第14話 新たな殺人事件

 東京都・永田町――、議員会館の男の部屋、一本の電話がかかってきた。

 取り次いだのは、第一公設秘書だいいちこうせつひしょである。

 それによれば、本郷孝宏の関係者だという。

 男は本郷孝宏と、プライベートで親交があった。

 ただ、議員会館にかけてくるとは非常識ではないか。

 彼はそう思った。

 

「本郷氏のことで話があるそうだが?」

「先生は、本郷氏とお親しいとか。ご趣味は西洋アンティークの収集――、でしたね」

 電話を掛けてきたのは男で、口調にはあざけりがにじんでいる。

「……くだらん。そんなことでわたしに電話をかけてきたのかね?」

 これに、電話の男は嘲笑わらった。

「しかも――、壊すこともお得意ですよね?」

「なんのことだ……?」

「お忘れではないはずですよ? 二十二前、生生が本郷孝宏から買われた“女神ビーナス”です」

 男の言葉に、彼の受話器を握る手が震えた。

「なん……だと……!?」

「それを知ったとき、わたしはこの国の末がとても不安になりましたよ。あなたのような方が、政治家だと思うと」

「無礼だぞ!! 貴様……、何者だ?」

「そればかりじゃない。あなたがたは、犯罪も犯した。公になれば、世間は大騒ぎになるでしょうね? 先生」

 脅迫者に変身した男の嘲笑に、彼は怯えた。

 男の言ったことは、すべて心当たりがあった。

「ほしいのは金か?」

「いいえ。貴方がたを裁くのは、もう一人の女神です」

「もうひとりの女神だと……?」

「ヴァルゴですよ。皮肉なものですね? この名が後に、貴方がたを苦しめることになるんでから。次からあの会を造るときは、よく考えることをお勧め致します。と言って――、そんな機会があるかはわかりませんが」

 脅迫者はそう言って、電話を切った。

 彼はそれからすぐに、ある場所に電話をかけた。

 

「わたしだ。例のモノ、早く探せ。それと――」

 電話相手は短く「はい」と答え、彼は電話を切った。


 ――わたしは本郷は違うぞ。女などに、殺されてたまるか。


 彼は壁を睨み、そう思うのだった。

 

                  ◆


 その日――、神奈川県警刑事部機動捜査隊巡査部長けんけいけいじぶきどうそうさたいじゅんさぶちょう堀越達也ほりこしたつやは、機動捜査隊主任の赤塚と覆面パトカーにてけいら中だった。

「いつもこんなふうに、平和だといいんですけどねぇ」

 堀越はそういって、溜め息をついた。

「気を抜くなよ、堀越。事件というのは、突然起こるこんだ。人が増え、その人と人が絡むとな」

「そういうモンですかねぇ……」

 赤塚の言葉を聞いて、堀越はもう一度溜め息をつく。

 通りは買い物客などで賑わっている。

 横浜市中区――、ここは明治時代に建てられた煉瓦造りの建物などそのままの姿で保存され、近くには中華街がある。

 堀越はそこで一時期、タピオカミルクティーにはまっていた。

 運転しつつ前の景色を見ていた堀越は、ふと思い出した。

 

「そういえば、山下公園はこの近くですよね? 主任」

「そうだな」

 山下公園で男が死亡した――という通電を受けて、初動捜査をしたのは堀越たちであった。死因は青酸カリによる副毒死――、昼間の人気がいる公園で男は死んだ。

 一課一係は、不審人物の目撃情報がないことから自殺と断定した。

「本当にあれは、自殺だったんでしょうか?」

 堀越はあれが、自殺にしては妙だなと思った。

 男はなぜ、人が多くいる場所で自殺したのか。

 なぜ、毒物をそのままではなく、敢えて缶コーヒーに混ぜて飲んだのか。

「上がそう判断したんだ。そうなんだろ」

 赤塚はそう答える。

 そんなとき、無線が入った。

 

