第22話

「いっちにーさんしー!」

「にーにーさんし……」

「黒田君! 声小さいよ! 恥ずかしがってないでしっかり身体動かして!」

「わ、わかってるよ!」


 夜見さんとのリア充バトルを抜きにしても、普通に楽しみだったのだろう。

 朝比奈さんは普段にもましてハイテンションだ。

 太陽よりも眩しい笑みを輝かせ、たわわな胸をブルンブルンと揺らしながら豪快に準備運動をしている。

 楽しそうな朝比奈さんがシンプルに可愛くて、俺はついつい見惚れてしまう。


 それにしてもだ。


 まさか陰キャオタクで非モテの俺が、クラスのアイドル的存在である朝比奈さんと二人でプールに来ることになるとは。

 思い返せば汗だくの朝比奈さんがウチに涼みに来たあの日から、覚めない夢を見ているようだ。


 それはそれとして、俺は色々恥ずかしい。


 ヒョウ柄ビキニで露出過剰な朝比奈さんも、そんな朝比奈さんが俺の隣にいる事実も、いまだに釣り合いが取れているようには思えない情けない俺の貧弱ボディも、そんな俺達を羨んだりエッチな目で見るその他大勢の視線も、なにもかも。


 根が陰キャな俺だから、暇さえあればなんかなんかと自虐して陰に閉じてしまう。

 けど、朝比奈さんが一緒にいると心強い。

 こんな俺でも陽キャみたいに何も考えずに楽しんでもいいのかもとちょっとは思える。


 今俺は、朝比奈さんにキャリーされている。

 その事に感謝しつつ、やっぱり俺は恥ずかしい。

 俺にだって男の見栄というかプライドって奴がある。

 いい加減、ちょっとくらい朝比奈さんの前で良い恰好をしたいと思ってしまう。

 完璧超人にしか見えない朝比奈さんを相手にして、俺が格好をつけられるビジョンなんかまるで浮かびはしなかったが。


 それでもまぁ、願うだけならタダだろう。


「オウケ~イ! 準備運動も終わったし、まずはアレやろうよ!」

「おう……」


 朝比奈さんが指さしたのは波打つプールだ。

 手前はビーチのようになっており、奥に行くほど深くなる。

 定期的に人工の波が奥からザブンと襲ってくる仕組みらしい。

 ……なにそれ!

 メッチャ楽しそうじゃん!

 チャポンと浅瀬に足を入れると、プールに来たんだって実感が込み上げて意味もなく顔がニヤケてしまう。


「そういえば黒田君泳げるの?」

「まぁ、ちょっとは。小学生の頃スイミングスクール通ってたし」

「え~! 意外! なんでやめちゃったの?」

「……だりぃから」


 というのは半分嘘で、背泳ぎが出来なかったからだ。

 背泳ぎが出来ないと次の段階に進ませて貰えない。

 それで一緒に通ってた琢磨に追い抜かれて嫌になってやめた。

 その後すぐ、琢磨も俺がいないとつまんないとか言ってやめたけど。

 ……なんか、思い出したくない事思い出しちゃったな。


「あははは! ぽいぽい!」


 朝比奈さんの笑顔を見たら秒でどうでもよくなった。

 クロールバタ足息継ぎくらいは普通に出来るから別に困らないし。


「朝比奈さんはどうなんだよ」

「ん~。可もなく不可もなく? 学校で習っただけって感じ」

「だいたいそうだろ」


 そもそも朝比奈さんは運動神経が良い方だし。

 俺の拙い水泳経験で溺れている朝比奈さんを助けるというラブコメにありがちなシチュエーションが発生する事はなさそうだ。

 別に期待もしていない。

 普通に危ないし。

 格好つけの為に女の子の不幸を期待する程落ちぶれちゃいない。


「てか、なんでそんな事聞いたんだよ」

「だって危ないじゃん? ここの波、かなり凄いらしいし」

「大袈裟な。これくらいで溺れるかよ」


 見栄を張ったわけじゃない。

 今いる所も精々膝より少し高いくらいだ。

 いくら俺がヒョロガリだからって、こんな所で溺れるわけが――


『ビックウェーブ接近中! ビックウェーブ接近中! 3、2、1、ドッカ~ン!』


「は?」


 間の抜けたアナウンスと共に、奥の方からとんでもない大波がザブンとこちらにやってくる。

 てかこれもはや津波だろ!?

 奥の連中がどいつもこいつも浮き輪してると思ったらこういう事かよ!?


