ライフ、イズ、グッド

霧_悠介

ライフ、イズ、グッド

 僕は在宅でプログラミングをしていた。仕事が悪い意味で煮詰まり、息抜きに、と古き良きライフゲームを作ろうとしていた。狭いデスクの上でポテチをパリパリ咀嚼しながら、僕はコーディングを行う。セルが増殖する条件を指定して、実行。僕は試しにと、マウスで汚い直線を書いてみることにする。ところが、セルは一向に増殖するそぶりがない。何度も何度もマウスで線を引いてみる。やはり、瞬く間に消えてしまうグリーンのドット達。何がまずかったのかな……まあ、単なる息抜きだしな。僕はそう思って、失敗したコードファイルを片隅にあったゴミ箱に捨てた。少し残っているポテチの袋も一緒に。作業を再開する。やはり作業が思うとおりにはかどらず、一回、寝よう、と思ってふて寝した。その時に、部屋の隅にあったゴミ箱からグリーンのドットがあふれていたのを見過ごさなければ良かったのだ。

 目を覚ますと、僕の部屋の壁と言う壁が、緑のまだら模様に覆い尽くされていた。それらは単なる模様ではなく、そこここで明滅をするように増えたり減ったりを繰り返していた。何が起こったのかは分からなかったが、それは明らかにライフゲームの挙動だった。僕は思い出してみる。僕が作ったライフゲームのプログラムは、食料、という概念を取り込んだものだった。左クリックでセルを生み出し、右クリックで食料を与えるような設計にしていた。単純なものにはしたくなかったからだ。――食料。僕はゴミ箱に一緒にポテトチップスの袋を捨てた。もし、その食べ残しが、セルたちのちょうどいいご飯になっていたのだとしたら……。僕は背筋が凍った。グリーンのセルは、僕が立つ布団のきわまで侵食してきていた。普段から不衛生に、飲みかけのコーヒーなどを放置していたのを後悔する。僕自身が侵食されたら、どうなってしまうのだろう。初心者の頃かつて見た、ライフゲームのチュートリアルの記事には、そんな記述は無かったぞ!! それとも、僕が見落としていたっていうのか? 僕は憤りと、焦りが入り混じり、玉のような脂汗をかいていた。ポトリ、と汗が落ちる。セルはそれをめがけて、蠢くように増殖してくる。グリーンのセル達は、僕の汗を食料として、めがけるように勢力を伸ばしていく。流れるな、流れるな、僕の汗――! 留めるように手のひらを器の様に顎下に持ってくる。しかし、プログラムコードが上から正しく順番に実行されるように、汗が落ちることは止められなかった。セル達はすぐに足の指先まで到達する。そして、脛、膝、腿、腰腹胸と上がってくる。首まで到達してきて、いよいよ頭部に達するか、と思われて。

 僕は恐怖のあまり、気絶した。


 やがて、目を覚ます。僕は辺りを見回した。部屋の中は緑のドットがびっしりと明滅していて、あれが夢じゃなかったと思い、嫌な気分になった。自分の体を眺めてみる。何事もない、青白い不健康な肌のままだった。僕は不思議に思いながらも食べかけのカップラーメンや弁当の片づけをする。そして、PCの電源を入れる。冷静になれば、ゴミ箱を空にしてしまえばいいだけの話だった。中を片づけて、念のためデフラグも実行する。部屋の中はみるみるうちに片付いていき、何か月かぶりの綺麗な部屋へと変身していた。

 もうライフゲームを作ったりはしない。心からそう誓った日だった。


 そんな事件も忘れ去って、数日たったある日のこと、僕は飛蚊症に悩まされることになる。毎日の激務で疲れてるのかな、と思い、眼科を受診する。

「眼圧にはなんの問題も無いですね、酷くなったらまた来てください」医者はそっけなく言った。

 その日の帰り、僕は電車の席に座りながら、視界の靄を目で追って遊んでみる。すると、気づくことがあった。

 距離が近すぎて焦点が合わないだけで、それは飛蚊症などではなかった。それは、意外にも、と言うべきか、やはりと言うべきか、ライフゲームのあのセルだった。ちかちかと動いて見えて、僕がそれに注視すると、わずかに緑がかって見えた事で、ようやく気付いたのだった。靄のようなものはだんだん輪郭がエッジがかって見えて、色身もはっきり蛍光色的なグリーンになっていく。それらが視界の中で増殖している。やはり僕はあの時、グリーンセルに侵食されていたのだ。初めは恐怖を感じたものの、日を追うごとに慣れてきて――実害が無いことも影響して――一週間がたつ頃には、それを喜んで観察するようになっていた。

