第5話 失われた輝き

 気象庁の発表によると、今年の夏は、例年にない酷暑こくしょらしい。

 この日も朝から、夏草が立ち枯れるほどの暑さが続いていた。

 神奈川県警刑事部捜査一課・特殊捜査班警部補・明石倫也は、ワイシャツの襟元を緩め、恨めしげに空を仰ぐ。

 刑事の聞き込みは、基本徒歩だ。

 靴底を減らして、目をつけた場所を一つ一つ潰していく。

 それが仕事とはいえ、炎天下の聞き込みはこたえる。

 

 横浜市・桜木町――、路肩ろかたに停車している一台の車がある。

色はブラック、車種は四ドアのトヨタ製クラウン。

 明石はその助手席側のドアを開け、中に乗り込んだ。

「――お疲れさまでぇす」

 運転席に座る巡査部長・築地圭介が、へらっと笑って声をかけてきた。

 特殊捜査係では一番年下だが、彼が特殊捜査係に飛ばされてきたのはおそらくこの軽さが、上の気に障ったのかも知れない。

「そっちの成果は?」

「特には。あ、これどうぞ」

 築地がそういって、コンビニの袋を渡してくる。

 中には焼きそばパンと、ブラック缶コーヒーが入っていた。

 明石の好みはウスターソースが染み込んだポテトコロッケと、たっぷりと入った千切りキャベツのコロッケパンだが、築地いわくそこのコンビニでは売れきれていたらしい。

 車の中は冷房が効いており、生き返った気分になる。

 

「まさか、さぼっていたんじゃないだろうな?」

 明石は缶コーヒーのプルタブを押し上げ、一口喉に流し込む。

「そんなことをしたら、クビじゃないですかぁ。してませんよ」

 一応、自覚はあるらしい。

 特殊捜査班は、警察官として最後の居場所なのだ。

 

 二人が座る位置からは、大観覧車と白い大型帆船が見えた。

 桜木町の、ランドマークである。

 帆船はかつて存在した商船学校の練習船で、現在はミュージアムになっている。

「いたぞ」

 明石の声に、焼きそばパンにかぶりつこうとしていた築地が「え……」と視線を運ぶ。

 二人が乗り込む車の約三十メートル先を、一人の男が歩いている。

 本郷孝宏殺人事件で、重要参考人として名前が浮上した一人である。

 二人は、この男を探していた。


「――遠藤隆道えんどうたかみちさん、ですね?」

 明石がそう尋ねると、男は弾かれたように顔を上げた。

「え……」

「我々は、こういうものです」

 警察手帳を見せると、その顔は強張った。

 確かにいきなり、警察官に声をかけられれば動揺するだろうが。

「警察……」

「本郷孝宏氏をご存知ですね? 以前、かなり揉めたとか……」

「あ、あの……」

 心当たりがあるらしい。

 遠藤隆道の視線は泳ぎ、なんとかこの場から離れられないかと、言葉を探っている様子であった。

「署で、お話を」

 もちろん任意だが、明石のこの言葉に逃げられないと観念したのか、遠藤は脱力してうなずいた。

 


 正午――、好物のカツ丼を食べ終えて、特殊捜査班長・神崎健は腹を擦りながら「食った食った」と満足げに声を発した。

 そんな神埼に、矢田喜一警部補がパソコン画面から顔をあげて言った。

 

「係長、油物は控えていたのでは? またコレストロール値が上がりますよ」

 これに神埼は渋面になった。

「矢田、一時の悦びを奪わんでくれ……。なぁ? 天城」

 そう天城に同意を求めてくるが、

「俺は、ベジタリアンなので」

 と、当の天城宿禰は素っ気なく返す。

「相変わらず、可愛げのないやつだな……」

 と、神崎はいうが天城にすれば、三十歳を前にした男に可愛さを求められても、である。

 