『県警本部から各局』

 赤塚が無線に応じる。

「こちら機捜きそう五〇一。現在、伊勢佐木町を走行中。どうぞ」

『加賀町所轄管内・山下公園大桟橋おおさんばし近くにて、男の遺体を発見したという通報あり。現急げんきゅう(現場へ急行)し、マル目(目撃者)の捜索、現場の捜査を開始し、報告せよ』

「機捜五〇一、ただちに現場に急行します」

 堀越に、一気に緊張感が走った。

 


 山下公園は港に面し、県随一の広さを有する海を一望する公園である。

 港は童謡『赤い靴』でも謡われ、公園内には膝を抱えた少女像と歌碑がある。

 山下公園の海側――、公園から海に向かって伸びていたのが大桟橋で、横浜港大桟橋ふ頭および、横浜港大桟橋国際客船ターミナルにより構成され、国内および外国航路客船の主要発着埠頭である。

 

 発見された遺体は、公園内の片隅をねぐらとしていた男性ホームレスで、仲間からは“ゲンさん”と呼ばれていた。

 明け方――、親しくしているというホームレス仲間“マッサン”が、大桟橋の手前で倒れていたゲンさんを見つけたという。

「こりゃあ、青酸カリによる窒息死だな」

 遺体を確認した赤塚が言った。遺体からは、アーモンド臭がするという。

 ちなみに青酸カリ自体は無臭で、青酸カリを飲むと胃液の塩酸と混じり、化学反応を起こして猛毒の青酸ガスを発生させるという。それによって窒息し、死に至るらしい。

「殺し、ですか?」

「さぁな。検死を待たんとなんとも言えんよ。だが自殺なら、ホームレスがどうやって青酸カリを手に入れたのか疑問だ。

 堀越はただちに、第一発見者の“マッサン”から、聴取を始めた。


「彼に最近、変わったことはなかったですか?」

 堀越の問いにマッサンは少し唸りつつ、記憶を探り始めた。  

「あ、男と会っていたな」

「男、ですか?」

「サングラスをした、黒いスーツの男でね。ゲンさん、その男から金を貰ってましたよ。ゲンさんに、アレは知り合いか? って聞いたら、俺には女神がいるって、頓珍漢とんちんかんな答えが返ってきましたよ。ゲンさんはどう見ても、女にモテるタイプじゃありませんからね」

 確かに、マッサンの問いかけに対する答えになっていない。

「他には?」

「あー、ゲンさんじゃないですが――、男の方はまた見かけましたよ」

「ここで?」

「いや、街の中ですよ。その男、女と一緒でね。これがすこぶる美人で」

 

 マッサンはその夜、街で空き缶などを拾い集めていたという。

 ふと顔を上げると、正面のレストランが視界に入ったらしい。

 その男女は窓際に座り、男の方はサングラスのままだったという。

 もし男だけだったら、マッサンはあの時の男だと思わなかったと語る。

 思い出すに至ったのは、男と親しく話す女が美人で、マッサンの視線が最初に向いたからだという。

 

「それはいつ頃ですか?」

「えーと……、先週の水曜日だったかな。そうそう、花柄のワンピースを着ていましたよ」

 そう聞いて、堀越は嫌な予感がした。

「その女性って、まさかこの人ですか?」

 所持していた写真を見せると、マッサンの顔が輝き出した。

「そうそう、この女ですよ。やはり、美人ですねぇ」

 写真に写っていたのは、ビジネスホテルにて、遺体で発見された本郷幸恵なのだ。

 堀越と赤塚はともに渋面となり、お互いの顔を見合わせたのだった。

 

                 ◆◆◆


「はぁ!?」

 特殊捜査班の室内――、明石倫也の口から頓狂とんきょうな声が漏れる。

 部屋に駆け込んできた築地が、思わぬ情報を持ち込んできたためだ。

 時刻は午後三時――、部屋には独特の雰囲気が漂っている。

 窓の外では強烈な日差しがアスファルトを照り返し、靄のように空気が揺らめいている。 その熱気は窓を通してじわりと室内に入り込み、部屋全体を蒸し暑くしている。

 エアコンは古く、うなり声を上げながらも部屋全体を冷やすには力不足だ。

 各デスクの上には書類の山ができ、もはやなにが置いてあるのか判別し難い。

 係長・神崎の所定位置近くにはホワイトボードがあり、本郷孝宏殺害事件の概要や関係者の名前などが書き込まれ、被害者の写真などとともに、これまで得た情報のメモがいくつも追加されている。

