第16話 不退転

 進が不登校になってから長い間クラスメイト全員が揃うことはなかった。しかし今日ついに全員が揃うことになる。奇しくも欠席者はおらず、全員が教室にいた。


 担任教師杉山は、素直に喜べる状況ではないことは承知していたが、それでもやはり感慨深いものがあった。進が登校してきてくれたことを喜ぶと同時に、最大限の配慮が必要であることを再確認し気を引き締める。


 いじめの決着をつける時、拓巳とその取り巻きグループから確かに謝罪と反省の言葉は出た。しかしそれが形だけのものであることを杉山は見抜いていた。紗奈が提起した問題の早期解決を図るために、口裏を合わせて使われた方便だと分かっていた。


 それを分かっていながらも、杉山は他者からの外圧に負けて抑え込まれてしまった。拓巳たちに本当の意味で反省を促すことができず、上辺だけの言葉でいじめを闇に葬られた。


 表面上いじめがなくなったように見えても、手口が巧妙化するだけで完全になくすことはできない。安心する教師や保護者の態度は、むしろ拓巳たちに大人を舐めるきっかけを与えてしまった。


 進のいじめに関する学校側の対応は、建前だけで大人のことを簡単に操れると拓巳たちに勘違いをさせてしまった。


 間違いを認めることの大切さを大人が率先して示すべきであったにも関わらず、体裁を気にしてそれを怠り、拓巳たちのいじめや態度を増長させた。拓巳たちが大きな顔をしているのは、学校の教師たちと親にも責任があった。


 進の復学に、彼らが大人しくしているはずがないと杉山は確信していた。だからこそ先手を打って予め教室で待ち受ける対応をした。教師の前では流石の拓巳も行動に移さないだろうと踏んでのことだ。


 何事もなく朝礼は済み、学校の一日が始まりを告げる。杉山は一度進を連れて教室を出て、今後の学校生活の対応について話し合おうとした。


 しかし朝礼が終わってすぐ、数名の生徒が杉山の元を訪れた。勉強のことや学校活動のこと、それぞれ別々の対応が必要な質問をされて身動きが取れなくなる。教師として生徒を無視して対応しない訳にはいかなかった。


 だがこれは拓巳たちの作戦であった。朝礼が行われている内に数名の生徒へ声をかけ「終わったらすぐに杉山を足止めしろ」と命じた。それを従わせるための脅しも当然行われた。


 そうして杉山の目が離れている頃合いを狙い、進を取り囲んで教室の外にまんまと連れ出した。その動きに紗奈が気がついて止めようとしたが、紗奈の方にも足止めの人員が配されていた。


 紗奈と杉山、的確に両名の足止めをして拓巳は難なく進を連れていった。目的は当然、進をもう一度標的にした新たないじめを始めるためである。


 それを分かっていながら、悪郎は敢えて何もせず進が連れ出されるところを黙って見ていた。そして自分も拓巳たちの後に続いて教室を出た。




 進は拓巳とその取り巻きに囲まれながら、人目につきにくい場所へと連れていかれた。全員が下卑たニヤけ面をしていた。


「よう佐久間くん。久しぶりだな、本当に会えて嬉しいよ」


 拓巳が心にも無いことを言うと周りはゲラゲラと笑った。心底馬鹿にしていることを態度で示す。


 しかしそんな態度を前にしても進は冷静だった。


「どうも小坂。僕はお前に会いたくなかったよ」


 進の返答を聞いて戦慄したのは、拓巳ではなく周りの取り巻きたちであった。今は大人しくしておけばまだ手荒な真似はされないだろう、しかし生意気な口をきけば拓巳は確実に荒れることを知っていた。


 荒れた矛先が進にだけ向けばいいが、自分たちに向く可能性は大いにあった。取り巻きたちは拓巳について回り、すべてを肯定するご機嫌取りに使われているに過ぎない。拓巳に特別大切にされている訳ではないので、拓巳が苛立っている時は八つ当たりのサンドバッグとして使われていた。