 美術評論家・本郷孝宏殺人事件は、ようやく参考人となる人間が絞られてきた。

 どの人物も被害者とトラブルがあり、なかには「ぶっ殺す」と口にしていた者もいたようだ。

 天城はあることを思い出して、神埼を呼ぶ。

「係長」

「あ?」

 視線を寄越してきた神崎は、歯に詰まった肉片を、楊枝でこそぎ落していた最中だった。

 なんともいい難い神埼の顔を真っ昼間から見たくなかったが、これでも上司である。

「以前、元町の美術館で起きた贋作事件ですが、担当は何処です?」

「確か一係だったが?」

 

 捜査一課強行犯一係――、一課の中で精鋭の中の精鋭が集まる所である。

 事件は未解決のままお蔵入りとなり、捜査が再開された形跡はない。

 他が担当した案件に首を突っ込むつもりは天城にはないが、本郷邸にエミール・ガレを真似たガラス製花器があった。

 というより粉々に砕けていたが、本郷孝宏は美術評論家である。贋作が見抜けなかったとは思えない。殺害される少し前に宅配業者が近所の主婦が目撃していた。

 その業者はすぐに見つかり、確かに午後十時頃に荷物を届けていた。

 だが送り主の名前も住所も、全くのでたらめであった。

 なにゆえその送り主は、贋作を本郷邸に送ったのか。

 そして、もう一つ持ち込まれ、凶器とされたガラス製のものは何だったのか。

 天城はエミール・ガレ以外のガラス工芸作家を検索し、作品を調べていた。

 しかしクリスタルガラス製で、一メートル近くある作品はヒットはしなかった。

 

「おい、一係はまずいぞ……」

 神埼がなにをいわんとしているのか、天城にはわかった。

「新庄管理官――、ですか……」


新庄宗一郎管理官――、捜査本部で陣頭指揮をとるこの男は、天城の存在を快くは思っていなかった。

 県警本部長直々の採用で一課に科研から配属されるなど、普通はありえない。

 順当にエリートの階段を上がっていた新庄にとって、県警トップを後ろ盾バックとする天城は目の上のたんこぶらしい。

 もちろん天城は、県警本部長・猿渡大副の存在を笠に着るつもりはなく、寧ろこれの所為で新庄を始めとした上層部に睨まれているのだが。


「俺……、苦手なんだよ。あの男」

 神埼は眉尻を下げ、視線を天井へ向ける。

 つまり、一係が担当した事件を掘り起こすなというのだ。

 だがその事件に、被害者・本郷孝宏は関係していた。

 もしかすると、これは単に恨みにする殺人事件ではないかも知れない。

 すると出払っていた明石警部補と築地巡査部長が、参考人を伴って帰ってきたという。

「どれどれ、見に行くか」

「係長、聴取は見世物ではありませんよ」

 ふらっと席を離れる神埼に矢田がいうも、神崎はもうその気で、お前も来いという視線が天城に飛んでくる。

 無視しようと思ったが、彼は一旦その気になるとしつこい。

 天城は長嘆してパソコンを閉じ、立ち上がった。

  

◆◆◆


 男の家は、祖父から二代続くガラス工房だった。

 ガラス製の器や抹茶茶碗・香炉をはじめ、季節ごとのガラス作品、ランプや花器など、多種の作品を手掛け、職人も多かった。

 もちろん夏場の作業は大変だったが、職人として誇りを持つ彼の父は、仕上がったガラス製品のように輝いていた。

 ある日までは――。


 

 遠藤隆道は小刻みに震えながら、取調室の椅子に座っていた。

「そう、緊張しないで」

 遠藤の前に座る明石倫也警部補が口を開く。

「あ、あの……、どうして僕が……」

「先ほども言ったように、あなたは本郷孝宏氏と揉めていたとか。目撃している人間がいましてね」

「そ、それは……」

 遠藤は視線を明石から外した。


 彼はガラス職人の父が大好きだった。

 汗だくになりながら、炉の前で吹き竿を手にガラスを膨らませる父の姿。

 その父がある日嬉しそうに、家の戸を開けた。


 ――喜べ、みんな! サン・ペリ館の仕事が、うちに決まったぞ!