 

「本当ですって。この耳で、ちゃんと聞いてんですから!」

 築地がいうにはこうだ。

 彼は聞き込み捜査を終えて、特殊捜査班に戻る途中だったという。

 捜査一課の大部屋を通りかかったとき、興奮した声が聞こえてきたらしい。

 この日――、山下公園・大桟橋近くで、青酸カリによる男性ホームレスの遺体が発見されたらしい。

 検死の結果、殺人と断定されたようだが、問題は、第一発見者である仲間のホームレスが証言したという、被害者と会っていたというが、本郷幸恵とも会っていたことだった。

 

「聞いたのではなく、聞き耳を立てていた――、の間違いでは? 築地巡査部長」

 矢田は、築地の立ち聞きを指摘するが、築地はいつものごとく調子良くかわした。

「それは差し置き――、これは問題ですよ」

 いや、お前の行動も問題だと思うが? ――という周囲の無言の視線が築地に注がれる。

「おいおい……、本郷幸恵の件まで繋がるのか?」

「だから、問題なんですよ。こうなると事件は一つにまとめられ、捜査本部が立ちます。つまり……」

「特殊捜査班は用済み――ということか……」


 特殊捜査チームが隅に追いやられるのは、いつものことである。

「あの新庄管理官が、きっと陣頭指揮を執りますよ?」

「天城、どうする?」

 神崎が困った顔を寄越してきた。

「事件はまだ一つになったとは限りません。容疑者は一課も掴んでいないのですから」

 天城はそういって、自席から立ち上がった。

 そんな天城に、築地が声をかけてくる。

「天城さん、何処へ?」

「トイレ」

 天城は一言そう返し、部屋を後にした。

 

  

 刑事部の外廊下――、エレベーターがある場所は休憩スペースとなっている。

 長椅子が置かれ、大きな観葉植物の鉢植えの横には、自販機がある。

 少し前までは灰皿もあったが、喫煙ブースの設置とともに消え去った。

 トイレから出た天城は、長椅子に座り長嘆した。

「飲むか?」

 顔を上げると捜査一課三係警部補、綱島左門が缶コーヒーを突き出して立っていた。

「綱島さん……?」

「聞いたか? 本郷幸恵のこと」

 綱島は天城の隣に腰を下ろすと、そう聞いてきた。

「ええ……」

「犯人は、どんなやつだと思う?」

 同じ缶コーヒーを手にした綱島は、そう言って一口飲む。

「俺に、プロファイルの能力はありません」

 綱島が持参した缶コーヒーは、とても冷えていた。

「俺は、今回の事件は口封じのための殺しだと思っている。管理官は犯人は女だと思っているようだが、俺は違う気がする」

「女ですか……」

「被害者は生前、自分には女神がいると仲間たちに自慢してたらしい。だが被害者から、女の存在は上がってこない。となると金を受け取っていた男が怪しい。おそらくは、脅迫してせしめた金……」

「さすがですね。俺にはそこまで推理する力はありません」

「そんなことはないさ。お前は敏腕刑事といわれた、天城警部の息子だ。どうだ? 今からでも本格的に刑事になるっていうのは」


 犯人を追尾中に殉職した天城の父――。

 父のことを知る人間は今や県警本部長の猿渡と、捜査一課長の浦戸、そしてこの綱島だけとなった。

「ごめんですね。俺は今の場所が気に入りつつあります。新庄管理官に朝から睨まれる身にもなってください」

「はは……、俺もあの人は苦手だ」

 綱島はそう言って呵々かかと笑った。

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