第20話 悪魔との対話

 葉月のように改心するものがいれば、中々自分の罪と向き合えないものもいた。しかし悪郎はそのことも織り込み済みであり、わざわざ教室を用意したのはこれが理由であった。


 進の見ていた悪夢を味わわせる。まったく同じものではなく、悪郎が少々手を加えたものだ。内容はより当事者の目線になれるように改変され、あたかも自分がそのいじめを受けていたように感じられるよう調整されていた。


 当事者意識になるということはとても難しい、夢でも現実でも、どんな追体験をさせた所で本物に敵うものはないからだ。だが、これですべてを理解することはできなくとも、どう感じたのかを考えるきっかけを与えることができる。そう悪郎は考えていた。


 事実この追体験によって多くの生徒の心が折れた。特に効き目が強かったのは率先していじめに関わっていた取り巻き連中であった。進の悪夢に少しも耐えることができず、速攻で涙と鼻水を撒き散らしながら謝罪と土下座をした。


 手を下す罪悪感には耐えられても、下される方の苦しみには耐性がない様子だった。そのことに呆れ返る悪郎だったが、所詮彼らはまだ中学生であり、不安定な精神と未完成な情操では、仕方ないところもあると割り切った。


 寧ろ反省の弁を口にできるということは、それを罪であると感じていることの証左でもあった。罪と知りながらも行動したことには腹が立ったが、それでもまだマシな部類かもしれないと悪郎は思った。


 問題は日和見と保身を第一に考えていた生徒たちだった。この分類の生徒たちはどこか認識が甘く、いじめの当事者意識も薄いままだった。自分より悪いのはいじめを先導していたものと、それを強要したものだという被害者意識も認識を歪める原因の一つだった。


「確かに一番悪いのは小坂とその金魚のフンだが、これは中々…」


 悪郎は頭を抱えた。それは日和見に分類されるものたちの方がよほど堕落した魂に近しかったからだ。見て見ぬふりの罪深さを悪郎は見誤っていた。こればかりは悪魔としての経験値の浅さが出た。


 他の優秀な悪魔であれば、より堕落に近い魂の持ち主が誰かを正確に見分けることができる。しかし悪郎は悪魔としての実力は下の下であり、碌に実績も積んでいないため経験値も乏しい。


 いじめのもつ業の深さというものを、悪魔の方が恐れ入るなどという、まったくもって情けない状況に陥っていた。


「まあ恥をかくのは俺一人だから構わんが、しかし骨が折れることだ…」


 どうしたって日和見に分類される人間の方が数が多い、全員の認識を変えるのには一苦労という問題ではなかった。やり方を工夫し、伝え方を考え、何度も挑戦を続けてようやく夢の世界から帰すことに成功した。


 分裂している一人一人すべてが悪郎そのものなので、困難も疲労もすべて自分が被ることになる、こんなに頭を使ったのいつ以来だろうかと悪郎は感じていた。


 それでも改心した生徒たちには後悔と反省の念が深く刻み込まれた。元々やりたくもないことに無理やり従わされていたのだ、拓巳たちに萎縮する気持ちさえ消えてしまえば、善良とまで言えないもののただの中学生には戻せた。


 ただ一人を除いたすべての生徒たちを改心させることに成功した悪郎。死を感じさせるような乱暴な手腕を用いもしたが、殺さないで済みそうだと思った。


 ただし残りの一人は雲行きが怪しかった。その人物とはいじめの主犯、小坂拓巳であった。




 拓巳はどれだけ凄惨な目に遭わせてみても、断固として自分のやったことの責任を認めなかった。自分は悪くないと本気でそう思っていた。


「お前その根性を少し暗い真っ当な方に使ったらどうだ?」

「悪魔が言うな」

「そりゃごもっともで」


 悪魔と対峙している拓巳の態度は不遜そのものだった。夢に入る前に散々取り乱していたことが嘘のようだった。


「少し同じ時間を過ごしただけでこの適応力の高さ。お前、俺が思っていたより結構優秀だな。少なくとも進より数段出来がいいよ」

「当然だろ」

「言い切るか」

「当たり前だ。俺は誰よりも出来がいいんだよ。悪魔、あのクラスを見ただろ?皆俺のことを認めて従っている」

「ああ、お前のその傍若無人ぶりに怯えてな」

「それがどうした。好きなように生き、やりたいようにする。それが尊ばれるのが今の世の中だろう、俺は俺が生きやすいように生きているだけだ」


 救いようのない奴だと悪郎は思った。しかしもとより救うつもりもない奴でもある。悪郎は笑みを浮かべるとパチパチと手を叩いた。


「なるほどなるほど、お前の言う通りかもな。自分の思い通りにしたいと主張することは誰にも止められない。受け入れられるかは別としてな」

「この教室で俺の行為は認められている。いや、認めさせた。だから俺は気に入らない奴を排除して、気に入った奴を手元に置く。どうせ教師の連中も強く出てはこられない、自分の評価や進退の方が生徒よりも大切だからな」

