第18話 泥中
進の態度が心底気に入らなかった拓巳は荒れに荒れていた。杉山から無断早退を咎められても反省の素振りすら見せず、さっさと自室に戻ってグループメッセージを開いていた。
いじめの温床となっていたグループメッセージには、まだ多くの人が残っている。勝手に抜けようものなら拓巳から難癖をつけられることが目に見えているからであった。全員に届く鳴り止まぬ通知の嵐は、拓巳とその取り巻きたちの書き込みによるものであった。
「佐久間の野郎調子づきやがって、皆も気に入らねえよなあ!?」
拓巳のその書き込みは、全員俺の意見に同調しろという命令と同義であった。スルーしてしまえばどうなるか分からないし、立場を明確にしておかないと敵とみなされる可能性がある。
自分の保身のため、進のいじめに加担していたクラスメイトたちは、罪悪感と恐怖によって拓巳に支配されていた。考えなしの保身のせいで、回り回って大きな代償を払うことになり、心をすり減らして泣き出すものも少なくなかった。
形だけの同調意見が集まってくるのを見て拓巳は悦に入った。皆の意見は「進の排除」で統一されていると、強引な手法だが納得できるからだった。拓巳としてもまったくの後ろ盾もなしにことを運ぶ気はなく、恫喝で意見の統率を図ってから本格的に排除へ動き出すつもりであった。
メッセージは次々と進の悪口で溢れかえる、もう一度いじめによる制裁をと皆に望ませ、その頭目に拓巳が立つことで大義名分を得ようとしていた。またしても全員に共通の罪悪感を抱かせて、当事者意識を軽く見積もらせることでいじめの先鋭化と事態の加熱を狙っていた。
悪知恵通りにことが進んでいると見て拓巳は満足する。しかしポツンと一つ唐突に書き込まれたメッセージで、場の雰囲気は一変した。
「私はもうあなたには従わない。今までのこともこれからのことも、考えるだけで反吐が出る。私はもう絶対にいじめには加担しないし、小坂のやり方は卑怯極まりない。やるなら自分で勝手やれ」
その書き込みをした人物は、紗奈の友人である「中野
葉月を不憫に思う人が殆どであり、ほぼすべてのクラスメイトたちは同情的にみていた。しかしもし擁護でもしようものなら次の標的は自分になる、彼女の味方をするのは、今や友達の紗奈だけであった。
そんな葉月が書き込んだこのメッセージは、拓巳はもちろんのこと、読んでいた全員に衝撃を与えた。その後彼女に降りかかるであろう不幸を考えると、一体何をしているんだと思うものもいれば、事を荒立てないでくれと迷惑がるものもいた。
グループメッセージに所属するメンバー全員が画面を注視する中、唐突にスマホの画面が消えた。故障か誤作動かと各々再起動を試みていると、パッと画面がついて次の文言が映し出されていた。
「積もり積もった不平不満、実り実った悲憤慷慨、恐怖と罪悪感で飼いならされていたければそのままでいろ。しかしそれを解き放ちたくば自らの鎖を引きちぎれ。我は悪魔、この悪逆の使徒が力を貸そう。迎合か叛逆か、選択の時来たれり」
画面には「迎合する」と「叛逆する」の二つの選択肢が表れた。それと同時に、見ていたものたちの耳には拓巳が作ったグループメッセージの通知音がずっと鳴り響いていた。何度も何度も、何度も何度も、嫌がらせのようにそれは鳴り続けていた。
「ピーピーピーピーずっとずーっとうるさいんだよッ!!」
一人がそう叫びながら「叛逆する」の選択肢をタップした。一人、また一人とその選択肢を選んでいく。そして画面が切り替わると、そこはいつものグループメッセージの画面が映っていた。
「もう付き合いきれない。俺は抜ける。大体こんなやり方は間違っている、やりたければお前が勝手にやれよ」
「図体はでかいくせに肝っ玉は小さい男ね、私たちの同意がないと何一つ満足にできないんでしょ?」
「馬鹿野郎が。いじめに加担したせいで評価はガタ落ちだ。お前のせいで高校受験に影響が出たら責任とれるのかよ」
