒い大理石の床が続いている。 足を踏み入れるたびにわずかな靴音が壁に反響し、静寂を強調する。

重厚な扉の前で立ち止まった彼は、ネクタイを締め直し、髪を整えた。

 呼吸を整えノックすると、すぐに入室の許可が下りた。

「お呼びでしょうか? 福島警務部長」


 福島茂明警務部長ふくしましげあきけいむぶちょう――、県警本部長に次ぐ県警ナンバー二である。

「君にやってもらいことがある」

 福島は窓のほうを向いていた。

「わたしに、ですか?」

「君にとって、損はないはずだ。上を目指したいのであればな。新庄くん」

 大人しく従えという圧が、新庄宗一郎に伝わってくる。

 新庄は東大を卒業後――、国家公務員の試験に合格し、警察庁に入ったいわばキャリア組である。

 確かに野心はある。

 現在は管理官だが、ゆくは捜査一課長となり、警視総監となる野心。

 これは絶好の機会だ――。

 新庄は、そう思った。

「なにをすればいいでしょうか?」

 新庄の返答に、福島は振り向いてにっと笑った。


              ◆


 本郷孝宏殺害事件でこの日、一人の参考人が県警本部に呼ばれてきた。

 名前は塚本守つかもとまもる――、職業は雑誌カメラマンだという。

「刑事さん、俺、警察に呼ばれるようなヤバい写真なんて撮ってませんよ?」

 塚本は取調室の椅子に座るなり、不服そうに訴える。

 ヤバい写真とはどういうものか聞きたいものだが、矢田喜一は冷静に書類を目で追っている。


「――塚本は、被害者にかなり文句をいわれていたそうだ」

 取調室の様子を見ていた神埼が口を開いた。

 取調室の中にある大きな鏡、それはバックミラーとなっていて通路から中が窺えるのだ。 ただ最近は刑事ドラマなどによりその仕組みが世間に知られると、被疑者の中には一瞥して鼻で笑ってくる者もいるのだが。

「文句ですか……」

 神埼とともに取調室の中を窺っていた天城は、小さく息を吐いた。


「美術評論家の、本郷さんが亡くなったことはご存知ですよね?」

 矢田の質問に、まだ不機嫌そうな塚本が答えた。

「ええ。何者かに殺害されたとか……」

「本郷氏は、何度か編集社に怒鳴り込んで来たそうですね? しかも、あなたの所に」


 塚本が所属する雑誌編集社は、月に一回のペースで美術専門誌を刊行していた。

 特に西洋アンティークのコーナーが人気らしく、売り上げを伸ばしているという。

 そのコーナーは本郷孝宏がコメントを添えているそうだが、彼は取材先にもやってくることがあるらしい。

 つまりその場で、美術品を評価するのだ。

 塚本は、そんな本郷孝宏を撮影していた。

事件は擦りあった原稿を、本郷氏に見せたことから始まったらしい。

 ピントがずれている、写りが悪い、しまいには「君のような男がプロのカメラマンとは」と、塚本は本郷から罵倒されていたらしい。

 

「刑事さん、俺が本郷先生を殺したと!? 殺してませんよ。先生のクレームはいつも事でしたし、出版業界じゃあ有名でしたからね」

 本郷孝宏は確かに他の雑誌編集社でも、クレームをつけていた。

 彼は美術評論家としては優れているかも知れないが、専門外のことまであーだこーだと行ってくるため、最近では「また始まったか」とそのクレームに耐えているという。

「先週の火曜日――、午後十時から十二時の間ですが、どちらに?」

「その時間なら、市内の居酒屋で飲んでましたよ」

 矢田の問いに、塚本はそう答えた。

 聴取の様子を見ていた天城は、明石と聞き込み捜査に向かうためそこから背を向けた。

 彼の中では、塚本は犯人ではない。

 彼のアリバイは、すぐに証明されることだろう。

 

 特殊捜査班に戻る通路で、天城は戻るタイミングを間違えたなと後悔した。

 前方から捜査一課管理官、新庄宗一郎がやってきたからだ。

「参考人聴取をしているようですね?」

 新庄の目が、すうっと細くなる。

「ええ。特殊捜査係うちの矢田が尋問しています」

「それで――、その参考人は犯人ですか? 天城特殊捜査官」

 珍しいこともあるものだ――と、天城は思った。

 これまで新庄のほうから、天城の意見を聞いてくることはなかったからだ。そもそも新庄は、本部長によって科研から一課にやってきた天城を目の敵にしていた。

 キャリア組の新庄からすれば、県警トップ・県警本部長と縁をもつ天城が気に入らないのは当然かも知れないが。

「彼はあくまで参考人です。新庄管理官」

「――そうですか。ただ、早急に容疑者ホシの検挙をお願いします。特殊捜査係も、一課ですので」

 ずれた眼鏡を指先で押し上げた新庄は、最後にはやはり、嫌味を忘れていなかった。

 

                ◆◆◆


 その画廊は、古い石造りの建物の一角にひっそりと佇んでいた。

 外観は飾り気がなく、何気なく通り過ぎてしまいそうなほど控えめだが、木製の扉を押し開けると、店内には柔らかな間接照明が優しく灯り、穏やかな空気が漂っていた。床は磨き上げられた木材で、踏みしめるごとに心地よい音が響く。壁には、それぞれの絵画が、まるでそこに居ることを運命づけられていたかのように存在感を放っている。