 その頃、ふと思うことがあった。この網膜に繁栄しているセルたちに、食料を与えるにはどうしたらいいのか。僕は考えてみた。一つの方法を思い出す。そうだ、右クリックだ! 僕は自身の頭部をシミュレーションしてみる。すると、見えてないゆえに自覚がないだけで、視界の外、つまり脳にもグリーンセルが侵入していたことが分かった。僕はものは試しに、と大脳皮質辺りに食料を撒いてみることにしてみる。右クリック。グリーンセルはその匂いにつられるように、徐々に形を変えながら、それでも食料のもとへとありつく。そして、増殖。その時、僕の脳裏にはいろんなことがよぎった。いずれも過去のことで、小学生の時にした、自分でも忘れていたような、それでも当時は酷く落ち込んだささやかな失敗のこと、進路選択でなかなか決めきれず、消去法的に選んだ現在の職業のこと。母親が僕にしてくれた数々の慈愛が今の僕を作り上げていること。それらはまるでメリーゴーラウンドの様にめぐるましい走馬灯だった。多幸感があった。そして、数々の記憶の中から、仕事に影響する数々のTIPSを思い出し、いてもたってもいられず、僕は勢いよくワークへと取り組んだ。ものの三十分で、成果物は出来上がり、僕はグリーンセルが脳細胞の代わりをしてくれているのだと確信した。理由はわからない。だが、事実、そうなっているのだから仕方がない。僕はこの脳内ライフゲームを自身の人生に役立てていくことを決めた。

 記憶力が欲しい時にはそれに関連する脳の部位に食料を与え、運動能力を身につけたいときにもグリーンセルを増殖させた。指の細かな動きのスピードアップにも効果があることを知れたのは収穫だった。様々なグリーンセルの恩恵で、僕は仕事上の数々の功績を残すことができた。ほかにも、意欲の増幅、多幸感の保持、果てはダイエット効果などの効果もあった。仕事がひと段落した時には、多めに右クリックをして、セル達をねぎらう。僕の人生は好循環に陥り順風満帆になった。

 僕はとある夏の夜、彼女とデートをしていた。その彼女ができたのも、脳内ライフゲームの影響といえよう。まさにライフゲームさまさまだった。僕はこの日、彼女にプロポーズをしたいと考えていた。この街を見渡せる夜景がきれいな、展望台でのプロポーズ。その前の段階で彼女にもバレていたようで、抑えようとする彼女の期待感が漏れ出てていた。今夜は成功する。そんな確信があった。

 展望台のあるビルへ向かう歩道橋に差し掛かるときに、子どもが通りかかった。彼女はその子を見て、「可愛いわね……」とつぶやいた。

「どうする? 君、何人ぐらい子どもが欲しい?」

 急にそんなことを聞いてくる彼女。僕は、「ああ、やっぱり気づいてたんだ」とちょっと残念だった。僕はこれまでのことを思い返す。冴えないサラリーマンの僕。そして、ある日を境に仕事も上手くいき、彼女もできた。それはひとえにあの、ライフゲームのおかげだ。結婚を目の前に、僕は彼女に全てを打ち明けたくなった。

「実は僕、昔はしょうもない人間だったんだ」

「急にどうしたの?」

 彼女は笑って、そんなことを返した。

「僕はあるとき、生命をシミュレーションするゲームを作った。そのゲームが僕に侵入してきて、僕を変えたんだ。今の僕があるのは、全てゲームのおかげ。君が見ている僕はイカサマをした僕なんだ」

