第9話 犯人の捜し物

 大きな書斎机で、アンティークランプが部屋を照らしている。

 床には、男が倒れている。

 おそらくもう絶命しているだろう。

 周囲は飛散した大量のガラス片だ。

 犯行を終えた犯人は、いますぐにここから立ち去らねばならない。物音に気づいた近隣の住民が、警察に通報しているかも知れない。

 だが彼は、すぐには逃げなかった。

 彼は近くに置かれたサイドテーブルや、観葉植物にぶつかっている。

 かなり焦っているようだ。だが、彼は部屋に留まっている。

 周りを見渡し、書棚に近づく。

 数冊手にしては中身を捲り、書棚に戻す。

 そして何事もなかったように、部屋を出ていく。



 それが――、特殊捜査官・天城宿禰が本郷孝宏殺害現場となった、本郷邸書斎で新たに読み取った物の“記憶”である。


               ◆


 午後二時過ぎ――、県庁前の幹線道路に面したファミリーレストランの中は、穏やかな静けさに包まれていた。

 ランチタイムの喧騒が過ぎ去り、店内はまるで一息つくかのように、ゆったりとした時間が流れている。

 窓からは日差しが柔らかく差し込み、テーブルの上に淡い影を作り出していた。

 

 神奈川県警刑事部捜査一課・特殊捜査班巡査部長・築地圭介は、聞き込み捜査の合間で遅めの昼食を摂っていた。

 選んだメニューは、特製デミグラスソースのハンバーグセットだ。

 ライスにコンソメスープ、グリーンサラダがついて、九八〇円。

 これに二五〇円のアイスティーを、築地はプラスした。


「ねぇねぇ、あのひと


 近くの座席から、女性の声が聞こえてくる。

 まるでスターでも見つけたかのように、彼女たちの声は浮かれている。

(やっぱり……、こうなるんだよなぁ……)

 築地はグラスに挿したストローを咥えながら、目の前に座る連れを窺った。


 その顔は鋭さと柔らかさが、絶妙に調和した美しさを持っていた。

 切れ長の瞳は冷静な知性を感じさせながらも、どこか憂いを帯びていて、その奥には深い思索の跡が隠されているようだった。

 やや長めの髪は、風にそよぐたびに形を変え、そのしなやかさが彼の内に秘めた強さを象徴していた。

 高く通った鼻筋と薄く引き締まった唇は、どこか孤高な印象を与えるが、笑みが浮かべば、その端正な顔立ちに優しさが広がり、まるで冬の朝日に照らされた雪のように、冷たさと温かさが同居する瞬間が訪れる。

 頬の線は鋭く彫られたようでありながら、目元にはわずかな疲れの跡が見え、彼が歩んできた道のりの長さを感じさせた。

 しかも体系は、モデル体型ときている。

 女性客の視線は、間違いなくこの男に注がれているだろう。

 軽い嫉妬を抱くも、築地はもうため息しか出ない。

  

「俺……、男として、自身なくしそうです……」

「どうして?」

 当の男は、これである。

 この男――、自分がどれだけ目立つか自覚がないのだ。

 築地は自分で言うのもなんだが、顔はいいほうだと思っている。

 最近の流行りのチェックは欠かさず、女性が喜びそうなデートコースも把握している。

 だが天城と一緒にこうして飲食店に入ると、女性の視線は築地ではなく、彼に向けられるのだ。

 天城宿禰――、元科学捜査研究所所員という経歴と、物から人の念と記憶を読むという能力をもつ特殊捜査官。

 

「……これからどうします? 被害者の仕事関係者はほとんど当たり尽くしましたよ」

 古美術商に、雑誌編集社、市内の美術館、画廊と、殺害された美術評論家・本郷孝宏が関わったされる場所には、他の捜査員も訪れている。

「彼らの中に、犯人はいないよ」

 天城はそういった。

 ちなみに、天城が注文したのは夏野菜のラタトゥイユにトーストしたバケット、コーンポタージュスープがついた千二百円のセットだ。

 飲み物は、オリジナルブレンドのハーブティーである。

 築地はグラスに残った最後の一口を、ストローで思い切り吸い上げた。

  

