第25話

「ぎゃあああ!」


 ドボン。

 左右に揺れる巨大な振り子が直撃し、挑戦者のお兄さんAがプールに叩き落とされる。

 ザ・ウォーターランズ。

 パークと同じ名を冠したこのアトラクションは、水上に並ぶ足場を進みながら障害物を突破する人気の水上アスレチックだ。

 琢磨達と決着をつける為、俺達はこいつで勝負する事になった。


「ったく。折角のデートだってのにめんどくせぇ事になっちまったな」


 二レーンあるコースの片方に陣取り、俺はいかにもやる気なさそうに隣に並ぶ琢磨に話しかける。

 余裕ぶって構えているが、内心俺は憂鬱だった。

 大抵のゲームなら琢磨に負けない俺なのだが、運動が絡むと分が悪い。

 最近は朝比奈さんと一緒にフィットネスゲームで汗をかいているとはいえ、基本的に俺は運動不足のひ弱なオタクだ。

 琢磨も別に運動神経が良いわけじゃないんだが、見た目でわかる通りフィジカルの点で圧倒的に差をつけられている。

 正直言ってこの勝負で琢磨に勝てる気がしない。


 ムキになった所で余計な恥を晒すだけだろう。

 どうせ負けるなら少しでも傷を浅くしたいので、早々に俺は白旗を上げ、最初からやる気なんかありませ~んアピールをしている。


 男らしくないとは思うのだが、俺にだって意地はある。

 本気で頑張って琢磨に負けたら恥ずかしいし悔しいし惨めだ。

 ただでさえ琢磨には色々先を行かれているのに、親友としてのパワーバランスが崩れてしまう。

 朝比奈さんにだって恥を掻かせることになるだろう。

 それなら最初から勝負を投げた方がマシである。

 そんな俺に、琢磨はボソリと呟いた。


「なぁブラザー。そういうのやめにしない?」

「あ?」


 似合わないガチトーンに俺は困惑する。

 琢磨は真っすぐ前を見据えたまま、こちらを向いてはくれなかった。


「なんで俺が智樹に内緒で彼女作ったかわかんない?」

「なんだよいきなり。……そんなもん、わかるわけねぇだろ」


 むしろ俺が教えて欲しい。

 琢磨がブラザーと俺を呼ぶように、俺達は今まで兄弟みたいに仲良くやってきた。

 それなのに、突然黙って彼女を作るなんて。

 そんなのは、裏切り以外のなにものでもない。


 どうして俺に相談してくれなかったんだ?

 そりゃ、口では嫉妬したかもしれない。

 内心でも、本気で嫉妬しただろう。

 でも、俺とお前の仲なんだ。

 悔しいけど、それはそれとして、本心じゃ祝福したはずだ。


 俺とお前の友情にかけて、見苦しい男の嫉妬はグッと飲み込み、自分の事みたいに祝えたはずだ。

 それなのに、黙って彼女を作られたらそれも難しい。

 なぁ琢磨。

 俺とお前の友情ってそんなもんだったのか?


