第21話 奇術
悪郎の暗躍のことなど露も知らない進は、翌日登校してからクラスメイトたちがざわついているのを不思議そうに眺めた。
自分のことを言っているような、そうでないような、進にとって不可解な状況と雰囲気であった。何かあったのかと聞けるような相手もいない進は、ノートとペンを取り出した。
「悪郎、教室が騒々しいと思わない?」
「そうだな」
「何かあったのかな?」
「さあな」
悪郎はあまりにも自然にしらを切る。進は悪郎が行ったことの内容を知るよしもなかったが、反応を見てどうも何か隠していそうだと推測はしていた。
しかし自分にそれを聞き出せそうにないと進は思った。ものすごく頼み込めば教えてもらえるかもしれないが、悪郎はいい顔をしないだろうと分かっていた。だから進は聞かないことにした。
「まあそれについてはいいや。今日はどうなると思う?やっぱり小坂たちに目をつけられてるよね?」
「どんなに構えていようとなるようにしかならんさ。心配しなくても俺が近くにいる」
「それは頼もしい。まるでヒーローみたいな言い方だな」
「俺は悪魔だ、断じてそんな高尚なものではない。…そう言えば進、お前と如月が盛り上がっていた話題が確か…」
「ああ、特撮ヒーローのことね。あれ聞いてたのか?」
「すべてではないがな、盗み聞きは趣味じゃあない」
それでも聞いていたことは聞いていたんだなと、進は白けた視線を悪郎に送った。悪郎はそれを見てぷいっとそっぽを向く。
「何かあった時のためだよな?」
「嫌ならやめる。少々礼儀に欠いていた」
「いやいいよ。心配してくれてたのは分かってるし。それより特撮ヒーローのことだけど」
「説明してくれるのか?」
「書ききれないから帰ってからな。存分に語ってやるよ」
拍子抜けした悪郎はずるっと肩を落とした。それをみていたずらっこのような笑みを浮かべる進に悪郎はむっと顔をしかめる。
「期待だけさせやがって」
「仕方ないだろ。筆談で長話は無理。お前はいいよな、見られないし聞かれない」
「それは確かにそうだが…」
そうこう二人で会話をしていると、紗奈が登校してきて教室の扉を開けた。入る時元気のいい挨拶をするが、それに対する返事はまばらであった。
無視のような反応よりも、皆自分のことで手一杯精一杯という様子だった。紗奈も妙な雰囲気を感じて首を傾げながら自分の席に荷物を置いた。そしてその足で進の元へと行く。
「おはよう佐久間くん」
「おはよう。如月も気がついた?」
「うん。何か皆して変だよね」
「どうしたんだろう。最初はもしかして僕のことでなのかな?って思ったけど、どうもそうじゃないみたいだし」
「そわそわ?してるよね。落ち着かないような…」
結局進と紗奈で相談してもそれらしい結論は出ず、疑問は更に深まっただけであった。生徒たちが動揺している理由を知っているのは悪郎だけである。しかし本人にはそれを告げる気はなかった。
その代わり悪郎は待っていた。いつ、誰が、ということについては分からなかったが、来ると信じて待っていた。
「あの…」
そしてその時は来た。紗奈の友人である中野葉月、彼女が口火を切った。
「…どうしたの葉月?」
「あっ、その、紗奈にじゃあないの。えっと…佐久間くんに用があって…」
葉月が進のことを口にした時、紗奈は少し苦々しい顔をした。葉月は進のいじめに関わっていた人物の一人だ、その発言内容によっては、折角学校に来てくれるようになった進がまた心を閉ざしてしまう原因になってしまわないか、それが心配だった。
紗奈は逡巡の後、苦々しい表情のまま恐る恐る言葉を口にした。
「は、葉月、上手く言えないけど私、あなたが佐久間くんに何か…」
「待ってそうじゃないの!私のこと信用できないのは分かるけど、私佐久間くんに謝りたくて!」
「えっ?」
進と紗奈は同時に声を上げた。どういうことかと顔を合わせた後、当事者である進から葉月に声をかけた。
「えっと…、中野さんだよね。謝りたいって僕に?」
「そう、です。今更謝られたところで許されるとは思わないけど、いじめをした私が何を言っているのかって思うかもしれないけど、本当にごめんなさい」
