第20話

 いかにも陽キャの好きそうな、夏を歌ったジャパニーズラップが流れていた。

 鼻の奥で塩素の匂いがツンと香り、不思議と胸が心細い。

 南国風の植物に囲まれて、俺は一人、バカでかいトーテムポールと並んでいる。

 辺りを見渡せば、水着姿の家族連れやカップル達の眩しすぎる笑み笑み笑み。

 圧倒的な陽の気配に耐え切れず、俺はポツリと呟いた。


「……帰りてぇ」


 俺のような陰キャオタクには一生縁がないと思っていたその場所は、TOKYOウォーターランズ。

 その名の通り、ウォーターアトラクションを中心とした日本最大級のレジャー施設、つまりはクッソデカいプールである。


 いやなんでだよ。


 確かにプールに行くとは言ったけど、いきなりこれはハードル高すぎだろ。

 地元のチンケな市民プールとかで全然よかったんだけど……。


 なんでこんな事になってしまったのかと言えば、愛すべき我が悪友たる裏切り者の琢磨と、その彼女にして朝比奈さんのライバルである夜見さんのせいだろう。


 ジモティスでの邂逅以来、夜見さんは頻繁に琢磨とデートして、逐一その様子を朝比奈さんに送り付けていた。

 琢磨の奴も悪気なく、一々俺に惚気ラインを送って来やがる。

 やれ、漫画喫茶で個室デートは距離が近くて良いぞとか、一緒にホラー映画を見に行って流れで手を繋いじまったとか。


 く、そ、た、れ、が!


 それでまぁ、俺も朝比奈さんも頭がカッカしちまった。

 二人に勝つには、並のプールじゃダメだろうという話になり、色々話し合っている内に段々規模がデカくなり、この通り。

 うちの親を口八丁で丸め込み、休みの日に車を出して貰ったというわけだ。


 例によって我が家の中年バカップルは、「じゃ、あとは若者同士よろしくやってね。お母さんもオタク君――じゃなくてお父さんと久々のプールデートをエンジョイするから」と息子の俺を置き去りに、さっさと着替えてどっか行っちまった。

 そんなわけで、俺は一人で朝比奈さんの着替えが終わるのを待っているんだが……。


 まぁ気まずい。


 根本的に出不精で陰キャの俺だ。

 陽の気に溢れたレジャー施設に存在するだけでジワジワとスリップダメージでメンタルが削れる。

 慣れない上に絶対に似合っていない水着で防御力もゼロ。

 朝比奈さんに髪を切って貰ってから初の外出という事もあって、とにかく恥ずかしい。


 実際俺は浮いているのだろう。

 先程から、通り過ぎる女性陣の視線が痛い。

 俺を見るや目を丸くして、ニヤニヤと忍び笑いを浮かべていく。

 そりゃそうだ。


 朝比奈さんが俺に選んだのは、トランクスを切り詰めてピッチリさせたみたいなヘンテコな水着だ。形としては学校指定の水着に似てるんだが、かなりのローライズで、布が少ない。ビキニにちょっと布を足しただけといった代物だ。


 俺としては普通にブカッとしたハーパンタイプが良かったんだが、あの時は朝比奈さんの水着試着会の後で頭がパーになっていたし、水着なんかぱっと見全部同じに見えたし、朝比奈さんにも煽てられ、良く考えずに選んでしまった。


 その事を今、俺は猛烈に後悔している。


 だって俺は引き籠りの陰キャオタクだ。

 最近は朝比奈さんと一緒にフィットネスゲームで汗を流しているが、いきなりマッチョになるわけもなく、普通にひょろガリだ。

 肌だってなまっ白くて見るからに貧弱そうなもやしっ子と行った感じだろう。

 その上周りの男共はどいつもこいつも日焼けしたマッチョボディの持ち主ときている。

 そりゃ笑われて当然だ。


 ちくしょう! お前らぜってーこの為に鍛えて来ただろ!

 いや、多分、それが正解というか、マナーというか、陽キャ共の常識なのだろう。

 プールで恥をかきたくなければ、それなりに身体を造ってこいという話だ。


 ジモティスの時と同じように、俺は自分の貧弱さが情けなくて恥ずかしい。

 折角朝比奈さんとプールに来たのに、これでは全然楽しめる気がしない。

 そう言った諸々を含有しての憂鬱な「……帰りてぇ」だった。


 うぅ……。


「ねぇボクぅ、もしかして、一人で来てるのぉ?」

「え?」


 突然話しかけられてギョッとする。

 顔を上げると、見知らぬ大人のお姉さんが二人、例のニヤニヤ顔を浮かべて俺の前に立っていた。


 かなり際どい水着を着た、お色気たっぷりの姉さんだ。

 ねっとりとした視線が舐めるように俺の胸や股間の辺りを撫でまわす。


 ……なんだこれ?


「ぇ、ぁ、ぃや……」


 意味不明な状況に俺はビビった。

 だって俺陰キャだし。

 知らない人に話しかけられたら普通にビビる。

 それが水着姿のエッチなお姉さん×2となれば猶更だ。


「うふふ、緊張してるの? 可愛いわねぇ」

「あたし達暇してるんだけど。一緒に遊んでくれないかしら?」


 意味深なイントネーションで告げると、お姉さんAはなにかの合図をするようにふっくらとした赤い唇をぺろりと舐めた。

 それでふと、俺は一つの可能性に思い至る。


 まさかこれ、逆ナンって奴か?


 ………………いや。

 いやいやいやいや!

 ない、ないだろ!?

 あり得ないって!?

 だって俺、色白の貧弱もやし野郎だぞ!?

 てか暇そうな男なら他にいくらでもいるだろうが!?


 それともアレか?

 これはなにかの詐欺なのか?

 童貞臭漂うチョロそうな陰キャオタクを色仕掛けで誘惑し、怪しいビジネスに誘い込む的な?

 絶対そうだろ!?

 なんて思いつつ、俺はパニックで言葉が出ない。


「ぅ、ぁ、ぃや……」


 情けない声で呻きつつ後退ると。


「うふふ。そんなに怖がらなくたっていいじゃない。大丈夫よ? 食べたりなんかしないから」

「勿論、ボクがその気なら食べてあげてもいいんだけど?」

「ぃや……む、むりッス……」


 必死に断るが、俺の声は陽キャのラップにかき消された。


「ねぇ、いいでしょう?」

「おねーさんと一緒に楽しい思い出つくりましょうよ」


 お姉さん達が距離を詰め、俺に向かって手を伸ばす。


「黒田く~ん! お待たせ~!」

「あ、朝比奈さん!?」


 あぁ! 救いの女神よ!

 ナイスタイミングで着替え終わった朝比奈さんがパタパタと駆けてきた。

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