「いい機会だからぶっちゃけるんだけどさ。俺、ずっと智樹に勝ちたかったんだよね」

「は? 勝つってなににだよ。別に琢磨、俺に負けてる要素なんかないだろ」

「そういう所だろ」


 苛立ちを押し殺すような声に、俺はゾクリと震える。

 今まで琢磨にそんな声を向けられた事なんか一度もない。


「同じオタクなのにさぁ。ゲームじゃ全然勝てないじゃん」

「……そんな事かよ。くだら――」

「くだらなくなんかないだろ」


 ピシャリと言われて俺は言葉を失う。


「そりゃ智樹は良いよ。ゲームやる度気持ちよく勝っちゃうんだからさ。けど、負けてる俺は惨めだろ。一緒にゲームしてても、いっつも智樹にキャリーされてる。口ではブラザーなんて言ってるけど、結局俺は弟分だ。俺はさ智樹。ずっとお前が羨ましかったんだ。お前みたいに周りの事なんか気にしない、強いオタクになりたかった。でも出来ないから、陽キャの真似なんかしてるんだ。同じ土俵で勝負したら一生智樹に勝てないから。彼女作ったのだってその為だ。それ以外、智樹に勝つ方法なんか思いつかないもん。それで土下座までして彼女作ったのに、お前は簡単に追いついて来やがる。なんだよ、朝比奈さんって。オタクのお前がなにをどうしたらクラスのマドンナと付き合えるんだ? 意味分かんねぇ。チートだろ。頼むから、一個ぐらい俺にも勝たせてくれよ。逃げないで、真面目に俺と戦えよ」


 琢磨の顔がこちらを向いた。

 こんなに長い付き合いなのに、今まで一度も見た事のない顔をしていた。

 俺はかなりムカついた。


「バカじゃねぇの」


 琢磨の顔が怒りで引き攣る。

 けど、怒鳴ったりはしなかった。

 そういう奴なのだ。

 臆病なわけじゃない。

 凄く優しい奴なのだ。

 殴られる事よりも、殴った相手の手を心配するような、バカみたいに優しい奴だ。


「……智樹にはわかんないよ」

「わかりたくもねぇよ」


 言わなきゃよかったと後悔するように、琢磨が俺から顔を逸らす。

 俺は琢磨を睨み続ける。


「俺はお前の事、格下だなんて思った事一度もねぇから。むしろ逆だ。いつも俺を不安にさせる最強のライバルだと思ってた。お前にだけは負けたくなくて、ゲームだって裏で必死に練習してたんだぞ。今なんか、メチャクチャ差をつけられたと思って死ぬほど焦ってる。それなのに、お前がそんな事言いだしたら俺がバカみたいだろ」

「智樹……」


 親友の目が再び俺を捉える。

 お互いに目を合わせ、俺達はまだ親友なんだと確認して、心の底からホッとする。


「……逃げるような事言ったのは悪かったよ。スイミングの時も。琢磨に負けたくなくて、勝負から逃げ出した。悪かった。そんなのは回線切りと同じだよな。ゲームが始まったら、決着つくまで逃げちゃダメだ」


 琢磨の顔がキョトンとした。


「スイミング? なんの話?」

「いや、だから、スイミングスクールでさ……。琢磨に段抜かれて、嫌になって辞めただろ?」

「え!? それってそういう理由だったの!?」

「気付いてなかったのかよ……」


 その辺の禍根からくる話だと思ってたんだが……。


「全然……。智樹泳ぐの上手かったし……。普通に飽きたから辞めたんだと思ってた……」

「ちげーよバカ! スイミングは普通に楽しかっただろ!」


 一緒にバカ騒ぎして、帰りに自販機でアイス買って、送迎バスの中でカードゲームしたりして。

 琢磨と一緒だから楽しかったんだ。


「え~。それ早く言ってよブラザー! 智樹のせいで俺色々拗らせちゃったじゃん!?」

「知るかよ! おかげで可愛い彼女出来たんだからトントンだろ!」

「それはその通り! でひゃひゃひゃひゃ!」


 見慣れたバカ笑いを浮かべると、俺達の番が来た。


「あ~あ~。なんか肩の力抜けちゃったなぁ~」

「そいつは好都合だ。朝比奈さんに格好いい所見せたいからな。俺の為に踏み台になってくれ」

「それは俺ちゃんも同じだから! 目指せ夏休み中に脱童貞! は流石に無理でも、キスぐらいはしときたいじゃん? ブラザーには悪いけど、俺ちゃんの筋肉の引き立て役になっておくれやす」

「言ってろ色ボケ野郎。そんなお飾りの筋肉に負けて堪るか」


 減らず口を叩き合うと、俺達は勢いよくスタートを切る。


「頑張れ黒田君!」

「負けるなダーリン!」


 二人の女神の応援も虚しく。

 俺達は二人仲良く序盤の障害で脱落した。


 まぁ、オタクの運動神経なんてそんなもんだろ。

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