海底都市メタンヶ丘

相楽 快

第1話 爆破テロ

ドンっと、大きな音がした。

驚いて後方を振り返ると、ものすごい風圧に目を覆う。


少し遠いところから、煙が立ち昇っているのが見える。


「またか、勘弁してほしいもんだね」


誰に言うでもなく、呟く。


煙が立ち昇ってる場所は、さっき自分が歩いているあたりだ。

少し爆発の時間が早かったら命はなかったかもしれない。

それにも関わらず、あまり怖さを感じないのはこの街はあまりにも死に近いからかもしれない。


海底都市メタンヶ丘。

このあまりにも品のない名前が示すように、この街は海底1,500mに造られた都市だ。

勿論目的はメタンハイドレートの採掘である。要は現代の軍艦島というわけだ。


直径2キロのドームの中に、建物がギュウギュウと詰まっている。

地上のような平坦な道など少しもない。

階段と、坂と、ハシゴのまち。


そんな狭い世界に、人口は15万人の鮨詰め状態なのだ。

わかりやすくいうと、新宿区の三倍以上の人口密度である。


何処もかしこも、人、人、人。

人臭くて敵わない。

前から歩いてくる女は、乳を出し、目を虚にしている。

壁に寄りかかっている男は、何やら紙袋から草を出し、ムシャムシャ噛むと

「くる、くるぞ、くる、くる、うっ、あ、あー」と絶頂に至った。

横を通ると、汗の熟成された臭いに顔をしかめる。

あの類の人は、そのうちオーバードーズであの世へ旅立つ。

するとすぐに、衛生局員が駆けてきて回収するのだ。

そんな地獄の回収作業は、毎朝目に入る。


帰りたい。

地上に。

故郷の鹿児島に帰って、鳥刺しをツマミに芋焼酎呑みたい。

大きな家に住んで、ウッドデッキに七輪置いて、マシュマロ焼いてのんびり過ごしたい。


錆びついたハシゴを登り、八百屋へやってきた。屋号は錆びて見えない。店名も、正式名称は知らず、皆、八百屋と呼ぶのだ。


八百屋の奥に声をかける。


「旦那、今朝の分ね。1キロ持ってきた」


奥から店主がのそのそやってくる。

小太りで、茶色がかったタオルを頭に巻いている。女王の湯、と書いてある。

ああ、スーパー銭湯か。懐かしいな。


「ああ、あんちゃんか。えーっと、ブロッコリースプラウトね。グラム15円だから、15,000円だね。はいよ、確かに」


お金を受け取り、売り出された野菜を見る。

玉ねぎ700円、人参三本で、600円。

やはり、高い。

大体地上の三倍の値段だ。


「旦那、ピーマンともやし、あとキャベツお願いね」

「あいよ、おまけして1500円にしといてやる」


八百屋の店長は、少し痛んだキャベツを袋に詰める。したたかだ。


「キャベツいつまで食べられそう?」

「そうさね、明後日ってとこだな。美味いぞ」

袋にミニトマトを二つ入れてくれた。これで埋め合わせ、ということだろう。


八百屋の店長は煙の方を見て、ため息をついた。

「あんちゃん、さっきも爆発があったね。最近は人が死んでばかりで、やだね」


「全くだね。聞いたかい?火葬場が追いつかないから、とうとうご遺体を海に出すって話が出てるみたいだよ。海葬って言えば聞こえはいいけど、外海に出した瞬間、水圧でペシャンコ。そのあとは魚の餌になるんだもんなぁ」