そう言って頭を下げる葉月の謝罪は真に迫っていた。拓巳とその取り巻きがやったことに比べると、葉月のやったことはグループメッセージでの同調や拡散、調子を合わせただけの保身である。
しかしいじめに加担したことは事実であり、進がいじめられているのを許容して見て見ぬふりを続けた一人であった。そのことを理解し心から謝罪した。
謝罪された進は戸惑った。それを待ち望んでいたような、どこかその言葉を聞くのが怖かったような、そんな複雑な気持ちだった。だがしかし、頬を伝った自分の熱い涙が、自分自身の心と思いを教えてくれた。
「ちょっ!佐久間くん!?」
「ご、ごめん!急だったよね!?本当にごめんね!?」
「あ、いや、違う。違うんだよ。僕は…、僕はここに戻ってきてどうしたいんだろうって思ってた。ずっと思ってた。だけど今、何となくそれが分かったんだ。中野さん」
「はい…」
「僕は謝ってほしかったんじゃない。いや、謝ってもらったことは素直に嬉しかったんだけど、そうじゃなくて。僕は、ここに佐久間進って人間がいるって認めてほしかった。消されたままで終わりたくなかった。ちゃんと傷つく人間だって知ってほしかったんだ」
進のいじめに関与していた生徒たちは、別に進のことを傷つかない人間だとは思っていない。ただ、保身に気を取られて痛みに思いを巡らせることに思考が鈍化していた。こんなことをされたら傷つくだろうと、考えれば当たり前に分かることにも手を出してしまった。
どんなコミュニケーションであれ、相手のことを思いやる気持ちに欠いていれば絶対に上手くいかない。些細な齟齬でさえ軋轢を生じさせ、やがて決定的な破綻を招くことになる。
いじめに理由と都合をつけてはならない。ただでさえ一方的な攻撃が、更に苛烈で悪逆なものとなる。理由も都合もいじめる側の思考能力を奪うだけだ。
「別にクラスメイト全員と仲良くなりたい訳じゃない。僕のことが気に入らないならそれでもいい。誰にだってそういうのあるでしょ?だからそれはいい」
「うん…」
「だけど何も積極的に害することないじゃないか、僕が悪いのならちゃんと謝る。だけど理由も教えてもらえず排されなきゃならなかったの?誰か一人でも僕がここにいちゃいけない理由が詳しく説明できたの?小坂の理屈に全部納得できたのかよ!?」
言葉の途中から徐々に熱が入り始めた。進は感情の抑えが効かなくなり、どうしようもなく言葉と涙が流れ出した。
「何も変わらない!僕と皆は何も変わらないだろ!!その中で僕だけが選ばれなきゃならない理由があったのか!!どこがそんなに特別だった!?僕はそんなに不快だったか!?恥ずかしい画像を撮って回し見て笑いものにして、影でぐちゃぐちゃ言われなきゃならないことをしたのか!?誰でもいいから答えてみろよ!!」
荒ぶ進の肩を叩いたのは悪郎だった。それによってハッと我に返った進は、目の前でさめざめと泣きながら謝り続けている葉月がようやく見えた。紗奈は葉月の肩を抱いてなだめ続けている。
「ご、ごめん!!ぼ、僕は別に、中野さんにこんなこと言いたかったんじゃなくって…」
教室内で騒いでいたので当たり前のことだが、いつの間にか進と紗奈、そして葉月の周りには人が集まっていた。涙が一転して冷や汗へと変わった進であったが、男子生徒の一人が一歩前に進み出た。
「佐久間、お前の言う通りだと思う。許してくれるとは思わない。だけど言わせてほしい、本当にごめんなさい」
深々と頭を下げて謝罪する男子生徒に続いて、全員が口々に謝罪の言葉を述べて頭を下げ始めた。それは便乗しての謝罪ではなく、皆心の底からでた謝罪の言葉であった。悪郎がそう仕向けたとはいえ、自分で考え自分が抱いた感情である。
教室内にはすすり泣く声や鼻をすする音、そして進と紗奈以外の全員が一人に向かって頭を下げ謝罪の言葉を述べるという奇妙な光景が広がっていた。何事が起きたのかと駆けつけた担任教師の杉山は、この有り様を目の前にしてただ言葉を失った。
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