「否定はせんよ。それぞれに自分の生活ってもんがある。そいつが脅かされるのは誰だって嫌だからな」

「なら分かるだろ。俺がどうしようと俺の勝手だ。なんたって咎める奴がいないからな」


 面と向かって話すことでようやく悪郎は理解した。拓巳にとって進は、目障りかつどうでもいい存在だった。目の前をうろうろされると鬱陶しいので手段は問わず排除する、その後進がどうなったとて構いやしない。例え進が自分のせいで世を儚み自殺したとしても、拓巳の感情は毛ほども動かないだろう。


 他者から甘やかされ肥大化した自己愛が、周りの人間の怯えによって増長し、悪知恵だけが立派に育ったことで大人を舐めきっている、それが小坂拓巳のすべてであった。


 悪郎は拓巳と自分のことが少しだけ重なって見えた。拓巳は同年代の中からは突出した個性を持ち合わせていた。そしてそれをよく理解していて利用し、自分に都合がよくなるように周りを変えた。それによって周りが被る迷惑など考えることはしなかった。


 悪魔の中でも悪郎の成績面と能力面だけは突出していた。誰一人として悪郎に敵わなかった上追いつけなかった。悪郎には嫉妬や羨望の目が集まったが、それをどうとも思うことはなかった。自分はできるからやっているだけで他は知らない、そう切り捨てた。


 それを自分勝手と言うのか悪郎には分からなかった。しかし自分の立ちふるまいで他者がどう感じるかということに、まったくもって興味がなかった点が拓巳のやってきたことに重なった。


 しかしだからこそ悪郎は、その行為の代償が何なのかをよく理解していた。落ちこぼれの悪魔は拓巳に言った。


「もういいか。どうせお前に何を言った所でもう何も変わらんだろ。だがな小坂拓巳これだけは言っておく、本当に自由に生きたいのなら他者の自由もすべて受け入れなければならない。それがどんなに気に食わないことであってもだ」

「笑わせる、悪魔が俺に説教か?」

「いいや最後通告だ。お前にそれができるか?」

「くだらないことを言うな」

「予想通りの答えをありがとう。これでようやく悪魔らしいことができる」


 悪郎が指を弾くと教室の壁がパタリと倒れて天井と床が消えた。机と椅子も消え、悪郎と拓巳は暗闇の中へ落ちていく。


「何だ!?何をしやがった悪魔!」


 その言葉を最後にして拓巳は真っ黒な水の中へと落ちた。何とか水面まで上がって顔を出すと、空から悪郎が見下ろしていた。気に食わない拓巳は声を荒らげようとするも、水中にいる何かによってまた中に引きずり込まれた。


「もうお前はそこを出られない、だから勝手に話す。そこは悪魔が回収した魂の内、邪悪が過ぎて扱いに困った時に使われる廃棄場だ。堕落ってのは案外難しくてな、ただただ邪悪になるだけなら誰にでもできるんだ。それがどんな善良な人間であろうとも、箍が外れれば人間はどこまでも邪悪になれる。極端に思えるかもしれんがそういうものだ」


 めげずに這い上がる拓巳であったが、次々と海中の手が足に絡みついてきて離れない。何度でも引き戻された。


「ここは夢の中の世界だからそれは本物じゃあない。俺が魔法で再現したものだ。だが強烈だぞ、そこには人の悪意がこれでもかというほどに溶け出している。浸されている間に、お前はどんなものを見るかな?生きていられたらいいな。本音を言えばどっちでもいいがね、お前がどうなろうと俺にはまったく興味がない」


 人間の持つ狂気と悪意が溶け込んだ混沌の海、そこではありとあらゆる悪逆な行いの限りを体感させられ続ける。それは悪魔に捨てられた魂が尽きるまで何度でも繰り返される、死に救いを求めても終わることはない。


 拓巳の悲鳴すら海中に掻き消える、無限に思える苦痛の中へと拓巳の魂は沈んでいくのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る