「テメエ生意気言ってんじゃねえぞ!」


 取り巻きの一人がたまらず進に掴みかかって凄む。本当は余計なことを言うなと言いたかったが、拓巳の前でそんなことは言えない。


「まあまあ落ち着けよ」


 意外にもこれを止めに入ったのは拓巳であった。掴んだ手を払い除けて進から引き剥がす。そして取り巻きたちをぐるりと見渡して睨みつけた。


「余計な真似をするな」


 鬼の如き形相は言外にそう脅しつけていた。縮み上がった取り巻きたちはそれ以上何も言えなくなって黙り込む。


「いやあ悪いねえ佐久間くん。久々に会えたからこいつもテンションが上がっちゃってね、許してくれるか?」

「別にいいよ。ただ掴まれただけだし」

「だ、そうだ。よかったな佐久間くんが寛大な心の持ち主で」


 相変わらず拓巳はニヤニヤと笑っている、しかしその心中はとても穏やかなものではなかった。


 進の態度は微塵も怯えていない、いじめてトラウマを植え付けたはずの自分たちに囲まれていても平然としていた。そのことが拓巳は心底気に入らなかった。


 学校に戻ってきたことも気に食わなかったが、すっかり見違えてしまった外見と身体面も気に食わなかった。体格については以前の進相手ならば拓巳が完全に優位に立っていた。


 不登校の期間に進に何があったのか、それもすっかり追いつかれてしまっていた。まだ拓巳の方が上ではあるが、いつ追いつかれるかは分からない。自分たちが成長期にあるのは拓巳も分かっていて、それが人間関係において優位に働く期間が短いことも自覚していた。


 その焦りも相まり、進の落ち着いた様子は拓巳にはとても不気味に映った。自分たちを恐れて然るべきであるはずの進が冷静でいられることを理解ができなかった。


「だけどよお佐久間くん。一体どの面下げて今更学校に戻ってきたのかなあ?君の居場所がまだあるとでも思ってるの?そういうのちょっと厚かましいんじゃあないかな?うん?」


 拓巳は進の肩にガっと腕を回して引き寄せた。なるべく威圧するように努めたものの、やはり進の態度に変化はなかった。


「…」

「…おいテメエよ、シカトしてんじゃあねえぞ。それとも喋れねえのか?この口はよ?ああ?」


 拓巳は進の下顎を掴むと無理やりガクガクと揺らした。流石にここまですればビビるだろうと思っていた拓巳であったが、逆に進の目は鋭く拓巳のことを睨みつけた。


「なあ、もうやめないか?かったるいよ、お前とのやり取り」

「あ?」

「僕のこと気に入らないんだろ?一々言われなくても分かってるよそれくらい。学校に戻ってきてほしくなかったんだろ?残念だったな、僕は戻ってきたしこれから先も学校に来る」


 肩に回された手を強引に振りほどく、そして進はビシッと拓巳のことを指さした。すうと一息吸い込むと大声で叫んだ。


「いいか?僕はもうお前たちには絶対に負けない!どんな手を使ってきても負けるもんか!誰一人として味方がいなくなったとしても僕は卒業するまで登校し続けてやるぞ、どうせお前たちは卑怯な手段で僕を陥れようとするだろうけど、僕は例え手足をもがれようとも絶対にもう諦めたりしないからな!!」


 激しい剣幕で進が詰め寄ると、その場にいた拓巳以外のものたちは気圧されてたじろいだ。拓巳だけは憤怒の表情を浮かべて歯をむき出しにしていた。


「…上等だよ佐久間ぁ。テメエ覚悟しておけよ、ここまで虚仮にされたんだ。お望み通り手段は選ばねえぞ」

「うだうだ言ってねえでやってみろよ小坂!どうせ物陰からコソコソとしかできねえだろ!鬱陶しいんだよテメエ等はよ!」


 進はそれだけ吐き捨てるように言うと、取り巻きを「どけっ!」と怒鳴りつけてその場から立ち去った。怒りが頂点に達した拓巳は、鬱憤を晴らすように壁を何度も蹴りつけていた。




「よく言った進。ここまでの啖呵を切れるとは俺も予想できなかったぞ。成長したな」


 遠くから進を見守っていた悪郎がそう呟いた。自分をいじめた相手に怯むことなく立ち向かい、猛々しく啖呵を切って立ち去る様を見て、進の魂の強さを感じ取っていた。


 これまでのできごとが進を成長させたのなら、自分がやってきたことに意味があるのかもと悪郎は思えた。生まれて初めて達成感というものを自覚した。進の成長ぶりを見て一番喜んでいるのは悪郎だった。


「お前がこれだけの覚悟を見せたんだ、後のことは俺に任せておけ。悪魔の恐ろしさを刻み込んでやろう」


 悪郎は拓巳と取り巻き連中に狙いを定めた。おいたをしたガキを締め上げる方法は、魔界で習ってきたのでいくらでも知っていた。それは初めて自分が悪魔であってよかったと思った瞬間でもあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る