今終末

秋宮さジ

第1話


 ――今週末、地球に隕石が衝突する。


 木曜の深夜、ひっきりなしにそれを告げるニュースを、僕は呆然と眺めていた。


 隕石衝突に人類滅亡。ゴールデンタイムの特集くらいでしか見ないようなそのテロップが、深夜のニュースに、真剣なアナウンサーと共に僕の目に飛び込んでくる。


 衝突、衝突と馬鹿の一つ覚えのように同じ単語を繰り返すアナウンサーの表情は深刻そのもので、始めはそんな馬鹿なと冗談のように感じていたが、次第にそれを現実のものとして捉え始めると、僕の身体は急に冷や汗をかき始めた。


『――……突如として現れた巨大隕石が、今週末、地球に衝突すると……』


 隕石が衝突するのだ。僕の居るこの星に。


 まるで遠くで起こった大災害のようだった。唯一異なる点があるとすれば、今現在その影響を誰も受けていないことだろうか。深刻な事態の渦中に居ないのに、もうすぐ自分の身に降りかかる。訳が分からなかった。


『――……では、実際に我々の住む地球に隕石が衝突した場合、どのように……』


 隕石衝突のメカニズム、衝突した際の想定規模と時間経過の試算。


 視聴者の不安を扇情していることを意にも介さない報道の数々に辟易して、テレビの電源を切り、しかしまた点ける。この状況に何も出来ないことが何よりも恐ろしい。こんな番組でも見ていないと気が済まない。


 今週の土曜日の朝、地球に隕石が落下する――。


 高校二年の夏休み、僕はいきなり余命数日を携えることになったのだ。



 ◇



 次の日の朝は、家中大騒ぎだった。妹は泣き叫び、母がそれを宥める。父は沈痛な面持ちで、しかし仕事に向かう。仕事をしたって、週末には何もかも無くなるんだからと母は引き留めたが、最後には送り出した。半ば諦めもあったのかもしれない。


 最後くらいぱーっとお金を使って、家族旅行にでも行けばいいのに。父を仕事に送り出した後、リビングで洗濯物を畳む母にそう言われて、確かにそうだと思った。

 家族の時間より仕事を優先するなんて、あまりに薄情じゃないか。世界が終わるというのに、今更仕事をする意味なんてあるはずが無い。


 しかし、母はそれ以上言わなかった。

 実際に今から行動に移そうという素振りも見せず、その発言はただ願望の吐露に終わり、今しがたタオルを畳み終わった母は、それを脱衣所に持って行く。そのふかふかのタオルを使い終わる前に、世界は終わってしまうというのに。


 中学三年生の妹は更に悲惨だった。


 ひとしきり泣き叫び、泣き疲れて落ち着いたかと思えば、一時間前から部屋に引き籠った。母によると、来週、近くの神社で催されるはずだった花火大会が中止になったらしい。曰く、妹は中学校の同級生と遊びに行く約束をしていたが、中止の一報を人づてに聞いて、あの半狂乱を起こしていたようだ。


 妹にとっては、隕石が地球に衝突なんてものは副次的な情報に過ぎず、花火大会の中止の方が重大だったようで、行きたかった行きたかったと子供のように駄々をこねる姿は、昔見た小さな妹と重なった。


 高校受験を控えた妹は、友達の遊びの誘いも断って塾に通い、夜遅く家に帰ってからも勉強し、次第に家族との会話も少なくなっていた。

 最近になって、無邪気だったのが急に大人びた雰囲気を帯び、滅多に表情を変えなくなった妹が、家族の前であんな風に取り乱すのは意外だった。


 今は亡き祖母から譲り受けた煌びやかな金魚模様の浴衣が、ダイニングの衣文掛けで静かに揺れている。大のおばあちゃんっ子だった妹は、さぞ楽しみにしていたのだろう。僕にだってそれくらいの共感性はある。


 それと同時に、僕にとっては、週末に人間が一人残らず死んでしまう方が重大だとも思う。もし仮に、来週の花火大会が無くなるか、今週末の人類の滅亡かの二択を迫られたら、妹は後者だろうが、僕は迷わず前者を選ぶ。


 それで来週、また世界が何事もなかったかのように始まるのなら。


 しかし、花火大会は中止になり、隕石によって人類は滅ぶ。この現実に、僕は諦観すらし始めていた。


 人類滅亡を間近にして、現実を突きつけられる一方で、別段自分に出来ることもなく、惰性で一日を過ごし、気が付けば昼下がり。

 食事の最中にテレビを点けると、隕石衝突に際した世界の動きが報道されていた。


 外国では、暴徒化した民衆が店を襲撃し、食品や金品を巡って争っているらしい。 

 店の主人は最初こそ抵抗していたが、最後には呆れ、諦めた様子で店を後にした。そこには民衆が奪い尽くし、何も無くなった伽藍洞のスーパーマーケットが広がっている。馬鹿みたいだ。この世界が終われば、食料も金品も意味を成さなくなるのに。


 またある国では、聖地を巡礼する様子が報じられた。今年度の巡礼の日程はとっくに過ぎていたが、最後の瞬間をこの場所でと、大勢の信者が押し寄せているようだ。

 順繰りに様子が切り替わっていき、街中、海、崖、色々な場所で、皆が終わりを覚悟していく。僕はと言えば、まだ覚悟はついていない。


 実感だけが僕の脳内を追い越して、テレビの画面に吸い付いている。


 チャンネルを切り替えると、今度は国内の様子が映し出された。とあるチャリティー団体が発起したプロジェクトに関する特集のようだ。「最後は明るく、笑って終えよう」――有名人やタレントがスタジオに会し、人類の滅亡を美化するように、自分たちの考えを述べ、それぞれにうんうんと頷いている。