ヤダヤダ、といい、店長は店の奥に戻っていく。


天井を見上げる。

巨大なドーム状のスクリーンで構成された天井には、どんよりと雲が写されている。

わざわざ地上に合わせなくてもいいのになぁ、とため息をつくと、また背後からドンっという爆発音が聞こえた。


やれやれ、魚が喜んじゃうよ、と呟いた。



自己紹介をしよう。

俺の名前は金子迅。

名前の通り、少しだけ足が速い28歳だ。

俺はブロッコリースプラウト工場を一人で営んでいる。

初めは趣味で栽培を始めたのだが、近年のメタンヶ丘のインフレの煽りを受け、本格的に事業化したのだ。


今から5年前、東京都はメタンハイドレートの安定採掘に成功した。

もはや、アラブのように湯水の如く金が入るようになった東京は、月々50万円のベーシックインカムという規格外の政策を行った。


人々は東京に殺到し、地価は高騰。

奥多摩ですら、一軒家を買おうと思うと十億円はするのだ。

もはや、誰が住めるというのか。


その結果が、この海底都市の有様というわけだ。

ベーシックインカム欲しさに、不便で狭くて、ドームが壊れたらみんな仲良くお陀仏になる恐怖の街に大集合というわけだ。

もちろん俺もその一人。


元々は、メタンハイドレート採掘の為の技術者の街だったが、金目当ての貧乏人と、身体を売る女と男の欲望渦巻く魔界となってしまったのだ。



カフェについた。

四畳半カフェという名前の通り、吉田寮を模した雑然とした内装のカフェだ。

今日も混んでいる。

「いらっしゃい!適当に座って」

カフェの店長のくるみさんだ。

彼女は、この海底都市の数少ない清涼剤と言っても差し支えないだろう。

清潔で、なぜかいつも良い香りに包まれており、笑顔が素敵で、擦れてない。

街にいる殆どの女性は乳を出したり、尻を出したり、汗やらなにやらの鼻が曲がりそうな臭いがするため、彼女のように良い香りがする人間は大変珍しいのだ。


畳に胡座をかき座っていると、お盆にコーヒーとサンドイッチが乗って出てくる。

「ねこさん、いらっしゃい。ブロッコリースプラウト、いくつか分けてくれない?」

「そういうと思って。はいこれ」

ジップロックに2パック分を詰めたものを渡す。

「ありがと!貴重なビタミン。これで私の美しい肌が保たれるってわけよね」

手を置かれた肩が熱い。

耳元で、ありがと、と言われる時の鼻腔に広がる香り。

これだ。これがあるからここに来るのを辞められない。

「身体にいいからね。ぜひ食べて」

つい、オドオド喋ってしまう。

ふふふ、いい朝だ。

ポケットから文庫本を取り出し、コーヒーを啜りながら続きを読む。

この時間だけが、狭くて臭い海底都市のなかでのオアシスなのだ。



「君、その本もしや、高熱隧道ではないか?」

声をかけられ、顔を上げると目の前にスーツ姿の女性がいた。

よく手入れされたショートカットに、形のいい顎。可愛らしい顔なのに、俺を見る目は虎のように鋭い。

人が居たのに気が付かなかった。

この人、臭いがしない。

「あ、はい。吉川昭のです」

「やはり。いくつか聞いてもいいかな?」

はい、と頷くと手帳を取り出し、聞いてきた。


「糖に反応して橙色に変色する指示薬の名称は?」

「ベネジクト溶液」

「咳をしても一人 誰の作品?」

「尾崎放哉」

「4!」

「16」

「銀閣寺を作ったのは?」

「足利義政」


虎の目が少し和らぐ。

「立板に水ね」

「まあ、大卒なんで。なんですかこの微妙に難しくて懐かしい問題」

虎の目の女性は胸元から紙を取り出した。

「貴方、刑事になりなさい」

「え?」

「最近頻発してる爆発事件、その解決に協力してほしいの。何故だかわからないのだけど、私達が聞き込みとかしても誰も教えてくれないのよ。警察の身分を隠して、作業着で聞いてもダメ。何故かバレてしまって捜査にならないのよ」


どうやら本当にわからないらしい。

何故、誰も協力したがらないか。

これだから、外から来た人は駄目だ。


「刑事さん、最近メタンヶ丘に来たでしょう」

「そうよ。それがなにか?」

少し口を尖らせてくる。可愛いではないか。


「臭くないんですよ、刑事さん。ほら、ここの人って殆ど臭いでしょ。風呂に入れないから。家は狭すぎて風呂は置けない。公衆浴場は常時八時間待ち。夢の国のアトラクションよりも人気な施設なんですよ、銭湯って。そうすると、週に一度風呂に入れるかどうかなんです。そんな生活を一年二年としてると、汗の匂いが染み付いちゃうんです。だから、臭いんです」


顎に手を当てる。

「臭い人、確かに多いわね。っていうか、この街が臭い。新宿より臭い。え、私ってどんな匂い?」

「無臭です。気持ち悪いんです。透明人間みたいで。姿は見えるのに、そこにいる感じがしない。透明人間みたいに見えるんです」

彼女の眉がギュッと寄る。

「それだけで、捜査に協力しないってなっちゃうの?」


やれやれ、新参者め。

俺に怒っても仕方ないだろう。


「いいですか?この街で無臭な人は、公務員とメタン関係のエリートだけなんです。正直、ムカつきますよ。同じ人間なのに、待遇があまりにも違う。官舎とメタンプラントには専用の浴場があるって噂ですし、なんか岩盤浴とサウナまであるって聞きました。本当なんですか?サウナ。入りたいですよ、サウナ」


急に俺の勢いが増したことに驚いたのか、刑事は少し身を縮めている。


「サウナ、あるわよ。ミストサウナとストーブサウナ」

「くそったれ!羨ましい!」

コーヒーをずずいと口に含む。


「え、私、初めは一発ヤラせてあげるから刑事になりなさいって言おうと思ってたけど、サウナ入らせてあげるから刑事になりなさいって言った方が響く?」


彼女を見る。

整った顔、控えめな胸、引き締まった脚。まあ、美人だとは思う。

息子を見る。もう何年もご無沙汰だ。

だが、勃たない。随分勃った姿をみていない。

毎朝期待を込めて見るのだが、沈黙を貫いている。

悲しき、ジョニー。


「ありがたい申し出ですが、俺、ポテンツくんなんです。なんで、サウナの方が、ありがたい。もっと言うと、地上に帰れるようにして欲しい」


「帰れないの?」

嘘でしょ?と言いたげだ。


握る手に力が入る。

「貴方は帰れますよ。一般住民は、7年待ちです」


刑事はスマホを取り出しどこかに電話をかける。


「あたし。そう。あたしたちって、すぐ地上帰れるよね。なんか7年待ちって聞いて。あ、あたし達は別の輸送ルートがあるんだ。オーケー。わかった。ありがとう」


刑事になれば帰れるわ!

グッとサムズアップをしてくる。

いい笑顔だ。


「刑事、なります。姐さん、俺は金子迅です。皆からはねこちゃん、と呼ばれてます。俺を地上に帰してくれるなら、出来ることはなんでもします!」


鹿児島に帰れる!その希望がチラついて、つい小者ムーブをかましてしまう。

いいんだ。毎日温泉に入れる鹿児島に帰れるなら、俺はなんでもするぞ。


「あたしは武田寅子。名前笑ったら腹を殴ると決めているわ。ねこちゃん、よろしくね。虎猫コンビ結成よ。サクッと爆破事件解決して、サクッと温泉入りに行きましょう。あたしが貴方のジョニーを再びリングに立たせてあげるわよ」


かっ、かっこいい。

寅さん。漢前すぎる。


ここ数年感じていなかった胸の高まりを感じる。

やってやる。

俺は、地上に戻るのだ!

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