 壁は上品なクリーム色で塗られており、大小さまざまな額縁が整然と掛けられていた。

 画廊の名は【ETERNAL】――。

 経営者は、正院玲二という男である。

 正院は客の相手をし終えて、曇った眼鏡を外して磨いていた。

 すると入り口の扉が開き、二人の男が入ってきた。

 一人は数日前にやって来た男で、その前にいる男は初めて見る顔であった。

 

「いらっしゃいませ」

「我々は、こういう者です」

 先頭にいた男が、黒革の手帳を開いて見せてきた。

 そこには身分証とともに、逆三角形に近いバッチのようなものに色は金色と銀色のツートーン、「POLICE」の文字に、下部にK県警本部、中央に後光を放つ旭日章がある。

「警察……」

 正院は思わず呟いた。

「わたしは明石、それから彼は――」

 正院は明石という男が説明するよりも前に、後ろにいた男に声をかけた。

「警察の方だったんですか?」

「――ええ。でも俺は刑事ではありません」

 男は天城と名乗って、そう答えた。

「あー、彼はややこしい立場の人間ですので、とりあえず捜査官です」

「それで――、警察がなぜうちに……?」

「霧島五郎作の“乙女座ヴァルゴの真実”を見せていただきたいのです」

「あれを……?」

「美術評論家の本郷孝宏氏が亡くなられたことはご存知ですね?」

「ええ、何者かに殺害されと、ニュースで。先生にはよく、絵についてご指導頂いておりました。何点かご購入頂いたこともございます」

「先週の月曜日――、本郷氏が来ましたよね?」

 なぜそんなことを聞くのだろう――、正院はそう思った。

 

「ええ、お見えにはなりましたが、私は他のお客様の相手をしておりましたので、会話はしておりません」

 確かにその日――、本郷孝宏はこの画廊に来ていた。

 正院が珍しい絵が入ったと本郷氏に連絡したせいだろうが、彼は正院になにも言わず画廊を出てしまっていた。

 明石がさらに、話を続ける。

 

「本郷氏が“乙女座ヴァルゴの真実”という絵の前で、とても怖い顔をしていたと目撃者がいましてね。その絵、展示するきっかけは偶然ですか?」

「そちらの方にも申し上げましたが、私は霧島五郎の絵が好きでして、当画廊に展示したいと常々思っておりました。最近ある絵画収集家の方が絵を何点か売りたいと相談に来られ、そのなかに霧島五郎の作品があったのです。ですが刑事さん、“乙女座ヴァルゴの真実”は冥王ハーデスによって冥界に連れ去られ、悲しみに暮れる大地の女神デーメーテールの娘・ペルセフォーネを描いたものですよ?」

「乙女座をヴァーゴと表現するのは、珍しくありませんか?」

「それは、霧島五郎氏が名付けられたので私にはなんとも……」

 確かに乙女座をわわざわざ英語読みするのは、珍しい。

「ところで――、火曜日の午後十時から十二時の間、どちらに?」

「画廊の閉店は午後七時ですから、店を出た後は、桜新町のイタリア料理店で食事をしておりました。まさか、わたしをお疑いですか? わたしに先生を殺害する動機などございません」

 すると、天城が口を開いた。

「正院さん、最近眼鏡を買い替えました?」

 いったい、彼らはなにが知りたいのだろう。

 正院のなかに、警戒感が生まれた。

「それがなにか……?」

「いえ、ただお聞きしただけです」

 天城は、そう答えた。


                ◆


 画廊ETERNALを出た天城と明石倫也は、県警本部へ向かっていた。

「いったい本郷氏は、なにが気になったんだろうな?」

 明石がハンドルを操作しながら、天城に問いかけてきた。

 

「おそらく絵のタイトルでしょう」

 天城の視線は、車窓に注がれていた。

窓越しに見える街は、車のスピードに合わせて流れるように変わっていく。

 信号が青に変わると、エンジン音が再び軽やかに響き、車は滑るように街路樹の並ぶ通りを進んでいく。

乙女座ヴァルゴの真実か?」

「乙女座は大地の女神デーメーテールを星座にしたものだそうです」

「星座ねぇ……? そのなんとかという画家――」

「霧島五郎ですか?」

「そうそう、その霧島五郎と本郷氏との間に接点はあると思うか?」

「さぁどうでしょう。俺は、人間そのものには詳しくないので」

 車は赤信号で停車した。

車窓からはカフェで、コーヒーを片手に談笑する若者たちが見えた。

「そうだったなぁ……。だが、正院に妙なことを聞いていなかったか? 眼鏡がどうのって」

「帰ってから皆の前で言いますよ」

 天城はそう答えた。

 

 信号が青に変わり、車はゆっくりと動き出す。

 天城の中で、形になり始めた犯人の姿――。

 その人物は、犯行を行う際に慎重を期したのだろう。

 誰も見られず本郷邸に向かい、本郷氏を撲殺して、帰りも誰にも見られずに立ち去っている。ただ――、犯人はミスをした。

 犯人がそれに気づいているかは定かではないが、天城に言わせればモノは語るのだ。

 そこでなにが起きたのかを――。

 現場に飛散していたガラス片が、彼に教えてくれた“モノ”

 おそらく、容疑者となりうる人物は絞られてくる。

 ただ――、謎はまだいくつか残っているのだが。

   

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