 彼女はこんな言葉を返す。

「そう? あなたは多分、何も変わっていないわよ。きっと、夢でも見てたのね。あなたはきっと、昔から素晴らしい人間だったに違いないわ」

 僕は何も言い返せなかった。素晴らしい人間、と言う言葉が僕の胸に突き刺さる。僕はそれまで、部屋の片付けもできない、自分の世話もできない人間だった。それが、ライフゲームを作ったことで、人生が面白くなった。ただ、それだけ。たまたま、ライフゲームに侵食されたし、たまたま僕と彼女は付き合った。全ては偶然の産物。僕は彼女に釣り合うような人間なんだろうか……。

 僕がそんな考え事をして足を止めていると、先を行く彼女は振り返る。

「どうしたの? 展望台、行くんでしょ? 楽しみにしてるんだから」

 夜の熱気で顔を赤く火照らせている彼女の笑顔はとても可愛らしかったが、まぶしくて直視できなかった。

「あ、ああ……」

 僕は彼女のもとへ歩みを進めようとする。

 その時だった。視界の端に道路を渡ろうとする子どもの姿が目に映る。おそらく、小学生であろう。ランドセルを背負っていた。そして、どうしてこんな時間に小学生がいるんだ? そう思う。それと同時にその子どもへと突っ込んで来る二トントラックが見えた。不意の通行人の登場に、トラックの運転者が慌ててハンドルを切り始める。だが、間に合いそうにはなかった。子どもはきっと、トラックに追突されてしまうだろう。そんな予測までも一瞬のうちに終えることができた。全てがスローモーションのように見えていた。僕の反射神経はグリーンセルのお陰で、常人を凌駕していた。

 あなたは素晴らしい人間だったに違いないわ。彼女の言葉がリフレインする。

 とっさに、その子どもを助けようと道路へと飛び出す。彼女の笑顔が徐々に驚きの表情へと変わっていくのを視界の端で把握する。

 あ、ムリだ、コレ。一歩目を踏み出した直後から、少年と一緒に衝突される未来が見える。僕は子どもを突き飛ばす方針に切り替えた。頭からダイブして、手を目いっぱいに伸ばして、少年を弾くように突き飛ばした。

 少年は倒れ込み、トラックの軌道の外側に外れていった。

 やった、うまくいった。僕はそう思い、トラックの方を見る。運転手が目をかっ開いて、青ざめているのが分かった。その直後、僕はトラックと衝突し、頭が割れた。吹っ飛んで、地面と衝突した際、中身がびしゃりと叩きつけられる音を聞いた。

 彼女が僕の名前を何度も叫んでいる。突き飛ばされた子どもは状況がわかっておらず、ただ呆然と座り込んでいた。意識は意外とはっきりしていて、体の痛みもなかった。

 頭の中のグリーンセルは宿主である僕の体を飛び出して、周りの道路へと勢力を伸ばす。

 僕の肉体はとっくに死んでいた。しかし、そばに寄りそう彼女や運転手を感じ取れる。そんな事すら分かるのは、肉体は死んでも、意識は残っているからだった。

 いつの間にか、グリーンセルは僕の意識までをも取り込んでしまっていたらしい。そうとわかるのは、セルが地面沿いに繁殖していく様を未だに観測できるからだった。視覚はもはやない、体感覚もないが、把握できる、というのは奇妙な体験だった。

 もはや僕の意識は失われることはない。グリーンセルがもう滅亡することがないぐらいに繁栄しているからだ。ただ増殖して、その勢力を伸ばすだけだ。僕の意識も乗っかって。

 急速に広がりつつある僕の意識。いま、僕の意識は隣の町まで至ったことが分かる。

 僕はやがてこの国を包み込むまでに広がり、海を越え、この星を覆うだろう。この星が滅亡するまで。

 いや、もしこの星が滅亡しても僕は残り続けるだろう。例えば爆発。その意識は宇宙中に飛び散り、セルは新たな場所でコミュニティを形成する。そしてそこでも僕は増殖していくのだろう。その繰り返し。

 僕の永い旅が始まった。

 それは終わりのない旅だった。

 少し前まで一介の人間に過ぎなかった僕に、こんな出来事が訪れようとは。

 マイライフ、イズ、グッド。

 僕は皮肉と自嘲を込めて、そんなことを呟いた。

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