「小坂の私怨に巻き込むな。皆お前の道具じゃあない。いつまでもうんうん頷いているだけだと思うな!」
次々と書き込まれていくメッセージ、その殆どが拓巳を糾弾するものであり、拓巳に対する不満が、決壊したダムの水の如く溢れ出していた。止めどなく鳴り続ける通知音が今度は拓巳に襲いかかった。
「何だよこれ…、一体何なんだよこれはッ!!」
自分に対する暴言が次々と書き込まれていくのを見て、拓巳はたまらず目を背けた。書き込むものの中には、拓巳が一方的に親しいと思い込んでいる自分の取り巻きたちもいた。
見ていられなくなった拓巳はスマホの通知音をオフにした。しかしどうしてか音は鳴り止まない。メッセージアプリを削除しても、次の瞬間には再インストールされていて山程通知がきた。
どうしようもなくなりスマホの電源を切った。だが何度やっても勝手に再起動してしまい、またメッセージを受信し続ける。耳障りな通知音が拓巳を苛む、そしてとうとう鍵付きの引き出しの中にスマホを入れて仕舞い込んでしまった。
「後はここから離れればいいだけだ」
拓巳はそう呟いて部屋から出ようとした。しかし部屋のドアノブを手に取った時に、またあの通知音が鳴った。それは引き出しの中からではなく、ものすごく身近で鳴っていた。
恐る恐るポケットに手を入れると、指にカツンと硬いものが当たった。通知音を鳴らして震えるそれは、鍵をかけて仕舞ったはずの自分のスマホだった。確かに引き出しの中へ入れたはずなのに、いつの間にか拓巳のポケットの中へと場所が移っている。
「ヒィ、ヒィーッ!!」
悲鳴を上げた拓巳はスマホを手に取ると床に叩きつけた。そして何度も踏みつけてから部屋の隅に蹴り飛ばす。急いで外に出ると扉を思い切り閉めた。
扉の前で息を荒らげうなだれる拓巳は、もうあの通知音が聞こえてこないようにと必死で祈った。目もギュッと閉じて耳も塞いでいて、大きな音が聞こえてきて心配した両親が近づいてきたことにまったく気が付かなかった。
「…いっ!…おいっ!おいっ拓巳!しっかりしないか」
肩を叩かれてようやく顔を上げた拓巳の前には、心配そうに見つめる父と母の姿があった。それ見て安心して拓巳はほっと胸をなでおろした。
「どうしたの拓巳?何だかすごい音がしていたけれど…」
「ああごめんごめん。部屋の中にでかい虫が出てさ、思わず手に持ってたスマホ投げつけちゃったよ」
「は?自分のスマホをか?」
「そう、それで結構派手に壊しちゃったからさ、悪いけど新しい機種を…」
「だがお前、その手に握っているのはお前のスマホじゃあないのか?」
父の言葉に拓巳は背筋が凍りつく、恐る恐るゆっくりと指摘された右手を見た。そこには壊したはずの拓巳のスマホがあり、自分の手がそれを大事そうに握りしめていた。
拓巳は悲鳴を上げて取り乱した。分からないことを喚きながら暴れる息子を、父親と母親は必死になって抑え込んだ。
空から小坂家の一連の騒動を見ていたのは悪郎だった。舌打ちをして不機嫌そうに呟いた。
「あいつら自分のことは棚に上げて一斉に罪をなすりつけやがったな。まあいいか、これで自分の罪と向き合う下地は整った。口火は切られた。今度は互いを批難しあうだろうな。自分たちが同じ泥舟に乗って沼を進んでいるとは思うまい」
批難の応酬に責任転嫁、多くの批難は拓巳に集まっていたが、箍が外れた不満の坩堝と化したあのメッセージグループは、すでに互いを罵り合う場へと変わっていた。
「同調圧力の恐ろしさはこれで思い知っただろう。小坂拓巳、ものの見事に足をすくわれたな。しかしお前の悪夢はまだまだ始まったばかりだぞ」
悪郎はそう吐き捨ててから飛び立っていった。悪魔の仕込んだ手品の仕掛けは、まだ一つ目に火がついたばかりであった。
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