第14話 登校の日

 教室の扉がガラガラと音を立てて開かれる、そこにいた人物を見てすでに登校していた生徒たちは全員驚きの表情を見せた。


 理由は不登校であった進が突然登校してきたからである。しかも以前の姿とはまるで違っていて、外見の変化に一瞬その人が誰なのか分からなかったほどであった。


「お、おひゃ、おはよう!」


 思い切り挨拶を噛んだ進に、戸惑いながらもクラスメイトはまばらに挨拶を返す。進はぎこちない動きで教室に入ろうとするが、自分の席がどこにあるのか分からないことに、来てから気がついて足が止まった。


 額からぶわっと冷や汗が吹き出し激しく動揺する進、それを見かねた悪郎が下調べしておいた席をそっと教えようとするが、それよりも前に進の背後で声を上げたものがいた。


「さ、佐久間くん!?佐久間くんだ!!久しぶり!!」


 驚きと歓喜が混ざりあった声、その声を上げた人物は如月紗奈であった。進のいじめに一切加担せず、果敢に糾弾した女子生徒である。


「き、如月か。お、おひゃよう」

「ふふっ、おはよう。…また学校に来てくれたんだね。汗すごいけど大丈夫?」


 紗奈は自分のハンカチを取り出すと、進がかいた額の冷や汗を丁寧に拭き取った。嫌な顔一つせず、他人の汗をとっさに拭き取る紗奈を見て「いい子だな」と悪郎は思った。


「これでよし!」

「ご、ごめん」

「いいのいいの。それより教室に入ろう?あっそうか、席が分からなくて困ってたのか。ついてきて教えてあげる」


 あらゆる問題をスムーズに解決していく紗奈の頼もしさに、人柄だけでなく能力面も申し分ないなとしみじみ思いながら悪郎は様子を伺っていた。どうやら学校での進の味方が自分だけではないことを悪郎は安堵していた。


 紗奈に案内された席につく進、自分の席に荷物を置いた紗奈がそこへ戻ってきた。とても嬉しそうな表情で進に話しかける。


「また会えてよかった。でもびっくりしたよ、佐久間くん背が伸びたね。それに何だかがっちりした?」

「う、うん。休んでる間に色々あったから」

「そっか。でも本当によかった。こうしてまた会えると思わな…」


 話の途中で紗奈は言葉を切った。周りのクラスメイトたちがひそひそと騒ぎ始めたからだった。


 突然登校してきた進に積極的に声をかける紗奈、状況は違えどいじめが始まったきっかけの構図と似ていた。それを知るクラスメイトたちにとって、騒ぐなという方が無理な話ではあった。


 皆いじめに加担したことに罪悪感を抱えている。その様子を見て呆れ返る悪郎だったが、無理もないかとため息をついた。


 この状況が続けば進に過度なプレッシャーがかかってしまう、悪郎はそう思って助け舟をだそうとすると、それより先んじて動くものがいた。


「佐久間くん、ちょっと教室出よっか。ねえ、もう先生に報告とかした?」

「あ、いや、まだ…」

「じゃあ来ましたってことだけでも言いに行こうよ。先生もきっと心配してると思うし、顔見せたら喜んでくれるんじゃないかな」

「分かった。じゃあ…」

「あっ私もついていっていい?ついでで悪いんだけど、提出物があるんだ」

「そ、そっか。じゃあ一緒に行こうか」


 一度この場を離れられることにほっとした表情を見せた進に、紗奈はにこやかな笑顔を向けた。少しでも緊張をほぐそうとする紗奈の心遣いであった。二人は一緒に教室を出て職員室へと向かう。


 悪郎は紗奈の鮮やかな手口に思わず舌を巻いた。進が居づらくなった空気を察知し、その場から離れることを提案する、そして周りの生徒たちに聞こえるようにわざと大きな声を出して教師の存在を示唆した。


 進とクラスメイト、どちらの間にもよくない緊張感が漂う場から離れて、教師の存在を匂わせることで、余計なことを言ったらどうなるかということを暗に恫喝して黙らせてみせた。


 紗奈は誰にも怯むことなく進が受けていたいじめを告発した。それを知っているクラスメイトたちからすると、教師という単語を出されただけで下手なことが言えなくなる。


 まだいじめに関わっていると思われれば評価に響く、そしてそもそもいじめに加担すること自体が嫌だった。拓巳とその取り巻き以外のものは、保身のために進のいじめに加担していただけで、多くのものの内情は「巻き込まないでくれ」という身勝手な思いだった。


 最低の行為であるが責めきれるものでもない、我が身可愛いのはどんな人間であろうと持ち合わせている感情だった。それに加えて中学2年生という色々と多感な時期、自分に降りかかるかもしれない火の粉を、過剰なまでに振り払おうとすることは想像に難くない。


