第7話
時が凍った。
クーラーは肌寒い程効いているのに、ブワッと冷たい汗が噴き出す。
「……は? 俺が? まさか! そんなわけないだろ……」
「じゃああんたの部屋に充満してるこの匂いはなんなのよ」
母親がクンクンと部屋の匂いを嗅ぐ。
疑いの目がジットリと敏腕刑事のように俺を責める。
母親の言う通り、俺の部屋には言い訳の余地がないくらい朝比奈さんのグッドなスメルが満ち満ちていた。
「あー……」
ダラダラと冷や汗が頬を伝う。
朝比奈さんの事は親には言っていなかった。
内緒にしていたわけじゃない。
まだ言っていなかっただけだ。
だって、共働きで両親が不在の家に年頃の女子を招いて二人っきりになるのだ。
そんなのどう考えたって如何わしい。
しかも朝比奈さんは彼女ってわけでもない。
友達と言えるのかも怪しい関係だ。
理由があるにしろ、誤解なく説明出来る自信がない。
ちゃんと話した所で親の理解を得られるかどうか……。
そう思うとなかなか言い出せなかった。
別に俺は硬派じゃない。
どこにでもいるフツーの、煩悩にまみれた高校二年生の男子だ。
あわよくば朝比奈さんとワンチャンあるかも? なんて大それた事は考えていないが、下心が全くないと言ったら鼻が伸びてしまう。
友人に裏切られ、無味乾燥とした俺の夏休み。
朝比奈さんはそこに現れた、たった一つの彩だった。
もう少しだけ、この夢のような夏休みを続けたいと願ってしまうのは当然だろう。
だから俺は必死に言い訳を考えた。
「ご、誤解だって。あれだよ、あれ……」
「どれよ」
「た、琢磨が遊びに来たんだよ。あの野郎、最近色気づきやがってさ。香水なんかつけてやんの。それの匂いじゃね?」
「あーね?」
白々しく相槌を打つと、母親はポケットから細い糸のような物を取り出した。
「じゃあ、この金髪はなに?」
「………………」
常人なら今ので一発ノックアウトだ。
俺も危なかったが、なんとか踏み止まった。
「琢磨のだって。色気づいたって言っただろ? 夏休みだからってさ、あの野郎金髪にしてやんの。笑えるよな、ははは」
「そうかしら。琢磨君、結構似合ってたけど」
「え?」
「仕事帰りにばったり会ったのよ。女の子なんか連れちゃって、デートの最中だったみたい。言ってたわよ、琢磨君。夏休み、一緒に遊べなくてごめんって。上手く行ったら彼女の女友達紹介するから、それで許せって。いい友達を持ったわね」
「スーッ……。そっすね……」
頭の中が真っ白になる。
母親の腕が蛇になり、シュルリと首に絡みつく。
「それでぇ~? 智樹ぃ? いったい、この部屋に、誰が遊びに来てたんだっけぇ~?」
分かっている癖に。
母親は、クソうざってぇニヤニヤ顔で聞いてきた。
「それは、だから、えっと……」
俯く俺は顔を失くした。
どこを探しても、ここから挽回出来る言い訳なんか見つかりっこない。
「言っておくけど、言い訳しても無駄よ? だってこれ、どう考えても女子高生の匂いだもの。髪の毛だって男にしては長すぎるし。だから間違いない。あんたはこの部屋に、女子高生を連れ込んでる。花京院の魂を賭けてもいいわよ」
こわ。
なんで分かるんだよ……。
「あのねぇ智樹ぃ? お母さんだって昔は女子高生だったのよ? 分からないわけないでしょうが?」
俺の首にうざったく腕を絡めつつ、やれやれと呆れ顔で言いやがる。
母親の女子高生時代とか死んでも想像したくないし、それ以前に人の心を読まないで欲しい。
「母親足る者、息子の心の声くらい読めなくてどうするのよ。ちなみに、今でこそ清楚な美人若ママなお母さんだけど、JK時代はゴリゴリのギャルだったんだから。その頃のプリ見たらビックリするわよ? 可愛すぎて惚れちゃうかも」
「惚れねぇよ! キモい事言うなし! てか、自分で清楚な美人若ママとか言ってんじゃねぇ!」
「あははは! だって本当の事だも~ん! で、どんな子なのよ? 可愛い? クラスメイト? まさか年上? それとも後輩? どんな関係で、どういう経緯で家に来ることになったのよ? ていうかその子、彼女なわけ? 怒らないから、お母さんに詳しく教えなさいよ~」
グリグリと、母親が上機嫌で俺の脇腹を小突く。
「や、やめろって! うざってぇ! てか、怒んないのかよ……」
困惑する俺に、母親はポカンと不思議そうな顔をする。
「なんで怒るのよ?」
「なんでって……。親の留守中に勝手に女の子家に入れちゃったわけだし……」
「エッチしたの?」
「してねぇよ!? なんだよ急にその質問!?」
「大事な事でしょ? まぁ、エッチくらい別にいいけど。お母さんもJKの頃は――」
「だああああああ!? やめろやめろ! 聞きたくない!」
マジでキモい。
鳥肌立つわ!?