 サン・ペリ館――、市内でも屈指の美術館である。

当時はまだ出来たばかりで、開館を一月後に控えていた。

 収蔵品の多くは現代ガラス工芸作家、サン・ペリの作品である。当館は、ロビーに展示する作品を探していた。

 本来ならサン・ペリの作品が展示される筈だったが、サン・ペリは急逝し、こけら落としには間に合わなかったのである。


 

「本郷孝宏氏が殺害されたことはご存知ですね?」

 父のことを思い出していた遠藤は、自分が被疑者として疑われていることを知った。

「ぼ、僕があの男を殺したというんですか!?」

 思わず立ち上がった遠藤に比べ、明石は冷静だった。

「お座りください。まずは、揉めていたのは事実かお聞かせください」

 遠藤はストンっと腰を落とし、少し間をおいて答えた。

「……事実です。でも、だからと殺していませんっ」

 


 サン・ペリ館のロビーで、父の作品はどう輝くのだろう。

 当時ガラス工房は火の車で、借金も抱えていた。

 これですべてが救われる。

 父は本当は職人ではなく、ガラス工芸作家になりたかったらしい。

 だが、父の作品がそこに飾られることはなく、他の工芸作家が担当することになった。


「どうしてですか!?」

 遠藤は父の代わりに、サン・ペリ館長に抗議した。

「本郷孝宏氏が、ガラス工芸作家の眉村卓氏の作品を高評価していてね。あの方の意向を無視はできんのだよ。彼を敵に回すと美術界この世界では、生きていけなくなる」

 館長はそのあと「悪く思わんでくれ」と背を向けてしまった。

 それでも遠藤の気は晴れず、そこに偶然現れた本郷孝宏に掴みかかった。

「教えて下さい! 父の作品のなにがいけないのか」

 本郷孝宏は軽蔑の目を寄越してきた。

「所詮は――、町工房の作品。有名作家と並んで恥をかく前で幸いだったではないかね?」

 本郷孝宏は、そういったのだ。

 ただ無名の町工房の職人というだけで、である。

 工房は潰れ、父はもう一切作品を作らなくなった。

 輝きは失われ、そして父は自らの命の火も消した。

 本郷孝宏が憎かった。

 そう、殺したいほど――。

  


 不意に、聴取室の扉が開いた。

「彼は、犯人じゃありませんよ。明石警部補」

 その男は、そういった。

「天城?」

「ですよね? 遠藤さん」

「え、は、はい」

 本郷孝宏が殺害された時刻、遠藤は牛丼屋でバイト中だった。

 天城と呼ばれた男は遠藤の前に来ると、改めて名乗った。

「特殊捜査官・天城宿禰といいます。わたしは警察官ではありません」

「特殊捜査官……?」

「物に宿った人の念と記憶から、事件を解くのがわたしの仕事です。あなたには確かに強い憎しみの念があります。ですが……、本郷氏を殺害はしていません」

 天城はそういって、遠藤の前にあるものを置いた。

「それは……」

それは、ガラス製のちいさな靴だった。

 彼のために、父が作ったガラス作品。


 ――どうだ? 綺麗だろう? お前の人生も、ガラスのように透明で、輝き続けられるよ。

 

 父が亡くなってからも、遠藤は小箱に入れて持ち歩いていた。

 いつの間に、落としてしまったのだろう。

「大事なもののようですね?」

 天城の言葉に、遠藤は涙を流した。

 父は決して、誰も恨まなかった。

 ただ己を悲観して、己を責めて死んだ。

 本郷孝宏を殺せなかったのは、このガラスの靴を持ち歩いていたからだろう。

 そう思うと、涙は止まらなくなった。

「……うっ……、う」

 危うく罪を犯すところだった己を、遠藤は悔いる。

 父が願った透明で輝き続けるといった人生は、憎しみで曇り、輝きを失いかけた。

 遠藤はそれから何度も心のなかで父に詫び、県警をあとにした。

 

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