「だとしたら、犯人はいったい誰なんでしょうね? 天城さん」

「それを調べるのが警察の仕事じゃないのか?」

「それはそうなんですけどねぇ……」

 すると天城が、意外なことを言った。

「犯人は――、窃盗もしていたようだな」

「は……?」

 築地は瞠目した。

「犯人は、本郷孝宏氏を殺害した後、室内を物色していたのさ」

 そう言って天城が、ふっと笑う。

 こうしたときの彼の笑みは、自信があるときのものだ。

 特殊捜査官として、彼はなにかを掴んだらしい。

 こうなれば聞かずにはいられない。

 築地は近くにいたウェイトレスを呼び止めた。

「あ、お姉さん。チーズケーキと、アイスティー追加で」

 天城は「まだ食うのか?」と呆れていたが、築地は構わずに注文したのだった。


               ◆◆◆


 犯人は犯行後、室内を物色していた――。


 この意見に、捜査一課特殊捜査班の面々は複雑そうな表情になった。

 意見を述べたのは、天城である。

 時刻は午後五時――、特殊捜査班の部屋は静かな空気が支配していた。

 窓から差し込むオレンジ色の夕陽が、壁やデスクに柔らかな影を落としている。

「犯人は犯行後、泥棒までしていたというのか? 天城」

 特殊捜査班長・神崎は眉を顰め、やがて渋面になった。

「班長、俺も天城の意見は正しいと思います」

 天城とともに、本郷孝宏殺害現場に入った明石がこの意見に賛同した。


 

 二人が再度訪れた本郷邸――、飛散していたガラス片が撤去されていた以外は、事件当夜そのままの状態にされていた。

 天城は周囲を見渡し、書棚の前で眉を寄せた。

 書棚に収められていた書物が逆さまだったり、高さが揃っていなかったりしていたのである。

 天城たちは本郷邸をでたあと、本郷邸に通っていた家政婦・吉沢房江を訪ねた。

「あのぅ……、知っていることはすべてお話し申し上げましたが……?」

「確認したいことがあります。事件当日、書斎の掃除はしましたか?」

 天城に問われた吉沢房江は、どうしてそんなことを聞くのかといった表情だ。

「もちろん、致しました。清掃は手垢一つ残すなというご指示ですので、念入りに」

「書棚の本に触れたことは?」

 そう聞くと、彼女の顔は強張った。

「そんなとんでもございませんっ! 旦那様は、時計の位置が僅かに曲がっているだけで、激怒されます」

 

 どうやらこれまでも、彼女は被害者から叱られていたらしい。

 ならば、本を逆向きにしまったのは被害者と吉沢房江以外の人間ということになる。

 それが可能なのは、被害者が殺害されたあとしかない。

 天城が読み取った現場の“記憶”と、一致した。

 本郷孝宏を殺害した犯人は犯行後、しばらくそこに留まっていた。

 室内を歩き回り、書棚から本を取り出して中を見ていた。

 書棚に収められていたのは、美術系のものばかりだ。

 念ため書斎机の引き出しも、天城は開けている。

 その中も、物が不規則にしまわれている。

 はたして犯人は、なにを探していたのか。

 探しものは見つかったのか、それとも見つからなかったのか。


 

「また、わからなくなってきた……。犯人の動機はなんなんだ……?」

 神埼は渋面で腕を組み、視線を天井へ運ぶ。

「班長、犯人には本郷氏への強い恨みの念があります。ですが最初に本郷邸に入ったとき、妙な違和感がありました」

 その違和感を確かめるため、天城はもう一度本郷邸に入ったのだ。

 神埼が軽く口角を上げた。

「それで、現場百遍か?」

「ええ。物は、人間のように嘘はつきませんから」

 天城はそう答えた。

 

 モノは嘘はつかない――、天城の信条である。

 犯罪において、どんなに犯人が証拠を隠そうと、モノが教えてくれる。

 犯人は自分だと、モノに宿った犯人の念と“記憶”が語るのである。

 天城の能力は多くの人間に理解されないことが多いが、特殊捜査係の人々は天城を信じ、頼りにしてくれている。

 だが犯人のこの奇妙な行動によって、謎はさらに深まったのは確かだろう。

 

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