 そういった感情を上手に利用してクラスメイトを黙らせ、進が自然なかたちでその場から離れられる口実まで作ってみせた。こいつは只者じゃない。透明化しながら後ろをついていく悪郎はそう思いながら紗奈のことを見ていた。




 職員室で久々の対面を果たした担任教師「杉山 国和すぎやま くにかず」は、進の顔を見ると驚くよりも先に、とても嬉しそうに破顔して進の登校を喜んだ。


「佐久間!学校に来てくれたんだな!よかった。本当によかった。佐久間のことを守ってやれなかった不甲斐ない大人に言われても嬉しくないだろうが、先生は本当に…本当に…」


 教師の杉山は涙ぐんでおり、何度かぐっとそれをこらえていた。進は杉山の様子を見て右往左往するものの、ゆっくりと話し始めた。


「先生…もういいんです。過ぎたことだと許せはしないけど、もうそれに囚われ続けていたくないんです」

「…そうか。佐久間、少し見ない間にそんな風に言えるようになったんだな。ではいかんな、先生がこんな調子では」


 杉山は頭を振って気持ちを切り替えると、進の顔を見て聞いた。


「もし不自由に思うことがあったら、いつでもすぐに言いにきなさい。もう二度と同じ目に遭うことがないよう先生も死力を尽くす。どんな些細なことでもいい、関係のない話でもいい、先生に何でも話に来てくれ」

「…ありがとうございます。杉山先生」


 隣で心配そうに様子を伺っていた紗奈は、このやり取りを見て安心したようにほっと小さく息をもらした。奇しくも悪郎は同様のリアクションを取っていた。


「如月もありがとうな。佐久間のことを先生の所へ連れてきてくれて」

「そんな感謝されるようなことじゃあ…」

「いや、如月はよく気が利く子だ。おそらく佐久間が来たことで教室の空気がガラッと変わったのだろう、そしてトラブルを避けるために佐久間を連れ出した。違うか?」

「そんなに深く考えてないですよ私」


 大筋の読みが当たっているところを見て、流石は教師よく見ていると悪郎は思った。紗奈の考えすら当てていることを鑑みると、人物眼はそれほど悪くないと評価できた。


「でも先生、このまま教室に戻ると佐久間くんが嫌な思いをするかもとは思うんです。どうすればいいと思いますか?」

「ふむ。佐久間はどう思う?どうしたい?」

「えっと、取り敢えず今は皆と顔を合わせにくいなと思ってます」

「だろうな。よし、少し時間が早いが先生と一緒に教室に戻ろう。事情を説明してくるから、二人とも職員室の外で待っていてくれ」


 杉山にそう言われ二人は職員室を出た。進の方からは中々話しかけられないでいると、紗奈の方から話しかけてきた。


「ねえ佐久間くん」

「うぇっ?あっ、何?」

「ごめんなさい。私ずっと佐久間くんに謝りたかったの。本当にごめんなさい」

「…それっていじめのきっかけになったこと?」

「そう。謝っても許されることじゃあ…」


 紗奈が本格的に謝罪しようとする前に進が「待った」と言葉を遮った。そして紗奈の顔をしっかりと見据えて言う。


「どんなきっかけであれ如月が謝る必要なんてない。もし僕に対して申し訳なく思っているのならそれは間違ってる、僕は如月に感謝こそすれども非があるなんて欠片も思っていない」

「えっ?」


 進の言葉に紗奈は驚いた表情を向けた。それを見た進は自分が失言したかもしれないと、慌てふためいてしどろもどろになる。


「あっとえっとその、なんか偉そうになっちゃったけどその、僕が言いたいことはそのえっと」

「ふっ、ふふっ」

「な、なに?」

「ごめんね、何か佐久間くんの必死な様子がちょっとおもしろくて、それで笑っちゃった。許して?」

「う、ううん。別にいいけど」

「…ありがとう佐久間くん。私ちょっと元気でた」


 元気がでたという言葉に進も悪郎も首を捻った。紗奈に元気がなさそうには見えなかったし、会ってからずっと明るい様子だったからだ。


 知るのは本人ばかりだが、紗奈は進の言葉には本当に元気づけられていた。進の真っ直ぐな言葉は紗奈の心の内にあった罪悪感を吹き飛ばし、綺麗さっぱり消し去ってくれた。


 進が学校へ戻ってきてくれてよかったと、紗奈は改めてそう思った。いつかそれを言葉で伝えたいとも考えたが、今は少し気恥ずかしくて、その時がくるまでそっと胸に内に秘めておくことにした。

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