第8話

 その晩俺は朝比奈に母親との一件を報告した。

 女の子と通話なんて初めてだから、なんだか緊張してしまう。


『そういうわけだ。親の了承は取れたんだが……』

『なにか問題ありな感じ?』

『あぁ……。うちの母親がちょっとアレでさ。頼んでもないのに俺と朝比奈さんをくっつけようと企んでるっぽいんだわ』


 朝比奈さんはそんなつもりじゃない。

 俺の事を女に興味のない、硬派で安全な男だと思っているから涼みに来ているだけだ。

 それなのに、息子の恋人候補みたいな扱いをされたら嫌だろう。

 そりゃ俺だって朝比奈さんみたいな子が彼女だったら嬉しいが、そんなのは無理に決まっている。

 それよりも、下心を出して朝比奈さんに嫌われる方が嫌だ。

 とは言え、あの母親をどうにかするのは無理だから、せめて忠告しておいた。

 てっきり朝比奈さんは嫌がるかと思ったのだが。


『あははは! 良いお母さんじゃん!』


 大爆笑でウケている。


『どこがだよ!?』

『だってフツー、内緒で年頃の女の子部屋に呼んでたら怒られない?』

『まぁそうだけど……。自分の親にこんな事言いたかないが、あの人はフツーじゃない。ちょっと頭がおかしいんだ』

『あたしはそうじゃないと思うけど』

『あぁ?』

『黒田君のママはさ、黒田君の事信頼してるんじゃない? だって黒田君硬派だし。うちの息子が部屋に呼ぶような子なら大丈夫だろう! って。むしろそんな子なら、息子の彼女に相応しい的な?』

『違うって! あの人は息子を玩具にして面白がってるだけだから!』

『そうかなぁ~』

『そうだよ。絶対そう! 俺にはわかる! 親子なんだぜ?』

『親子だから分からないって事もあると思うけど』


 意味深な発言に俺はドキッとした。

 もしかして朝比奈さん、親と上手くいっていないのか?

 この状況も親と不仲で家に居づらいと考えると辻褄が合う。


『あ、ごめん。なんか深読みしてるっぽいけど、ママとはフツーに仲いいから』

『ならいいけど……。とにかくそういう事だから。変な事言われるかもだけど、アホの戯言だと思ってスルーしてくれ』

『そういうわけにはいかないでしょ! 今の話聞いた感じ、あたし黒田君のママにチョ~期待されてるじゃん? 頑張らなきゃ!』

『なにをだよ……』


 また話が変な方向に転がってる気がする……。


『黒田君のママにガッカリされないように?』

『そういうのいいから……』

『ダメだって! 黒田君に相応しくないって思われたら出禁になるかもしれないじゃん! 死活問題だよ!』

『そんな事……』

『ないって言える? 絶対?』


 そこまで言われると俺も自信がない。


『……いやまぁ。あの人の考える事は正直わからん』

『でしょ? これはもう面接だよ! ていうか試験? なんにしろ、頑張らなきゃじゃん!』

『……悪いな。面倒な親で』

『いや、黒田君は悪くないし。黒田君のママも悪くないじゃん? ていうか、年頃の男の子のお家にお邪魔するんだからそれくらい当然みたいな?』

『そう言ってくれると助かるが……』

『でも~? 黒田君がちょ~っとでもあたしに同情してくれるなら~、ヤバげな時はそれとな~く味方してくれると嬉しいな~って』

『勿論それはするけどよ……』


 朝比奈さんが不意に黙り込んだ。


『朝比奈さん? もしもし?』

『……ドーシヨー。冷静に考えたらはちゃめちゃに緊張してきた!? 黒田君のママって怖い人じゃないよね!?』

『大丈夫だと思うけど……。多分……』

『多分じゃやだー!』

『だ、大丈夫だって! そうだ! うちの母親、昔ギャルだって言ってたぜ? 朝比奈さんと話合うんじゃないか?』

『……嘘でしょ』


 朝比奈さんの声が怯えていた。


『え? ギャルだとマズいのか?』

『マズいって! 今のギャルと昔のギャルじゃ絶対違うし!』

『そうか?』

『そーだよ! 昔のギャルってヤンキーみたいなもんでしょ! ガングロにルーズソックスでオヤジ狩りみたいな!』

『いやまさか……』


 と思いたいが……。


『大丈夫? 黒田君のママ、怖くない?』

『怖くない……とは言えない……。むしろ怖い。普通に街中で知らない人と喧嘩しだすし』


 まぁそれは、煙草のポイ捨てを注意してとか、スーパーの店員さんに暴言吐いてる人に怒ったりでとかだけど。


『ほらぁ!? やっぱりヤンキーじゃん! シメられちゃったらどーしよー!?』

『いや、流石にそこまではしないから! てか、朝比奈さんに手出したら俺が止めるし!』

『ありがと……。あたしもそーならないように頑張らなきゃ……』


 気が付けば物々しい雰囲気になってしまった。

 通話を終えて静かになると、俺は思った。


「……いや俺、盛大に誤解させただけじゃね?」


 確かに俺の母親は怖い。

 ギャルというより元ヤンと言われた方が納得しそうな人物だ。

 でも、悪い人だと思った事は一度もない。

 そんな事、考えた事もない。

 むしろ逆だ。


 俺は一度だって母親が間違っている所を見たことが……。

 いや、あるな。

 めっちゃあるわ……。

 でも、人として道を踏み外している姿は見たことがない。

 それだけは断言できる。

 こんな事、恥ずかしくて口には出せないが。

 普通に尊敬している自慢の母親だ。


 ……どうしよう。

 朝比奈さんに訂正するべきだろうか?