「どわぁ!?」


 慌てて身構えるも時すでに遅く。

 殺到する大波に足元を攫われて俺はツルンと仰け反った。


 ムギュン。


「ほらぁ! 言わんこっちゃない!」


 後ろから抱きしめられ、俺は言葉を失った。

 朝比奈さんのモチっとした腕がガッチリ俺を捕まえている。

 背面にはピッタリと、朝比奈さんの胸やお腹や太ももがダイレクトに触れている。

 最初はヒヤッとして、後からじんわりと熱い朝比奈さんの体温を感じた。

 あまりにも刺激的な体験に俺の意識はシャットダウンする。

 すぐに再起動したものの。


「どあぁあああ!? なにすんだよ!?」


 驚きのあまり、俺は朝比奈さんの腕の中から逃げ出してしまう。


「危ないから助けたんじゃん! 他に言う事あると思うんだけど?」


 ムッと口を尖らせる朝比奈さんを見て、胸いっぱいに恥ずかしさと罪悪感が広がった。


「ご、ごめん……。びっくりして……。あ、ありがとう……。おかげで助かった……」


 うぅ……。

 大口叩いたそばからこの体たらく。

 情けねぇ……。

 落ち込む俺を見て、朝比奈さんは両手をワナワナさせて身悶えた。


「ぎぃぃぃぃ! 黒田君! がわいずぎいいいいいい!?」

「意味分かんねぇし……。情けねぇだけだろ……」

「それが良いんじゃん!? ツッパってる男の子の恥ずかしがってる姿! 萌えだよ萌え! わかるでしょ!?」

「わかるか! 変態!」

「はぁ? 一般性癖ですけど! 性別逆にして考えてみてよ!」

「あーあーあー! 聞きたくねぇ! 頼むから黙ってくれ! このオタク女!」

「そうですけどなにか? あははははは!」

「なにが面白いんだよ……」

「いやだって、黒田君にオタク呼ばわりされるのなんかシュールじゃん!」

「……悪かったな」

「も~! そんな事で拗ねないでよ! あたしは普通に嬉しかったの! なんか友達レベル上がった感じしたじゃん?」

「意味分かんねぇし……」


 まぁ、言いたい事は分からないでもない。

 朝比奈さんがキモイムーブをする度に、ちょっとずつ距離が近くなっていくような気は俺もする。

 根っこの部分は同類なのかも、みたいな。

 もちろんそんなわけはないのだが。

 根本的に俺は陰で、朝比奈さんは陽なのだ。

 住む世界、見ている景色、物の感じ方、なにもかもが違うはずだ。


「分かれし! てか、浮き輪借りて奥行こうよ!」

「……え~」

「なに? 黒田君、もしかしてビビってる?」

「は? そんなわけねぇだろ。浮き輪とかガキっぽくて嫌なだけだ」


 嘘です。

 本当はビビってます。

 だって波デカすぎだろ!?

 浅瀬だからまだマシだったけど、奥の方なんか災害レベルだったぞ!

 そんな事は言えないので強がってみせるけど。


「そう? あたしは普通にビビってるけど。あんなん一人じゃ怖いもん! お願いお願い! この通り!」

「……仕方ねぇな」


 朝比奈さんに両手で拝まれたら嫌だなんて言えるわけない。

 冷静に考えると朝比奈さんを一人で行かせるのも普通に心配だし。

 そんなわけで二人で浮き輪を借りて奥に向かう。

 先程助けてくれたお礼じゃないが、俺はバタ足で浮き輪に乗った朝比奈さんを奥へと押す。


「あははは! すごいすごい! 黒田君泳ぐの上手いじゃん! いぇ~い!」

「……ただのバタ足だ。別に凄かねぇよ」


 まぁ、背泳ぎは出来なかったけど、それ以外はクラスで一番だった俺なのだ。

 小学生の頃の話だが、まだ錆びついちゃいなかったらしい。

 無邪気にはしゃぐ朝比奈さんに煽てられ、正直俺もまんざらではない。

 そうして最奥の一番波のデカいポジションに二人で陣取る。

 普通に1、2メートルくらい持ち上げられてるように見えたから、正直怖い。

 朝比奈さんも怖くなってきたのか、気付けば互いに無言になった。


「……く、黒田君」

「……なんだよ」

「……手、握ってくんない?」


 ドキッとした。

 恥ずかしくて、そんな事はとてもじゃないが出来そうもない。

 でも、不安そうに俺を見つめる朝比奈さんの顔を見てしまったら、そんな事は気にならなくなった。


「……仕方ねぇな」


 内心で、口から心臓を吐きそうな程ドキドキしながら。

 俺は水中で朝比奈さんの差し出した手をギュッと握った。


「絶対離さないでね! 絶対だよ!」

「あぁ」

「ぅぅ、なんか急に怖くなってきちゃった! お、溺れちゃったら助けてね!」

「あぁ」

「本当に大丈夫!?」

「大丈夫だ。なにがあっても絶対助ける。だから俺を信じとけ」


 格好つけじゃなく、心からの言葉だった。

 朝比奈さんを守りたい。

 怖い目になんか合わせたくない。

 怖がっても欲しくない。

 いつもみたいに笑っていて欲しい。

 気が付けば、朝比奈さんの手を強く握っていた。

 俺の気持ちに応えるように朝比奈さんも握り返す。


「……じゃあ安心だ」

「……ぉぅ」


 急に恥ずかしくなり、俺は臭すぎる台詞を後悔した。

 程なくして、設計者の正気を疑う大波に俺達は吹っ飛ばされた。

 繋いだ手と手はあっさり解け、俺達は離れ離れになってしまう。

 すぐに泳いで駆けつけたけど。


「黒田君の嘘つき! 絶対離さないって言ったのに!」

「いやあの波は流石に無理だろ!?」

「あはははは! マジヤバかったよね! もっかいやろう!」

「まだやんのかよ……」

「だって楽しいじゃん! ほら! 黒田君! もっかい手!」


 当然のように手繋ぎを要求される。


「……仕方ねぇな」


 上辺だけはそう言って、俺は今度こそ離すまいと心に誓う。

 まぁ、何度やっても離れ離れになってしまうのだが。


「あははははは! マジヤバい! 超~たのし~んですけど!」


 朝比奈さんが楽しいのなら、俺はそれで満足だ。

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