第15話 強敵

 担任教師の杉山、そして同級生の紗奈と一緒に教室へと戻った進、その頃にはすでに多くの生徒たちが登校していて、各々の活動に取り組んでいた。


 担任教師の杉山が入ってきたことで一瞬教室内はざわついた。まだ朝礼には早すぎるので何事かと思ったのだ。しかし杉山が「おはよう」と気さくに挨拶をすると、取り敢えず大事なさそうだと皆の気は緩んだ。


「すまんな皆、朝礼はまだなのに驚かせてしまった。ああ、朝礼の時間になるまでいつも通り自由にしていてくれいい。私は少々作業があってここにいるが、気にせずいつも通りにしていてくれ」


 教師の言う「気にするな」という言葉を信じられるのかと、最初こそ生徒たちは戸惑うものの、すぐに順応して朝の騒がさしさが戻ってきた。切り替えの早さは子どもならではのものだった。


 進と紗奈は教室が騒然としている間にこっそりと自分たちの席についた。進が一息ついていると、悪郎がちょんちょんと肩を叩いて耳打ちをする。


「適当なものでいい、ノートを開いてペンを手に取れ。周りに人がいるときの俺との会話は筆談で行うぞ」


 進は黙ってノートを開くと「何?」と短く書いた。悪郎の姿と声は進にだけしか見えず聞こえないので、人がいる状況では筆談でコミュニケーションを図る必要があった。


「先ほどお前が如月紗奈に言った言葉が気になってな。お前の言う通り確かにあの娘に非はない、非はないがきっかけを作ったのは確かにあの娘だ。恨めとは絶対に言わんが気まずくはないのか?」


 悪郎にそんな質問されて、進は応答を考えノートに書き込む、しかし何度も何度も書いては消しゴムで消して書き直していた。考えをまとめるのに難儀して数回書き直した後、ようやく思いついた回答を書き込んだノートを悪郎に見せた。


「そりゃ思うところがなくはないよ。ないけど、如月だって理不尽な目にあった被害者の一人だろ。それでも僕のために色々と動いてくれたことは聞いた。僕はそれに感謝しているし、僕に謝ってもらうべき人は如月じゃない」

「なるほど、道理だな。確かにお前へ頭を垂れるべきはあの娘じゃあない」

「そうだ。そして僕たちはそのためにまた学校に戻ってきた」

「ああ。意味のない質問をしてしまったな。しかし、いい覚悟の言葉が聞けた。俺はそれで満足だ。ちょっとここを離れるが大丈夫か?」

「大丈夫じゃないからすぐ戻ってきてくれよ?」


 急いで「大丈夫じゃない」と書き込む進に対して、悪郎は苦笑しながらも「分かったよ」と返事をした。そして翼を広げると、バサッと飛び立って天井をすり抜けて行った。


 悪郎がどこかへ行くのを見送った後、進はいつの間にか目の前にいた紗奈から声をかけられた。急いで悪郎との会話につかっていたノートを閉じると、慌ててそれを机の引き出しの中へと押し込んだ。


「な、な、な、何か?」

「どうしたの?そんなに慌てて」

「あはは…、いやちょっとね」


 まさか他人からは見えない悪魔と会話していたなどと絶対に言えない。それにもし会話の中身を見られたら恥ずかしいだけでなく、頭が変になったと思われるだろうと進は言葉を濁してごまかした。


「それよりどうしたの?また何か用?」


 進の質問に紗奈は頭を振った。


「違う違う。そろそろ部活動から戻ってくる人とかもいるから、教室に人が増えるけど大丈夫かなって思って」


 そう言われて進は壁にかけてある時計を見た。朝礼の時間が迫ってきている、悪郎との会話に夢中で気が付かなかったが、周りに人間が明らかに増えていた。


 杉山が教室にいるので目立つよう行われていないが、やはり進のことをチラチラと横目に見ながら、ヒソヒソと話し込む生徒たちは一定数いた。悪口や文句の類の言葉はまだ進の耳に入ってこないが、それも時間の問題であった。