「はいはい、わかりましたよー。ちぇ。とにかくよ? 別に智樹も高二なんだから、女の子連れ込むくらいは別にいいでしょ? 避妊しないでエッチしてたら流石に怒るけど、そもそもその域に達してないみたいだし。むしろガッカリって感じ~?」
「うるせぇよ! 悪かったな童貞で!?」
「本当よ。智樹って昔から変な所で格好つけなんだから。ムッツリな癖に硬派ぶって、俺は女の子なんか興味ありませ~んみたいな顔しちゃって! お母さん、心配してたんだからね? このまま一生童貞で大賢者になっちゃうんじゃないかって」
「余計なお世話だよ! てかなんだよ大賢者って!」
「知らないの? 三十歳まで童貞だと魔法使いになれるって奴。大賢者はそれの上位互換」
「知らねぇし! 寧ろ下位だろ!」
「ジェネギャって奴? お母さんショックだわ……」
母親が大袈裟に肩をすくめる。
そんなわけで、結局事の経緯を洗いざらい話す事になったのだが。
「それなんてエロゲ?」
「黙れよ!」
「お母さんになんて口を!」
「息子に向かってエロゲとか言ってんじゃねぇって話!」
「お母さんだってエロゲくらいやるし? ていうか智樹の話聞いてる感じ、その子無茶苦茶可愛いわよね? 画像キボンヌ」
「は?」
「だから画像。あんたの事だから、エッチな隠し撮りの千枚や二千枚持ってるでしょ?」
「ねーよ! 自分の息子の事なんだと思ってんだよ!?」
「だってお父さんがそうだったし」
「は?」
「ちなみにお母さんの画像ね。学生の頃の話。詳しく言うと――」
「頼むからやめてくれ。マジでガチで」
「ヒント。お母さんは陽キャギャルで、お父さんは底辺キモオタ」
「嘘だろ!? あの親父が!?」
一応俺の中では不器用だけど寡黙でかっこいい父親だったんだが……。
「ね? 気になるでしょ? だから続きを知りたかったらその子の画像見せなさいよ」
なるほど。
それが目的か……。
いやまぁ、だとしたら成功なんだが。
「んな事言われてもねぇ物はねぇよ! てか、勝手に画像撮るとか盗撮だろ!」
「ご時世よね~。真面目というかなんというか。まぁいいわ。だったらリアルで会えばいいし。どうせその子、明日も来るんでしょ?」
「いや来ないけど……」
「なんでよ!」
「だって休みだし……。親いるじゃん……」
「クーラー壊れてるんでしょ? 可哀想じゃない!」
「………………本音は?」
「息子の嫁候補がどんな女か気になるじゃない?」
「嫁候補じゃねぇし!? 彼女ですらねぇよ!?」
「だったら頑張りなさいよ! 男でしょ!?」
「なんで俺がキレられてんだよ……」
マジでこの親なんなんだ?
まぁ、反対されるよりはマシだけどさ……。
「お母さんなりに智樹の未来を案じてるの。普通に考えてこんなチャンス二度とないわよ? お母さんはね、運命を信じてるの。お父さんにとってのお母さんがそうだったみたいに、きっとその子はあんたにとっての運命の相手なのよ!」
「惚気かよ……」
「そうじゃなくて。別にお母さんだって最初はお父さんとくっつくなんて欠片も思ってなかったの! 誰があんな冴えないキモオタなんかって。でもまぁ、色々あってくっついちゃったの。そこはお父さんの頑張り勝ちよね。気付いたら好きになっちゃってたの。そういう事よ。チャンスと言っても良いわね。運命とは、その手で掴み取る物よ。お母さんの言いたい事、分るわよね、智樹?」
母親が真剣な顔で俺を見つめる。
「母さん……」
頷く母親に俺は言った。
「……あんた、面白がってるだけだろ?」
「てへ。バレたか」
「母親にぶりっ子されてもキチーだけだから」
「はぁ!? 息子だから分かんないだけでお母さん全然現役でイケてるんだからね!?」
「んな事言われたって余計にキチーだけなんだよ!」
「いいからその子連れて来なさい! それとも、母親に会わせられないような子なの!」
「そういうわけじゃないけど……」
「ならいいでしょ。けってー!」
「勝手に決めんなよ……」
まぁ、公認を取れたのは正直嬉しいが。
この母親に朝比奈さんを会わせると思うと、不安しかない俺だった……。
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