 最後は明るく笑って終える。

 そんな理想を今際の際に押し付けるテレビを不気味に感じ、僕は電源を落とす。


 自室に戻り参考書を開くも、もうその必要は無いことに気付く。床に積み上げられた学校からの課題に視線を落とす。

 夏休みが終わる前に世界が終わる。また参考書に視線を戻す。受験が始まる前に世界が終わる。もっと言えば学校の試験が始まる前に世界が終わる。


 これまで当たり前だった学生の本分が、昨日の一報で「しなくていい」ものになる。喜ばしいことなのだろうか。勉強が嫌いな奴は喜ぶかもしれない。いや、世界が終わるのだからぬか喜びだろう。

 妹は悲しむはずだ。あれだけ頑張った受験勉強が泡沫に帰すのだ。この春からずっと志望する高校に向けて努力をしてきたのだ。そう考えると妹が不憫に思えてきた。


 参考書を閉じて本棚に戻す。床に積み上がった課題を束にしてゴミ箱に捨てる。


 ともすれば、だ。地球の最後に、僕は何をしていればいいんだろう。皆、それぞれの場所で等しく終わりを迎えていく。

 僕はこの自宅で、何もせず、ひょっとしたらゲームをして、その時が来るのを待つのかもしれない。それが平凡で、奇をてらわないありふれた終わり方かもしれない。


 結局、僕は何もしない。出来ない。店に強盗に入ることも無ければ、信仰する神に祈りを捧げることも、チャリティーに参加してこの終末を美化することも出来ない。


 惰性でだらだらとスマホを眺め、時刻は気付けば夕方。そこに、ふと一件の通知が届く。唯一ネットニュースでフォローしていた、僕の住む地域に関する記事だ。


『――花火大会決行』

「――――……!!」


 急いで妹の部屋へと向かう。花火大会するって、とノックと同時に大声で叫ぶと、数刻おいてガチャリとドアが開き、泣き腫らした妹が目を丸くする。

 妹が口を開く前に、僕は続きを口にする。


「今から僕の自転車に乗せてやるから、行こう」


 運動音痴の妹は自転車に乗れない。だから僕の自転車の後ろに乗せる。違法だって分かっている。だが隕石衝突の間際に、誰が僕を罰するというのだろう。


「浴衣、着るから。待ってて」


 妹がドタドタと階段を駆け下りる音が聞こえる。きっと着付けに時間が掛かるだろうから、その間に僕も準備をする。この際だ。いくら掛かってもいい。花火大会は決行されて、その後に世界は終わる。それでいいじゃないか。僕がだらだらとその時を迎えるより、妹が本懐を果たせるのなら、そっちの方がずっといい。


 一時間ほどで、妹は家を出てきた。

 煌びやかな金魚の浴衣。お化粧もしているようで、妹は綺麗だった。先に自転車を出して門前の道路で待っていた僕は、後ろに妹を乗せる。横に腰掛ける形で座った妹を振り落とさないよう慎重に漕ぎ始め、しかし速度を上げ、会場の神社へと向かう。


 神社へ向かう道中、舗装されてはいるが勾配のある山道に差し掛かる。平気だろうか。いや、もはや関係ない。蒸し暑さと蝉の声を一身に受けながら、僕は妹を会場に運ぶ。人が増えてきた。山道を車も通るようになり、何度か肝を冷やした。


 山の上にある会場の神社へ到着する。入口付近の砂の地面、無造作に自転車が止められたそこに、僕も適当に自転車を止める。すぐ奥では屋台が立ち並び、香ばしい匂いが漂って来る。大勢の人だかりで、わいわいがやがやと賑わっている。


「友達は来てるの?」

「来てる……多分」

「じゃあ、行って来いよ。僕は適当に見て帰るから」


 妹はふるふると首を振る。


「お兄ちゃんと一緒がいい」

「……そっか」


 ――ピュゥゥゥウ……ドドンッ


 その瞬間、遠くの空で花火が上がる。花火の時間も前倒しだ。次々と光の線が空を泳ぎ、迸ってぱらぱらと消えていく。人類滅亡の一日前だというのに、これからも、明日からも世界が続いていく。そんな気がした。



 ◇



『――……隕石は軌道をそれ、地球衝突を免れたとのこと……』


 結局のところ、世界は終わらなかった。土曜日の昼、隕石が地球衝突を免れたことを告げるニュースを、アイス片手に僕は眺めていた。


 この数日で、色んな目まぐるしい光景を目にしてきたが、それら全てがまるで嘘だったかのように、全てが元通りになった。

 正直なところ、最後まで世界が終わる覚悟は出来なかった。昨晩感じた、世界が続いていく予感の通り、世界は何事もなく続いていく。


「そう言えばあんた、今朝ゴミ捨ての時に袋の中に学校の宿題も入ってたけど、あれは捨てて良かったの? 捨てちゃったからもう遅いけど……」


 母の一言で、僕は食べていたアイスを膝に垂らした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

今終末 秋宮さジ @akimiyasaji1231

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