「今のところ大丈夫そうかな。それに…」


 それに悪郎も一緒だしと言いかけてしまい、危なかったと進は自分の口を手で覆った。紗奈はそんな様子を見て小首をかしげる。


「それに?」

「ええと、その。ほら!それに如月や杉山先生もいてくれるからさ、だから心強いし大丈夫だよ」


 苦し紛れにでた言葉ではあったが嘘ではない。進にとって紗奈と杉山の存在はこの場において明確な味方と呼べる人たちである、頼もしさと心強さを感じていた。


 紗奈は進の言葉を聞いて照れくさそうに「そうかな」と呟いて頬を赤らめる、しかしその表情も束の間に消え、沈んだ顔になってから進に言う。


「でも、その、言いづらいんだけど多分そろそろ…」


 その時、ガラガラと大きな音を立てて乱暴に教室の扉が開かれた。紗奈は顔を伏せため息をもらす。複数人の取り巻きを連れて登校してきたのは、進にとって最も因縁のある相手であった。


「おはよう小坂。扉はもっと丁寧に開けなさい、壊れるから」

「あれ杉先すぎせん?どうしてもう教室にいんの?」

「いつも言っているだろう、杉山先生と呼びなさい。それにちゃんと挨拶をしなさい、コミュニケーションの基本だぞ」

「はいはい。はよっす先生」


 ニヤけた面で教師に対して舐めた態度を取っているのは、進のいじめの主犯格であり、クラスどころか学年の中心人物の座につく小坂拓巳であった。その尊大な態度は目上の存在である教師にまで向けられていた。


 拓巳は教室に入ると誰かを探すようにぐるりとあたりを見渡した。そして紗奈の姿を見つけてパッと表情を明るくする。


 しかしその直後、近くにいた進の姿が目に入る。拓巳の記憶にある姿とは見違えており、それが進だと気がつくのに時間を要した。


 だがそれが進であることに気がつくと、拓巳は恐ろしいほど下卑た笑みを浮かべた。いつもつるんでいる取り巻きすらすくみ上がる恐怖の表情には、様々な感情が混ざり合っていた。


 今一度進が戻ってきたことで、ちょうどいいおもちゃを取り戻せたという子どもじみた喜びと、またしても進の近くに紗奈がいることへの憎しみ、あれだけやって潰しきれなかったという怒りが拓巳の心を沸き立たせていた。


 教室の喧騒が一気に静まり返る、拓巳の放つ異様な雰囲気が場を支配していた。進は緊張感からか、肌がぴりぴりと痺れているような感覚がした。


 杉山がいる教室では事を起こす気がない拓巳は、どかどかと歩いてがたんと音を立てて自分の席についた。差し向けられたプレッシャーを感じて進の手が震えだす。


 そんな時、天井から悪郎が現れた。しかし体全体だけではなく、首だけをにゅっと出して進を見ている。一体何をやっているんだと進が思っていると、真面目な表情をしていた悪郎が、急に顔をくしゃくしゃにして変顔をして見せた。


「ぶっ!!ふふっ!」


 思わず吹き出して笑ってしまった進、それを受けて静寂に包まれていた教室がまたざわめきだした。拓巳の姿を見てまだ笑う余裕がある進の姿に、変な話ではあるが皆感心を覚えていた。


 それを面白く思わない拓巳は、あからさまに不機嫌な態度を取って舌打ちをした。周りに聞こえるように、かつアピールするかのように音を鳴らした。


 しかし拓巳のその行動よりも進の行動の方がインパクトがあり、皆の意識は進に向いていた。拓巳はなおさら不機嫌になり、ストレスをつのらせた。


「どうすんだよこの空気!!」


 進は心の中でそう叫び、天井で首だけ出ている悪郎を睨みつけた。しかし悪郎は、まったく悪びれる様子もなく進に笑いかけて言った。


「大丈夫だよ進、お前には俺がついてる。今までのことを思い出せ、自ら選んだ答えに込められた覚悟と勇気を思い出せ。お前は大丈夫だ、俺がそれを保証する。笑え進!笑えよ!」


 悪郎がかけた激励の言葉に進の心は震えた。臆病風に吹かれたのではなく、沸き立つ熱い情熱の発露で武者震いがした。


 久しぶりの登校と教室ならではの独特の空気、他者から向けられる感情の波に進は飲まれかけていた。拓巳の登場がトドメになりかけた時、助け舟を出したのは悪郎だった。


 進はふっと不敵な笑みを浮かべ悪郎を見つめた。悪郎もまた首だけの状態でふっと笑みを返した。理不尽に負けない強い魂を二人で鍛え上げてきた。それを思い出せた進の体はもう震えておらず、拓巳に負ける気など一切していなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る