第19話 悪夢の意味

 悪郎が仕掛けたものは、それぞれの本音を発露させるものであり、効き目は抜群で拓巳が作ったいじめの場のグループメッセージは地獄の様相を呈していた。


 批難の応酬に始まり責任の押し付け合い、全員がそれぞれに抱えていた罪悪感を暴露し、それを誰かにせいにした。加熱していく悪口の坩堝は、いよいよ収集がつかなくなってきた。


 それを眺めていた悪郎は、スッと指を動かしスマホを操作した。するとグループは消去されて書き込まれていた大量のメッセージがすべて消滅した。唐突に始まり唐突に終わった一連の騒動に、そこにいた全員が困惑して手を止めた。


「どいつもこいつも保身保身で本当に呆れるな。まあ無理もない、小坂拓巳以外の誰もが次は自分かと考えていただろうからな。しかしやったことの責任は消えない。心にこびりついた悪意のヘドロが、悪魔の俺にはよーく見える。さあ、次に行こうか」


 悪郎は飛び立つとそのまま姿を消した。その日の夜、グループメッセージに参加していた全員が深夜を待たずすっかりと寝入った。いつもならその時間まで起きているもの、それより前の時間に眠る人、全員きっかりと同じ時間で就寝した。




 夢の中で生徒たちは一人でいつもの教室にいた。一人一室の教室が与えられ、窓の外には他の生徒も同じ状況なのが見えた。何とか脱出し声を届けようと試みるも、窓ははめ殺しで扉はびくともせず、大声は教室内で虚しく響き渡るだけであった。


 普段は狭く感じる教室も、一人でいると無駄に広く感じた。この上なく殺風景で物もなく、唯一存在するのは教室の真ん中に一組の机と椅子のみであった。外にクラスメイトの姿が見えていても、声が届かず出れもしないので、全員仕方なくその椅子に座った。


 すると突然教室の扉が開いた。あのびくともしなかった扉がどうしてと驚くものや、開けて入ってこようとする誰かに怯えるもの、今がチャンスだといわんばかりに扉をこじ開けようとするものがいた。


 しかし扉が開いたというのに誰一人として動くことは叶わなかった。否、動けなかった。今まで感じたことのない、謎の底知れぬ重圧を感じて指一本として動かせなかった。


 重圧を発しながら教室に入ってきたのは、すらりとして背の高い美形の男性、場所が場所なら黄色い声や感嘆の息が漏れ聞こえることであろう美男子であった。


 だが今居るのは夢の中という特殊な状況、そしてその男の背には漆黒の翼が生えていた。それを見れば誰もが確信できた。この男が普通ではない何かであるということを。


 男は教室の扉を閉めると、まっすぐに生徒の座る席の前まで歩き指を鳴らした。するとどこからともなく椅子が現れて、男はその椅子に腰掛けて生徒と対面する。


「こんばんは。俺は悪魔、早速だが君たちを殺しにきた。どうしてそうなるのかは心当たりがあるよな?」


 淡々と告げられた恐ろしい言葉に皆背筋が凍りついた。どうしてという質問の答えは、ほぼすべての生徒が同じ答えにたどり着いていた。


「佐久間進が自分たちへ復讐するために悪魔を差し向けた」


 これが生徒たちが導き出した共通の答えだった。




 生徒同士を繋げた夢の世界の教室で、悪郎は全員の生徒と一対一で対面していた。ここに囚われた生徒の人数分だけ体を分けておいた。すべてが悪郎本人である。


 悪郎の言葉に意外な反応を見せたものがいた。それは真っ先に拓巳へ叛逆の口火を切った中野葉月であった。葉月は力なくうなだれて「当然の報いだよね」と呟いた。


「受け入れるのか?怖くはないのか?」


 そう質問された葉月は頭を振って答えた。


「怖いですよ。自分が今から死ぬと聞かされて怖く思わない人なんかいない。でも私はやってはいけないことをやった。きっと佐久間くんは、もっと恐ろしくて辛い目にあったと思う。だってあの学校で彼の味方は紗奈と杉山先生だけだったから」

「…そうだな、確かにあいつは孤立し追い詰められた。守ってくれるはずのものは守ってくれず、自分が居る所でも居ない所でも構わず中傷された。身体的なもの精神的なもの、どちらも酷い暴力を受けた」