「……まぁでも、怖い事には違いないし。変に母親持ち上げてマザコンだと思われるのも嫌だし……。なるようになるだろ!」


 という事で、慣れない運動で疲れていたし、明日に備えてサッサと寝た。


 そして翌日。


「……なんなんだよ、その恰好は……」


 母親の頭がおもちゃ箱の中身をトッピングしたソフトクリームみたいになっていた。派手なメイクに赤いフレームの眼鏡をかけて、休日だというのになぜかバシッとスーツスカートを着こんでいる。


「まずは形からって言うでしょ?」

「なんの形だよ!?」


 俺の青春を刈り取る形か?

 マジでふざけ過ぎだろ!


「やっぱ変? 智樹の彼女候補のかわいこちゃんが来ると思ったら張り切っちゃって。姑として舐められたくないし? とりま盛髪で気合入れてみたんだけど」

「明らか変だろ!? スーツなのも意味不明だし!」

「だよねー。お母さん考えすぎちゃって……。今日のテーマ的に面接官じゃん? と思ってスーツにザマス眼鏡合わせたんだけど。そもそも他所様の子に面接とか何様だよって感じだし……。やっぱ着替えて来よっかなー」

「是非そうしてくれ……」


 髪型のせいか口調がギャルっぽくなってるのもキチーし。

 なんて思っていると。


「僕は好きですよ〜」


 リビングから嬉しそうな親父の声が聞こえてくる。

 母親はムッとした顔でそちらを睨み。


「オタク君は黙ってて!」

「は~い……」


 ピシャリと言われて親父が黙る。

 その癖二人とも満更でもないオーラを出している。

 ……いやキチー。

 親のイチャイチャとかマジでキチー。

 頼むからそういうのは息子のいない所でやってほしい。

 ああもう! 親父のせいで母さんその気になってるっぽいし!


「まぁ? お父さんがそう言うならもうちょっとこの格好でもいいかな~って?」

「勘弁してくれよ……」


 誰だよこんなのを自慢の母親だとか言ってた奴……。

 俺か。

 ああ! 朝比奈さんにドン引きされる!

 むしろこれ、絶対に笑ってはいけない黒田家訪問になっちまうだろ!?

 どうすんだよこれ!

 なんて思っていたらインターホンが鳴った。


「お、来た?」


 呟くと、母親は伊達眼鏡をクイっとして仏頂面を作った。


「頼むから普通にしてくれよ!」

「はぁ? これが普通だし! てか普通ってなに? お母さんそーいうの分かんないんだけど」

「めんどくせー!」


 無駄に眼鏡をクイクイしながら母親が睨んでくる。

 そう言えばこの人、普通とかちゃんとしろみたいな言葉が大嫌いだった。

 ……やっぱ元ヤンなのでは?

 ともあれ、こうなってしまっては仕方ない。

 朝比奈さんを待たせるわけにもいかないので、仕方なく俺は玄関の扉を開ける。


「ごめん朝比奈さん! うちの親が暴走しちゃって……」


 開口一番言い訳をするのだが。


「……えっと、どちら様?」


 そこにいたのは朝比奈さんによく似た別人だった。

 黒髪ロングの姫カットに振袖を着た、市松人形みたいな色白の女の子だ。

 俺の呼びかけに、謎の美少女が顔を上げる。


「おはようございます。黒田君」

「あ、朝比奈さん!?」


 鈴のように凛とはしていたが、それでも声には朝比奈さんの名残があった。


「はい」


 朝比奈さんは頷くと、しずしずと優雅な動きで母親に視線を向ける。


「はじめまして。黒田君のお母様。黒田君の友人の、朝比奈夏海と申します」


 どこの御貴族様かと思う程、気品溢れる挨拶だった。

 あんぐりと、母親の口が空いていた。

 マスカラを塗りたくった長い睫毛が何度もはばたき、派手な付け爪のついた人差指が朝比奈さんと俺の間を行き来する。


 え? 嘘、この子が? マジで?

 母親の声なき声が俺には聞こえた。

 親子間テレパシーで、俺はいいから早く挨拶しろと促す。

 母親はハッとすると、わざとらしく咳ばらいをし、取ってつけたようにクイクイっと眼鏡を動かす。


「こちらこそ初めまして。智樹の母の黒田杏樹くろだ あんじゅですわ」


 ですわって……。

 なにキャラ作ってんだよ!


(向こうだって作ってるでしょ!?)

(そうだけど!)

(てかなにこの子!? めっちゃ美少女じゃん! 予想の万倍可愛いんだけど!? こんな子がどうしてうちの子なんかの部屋に入り浸ってるわけ!?)

(俺が知りてぇよ! てか、実の息子をなんか呼ばわりすんなし!)

(だって!? 流石にこの子と比べたらなんかになっちゃうでしょ!? 顔面強すぎ顔小さすぎ! 振袖着てるのにぱいぱいデカ過ぎなんだけど!?)

(息子のクラスメイトに向かってぱいぱい言うな!)

(だってこんなのぱいぱいでしょ!? パイアールの二乗でしょ!?)


 バカのテレパシーを繰り広げていると、朝比奈さんが不意に言った。


「……ごめんなさい」

「え? なにが?」

「……頑張ったんだけど。限界、みたい……」


 朝比奈さんがふら付いた。

 あの日の再現のように、咄嗟に朝比奈さんを抱きとめる。


「あ、朝比奈さん!? どうした!? 大丈夫かよ!?」

「らいじゃばない……。あちゅしゅぎで、ちんぢゃうよぉぉぉ……」


 グルグルと朝比奈さんが目を回す。


 黒髪ロングのヅラが取れ、俺の胸にはベッタリと汗交じりの白い化粧がこびり付いていた。

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