「私もそれに手を貸した。保身のため小坂に魂を売ったも同然の行いです。自分が次の佐久間くんになるのが怖かったから…、いえ、これは見苦しい言い訳ですね」


 葉月は自分が進から恨まれていて当然だという思いを持ち、報いを受けることは必然だと感じていた。更に彼女は話を続けた。


「それに私、紗奈が佐久間くんと仲良くなったことを知っていた。ある日紗奈がキラキラと目を輝かせて私に言いました。趣味の合う友達ができたって、本当にとっても嬉しそうだった。私はそんな紗奈から友達を奪った。紗奈と佐久間くんが仲良くなったことを知っていて、いじめに加担したんです」


 葉月はずっとそのことを後悔していた。進のいじめと不登校の一件以来、紗奈との関係はぎくしゃくとして自然と疎遠になった。他の友人たちも、葉月を擁護して拓巳たちに目をつけられたくないと離れていった。


 信用を失うのも見限られるのも一瞬の内だと葉月は思い知った。進のいじめに加担した時は、これで自分が対象にならずに済むと安堵したが、進がいじめられることを許容した代償は大きかった。


 それが大きな間違いだったと気がついた時にはもう遅く、いくら悔いたところで葉月の状況が好転することはなかった。手を切りきれずだらだらと拓巳の悪趣味に付き合わされることになった。


「私が復讐されるのは当然の報いです。まさかこんなかたちで、しかも悪魔からとは思いませんでしたが、それだけのことをしたのは分かっています。さあ、やってください」


 そう言うと葉月はギュッと目を閉じて口を結んだ。目からはぽろぽろと涙がこぼれ落ち、内心では死にたくないと叫んで暴れ出したかった。しかしそれを耐えて悪魔の裁きを受け入れようとした。


 しかし身構えていた葉月に与えられた悪魔の制裁は、額をピンと指で弾くだけのもの、つまりはでこぴんであった。それも十分痛かったが、拍子抜けしたのも事実だ。葉月は額をさすりながら悪郎を見た。


「そこまで分析できていて、しっかりと反省もしてるならこれで十分だろ。ま、これに懲りたら安易にいじめに手を貸すような真似だけはやめることだ。その保身だって絶対のものじゃあない、お前にはそれがよく分かったはずだ、そうだろ?」

「え、ええ。まあ、そうだけど…」

「ならばよし。これはお前たちの誰にも言うつもりはなかったが、そもそも俺は誰一人として殺すつもりがない。場合によっては死ぬより恐ろしい目に遭ってもらうが、まあそれだけやれば他の奴らも自分の罪や責任に向き合うことができるだろ」


 葉月はぽかんと口を開けた。でこぴんでお咎めなしと言われても早々納得できるものでもなかった。


「あ、あなたの目的は一体何だったの?私たちに復讐するつもりじゃあなかったの?」

「そういう手もあったがな、俺にはその手の嗜虐趣味はないし、お前たち全員が死んでそれで解決する話でもないだろ。これから先の人生、もっと凄惨ないじめに遭う可能性だってある。大切なのは、その時にまた間違えないようにしてやることだ」

「…あなた本当に悪魔なのよね?私、悪魔がどういうものか知らないけど、その…」

「変わっているか?」

「うん」

「俺もそう思うよ、実際そういう評価をされているしな。だから最近、俺は悪魔じゃなくてこう名乗っている。悪郎とな」

「悪郎?」

「ああ、俺の名前だ。残念ながらこの夢での記憶は消させてもらうから覚えていてはもらえないが。…どうしてだろうな、最近はこの名前に誇りすら感じ始めているんだ」


 悪郎の言っていることは葉月にはまったく理解できなかった。そもそも悪魔についての知識もなければ、実在すると思っていなかった存在だ、理解が追いつかなくて当たり前だった。


「じゃあもう行きな。扉は開くようにしておいた。帰ったら自覚した罪にどう向き合うのかよく考えろ。お前なら心配なさそうだけどな」


 葉月は悪郎に言われるがままに教室をでた。すると夢から覚めて自分のベッドの上にいた。朝日が差し込んできて眩しくて目が眩む。


 体を起こすと目から涙の雫がぽろりと落ちた。胸を締め付ける強烈な罪悪感を感じて苦しくなった。だがその後顔を上げた葉月の目にはもう涙はなく、ただ決意に満ちた強い眼差しだけがあった。進に謝罪し、この状況を変える。その決意だけが葉月の心の中に強く残っていた。

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