第12話 取引 後編

 邪な願いを叶えるために召喚した悪魔から全幅の信頼を得た進。これは悪郎が単純に進のことを気に入ったからということだけではなく、実際に不断の努力を貫き通した進の力を認めたからでもあった。


 悪郎から高い評価を得た進は、望みを叶えるという言葉に余計迷いが生じていた。そして恐る恐る悪郎に聞く。


「…なあ、望みを叶えたらやっぱり僕は死ぬのか?」


 悪魔との取引、代償はその魂である。悪郎はその疑問に答えた。


「いいや。さっきも言ったが、俺は今回に限って悪魔としての役割を放棄する、お前がくれた名である、ただの悪郎として願いを叶えてやるよ。だから魂は必要ない」

「えっ!?」

「どうしたそんなに驚いて」

「いやだって…、悪魔はそれが仕事だって言ってたのに、そんな勝手なことしていいの?」


 進は子どもで社会の仕組みをまだしっかりと理解はしていない。しかし悪郎の行為が身勝手で、やってはいけないことなのではないかということは、何となくの雰囲気で理解していた。


 事実、契約を交わした悪魔が魂を取らないなどという行為は言語道断であり、このまま進の望みだけを叶えて魔界へ戻れば、悪郎は糾弾され罰を受ける。問答無用で一気に最下級悪魔へと転落し、死ぬまで奴隷としてこき使われる未来が待っていた。


 しかし悪郎は言った。


「進、そんなことお前が心配するようなことじゃあない。魔界にもルールはあるが、抜け道だって沢山ある。俺は要領だけはいいからな、上手いことごまかして出し抜いてやるさ」


 これはまったくの嘘だった。契約は悪魔にとって絶対であり、抜け道はない。進に余計な心配をかけないためについた悪郎の嘘であった。


「まあ突然いじめっ子だった奴らが軒並み怪死したら大騒ぎにはなるだろう。だからまとめて全員って訳にはいかない。だが主犯格の小坂拓巳とその取り巻き連中は俺が殺ってやる。あれらがいなくなれば多少は学校も静かになるさ、お前は安全になった学校に大手を振って戻ればいい」


 つまるところ悪郎の目的はこれに尽きた。進の悪夢と傷の原因である拓巳を取り除き、学校へ自発的に行けるようにする。これまでの進の頑張りを一番近くで見てきた悪郎は、何としてでも進を復学させてやりたいという思いがあった。


 完全に情に流されていて悪魔ならざる行為だった。だから悪郎はじっくりと考えた末悪魔としての立場は捨て、進からもらった名である悪郎として協力を約束することに決めたのだ。


 悪郎はこれから先も悪魔として生きるより、新しい自分の悪郎として死ぬ道を選んだ。進と出会い、不器用ながらも努力を続け、そして結果を出してきた彼を見守ることで悪郎は初めて生きがいを見出すことができた。


 それは悪郎にとってこの先絶対に見つかることはないと思っていたものであった。だからこそ情にほだされるほど進に感謝していたし、もう悔いはないと心で決めた。


 当然進はこれを聞き入れるだろうと悪郎は思っていた。望みが叶う上に命を取られる心配がないのだ、断る理由はない、そう考えていた。


 だがそんな思惑とは裏腹に進は言った。


「それは駄目だ悪郎。僕はそれを望まないよ」


 提案を断られると思っていなかった悪郎にとって、この言葉はまさに寝耳に水であった。




 あからさまに動揺する悪郎に進は力強く言った。


「僕は今の今までずっと学校が怖かった。いや学校だけじゃあない、僕の内側以外のすべてが怖かった。僕のことを知らない赤の他人ですらすべて敵に思えた。そして自棄になって、部屋の中でずっと閉じこもった。そうすれば楽だったから」

「だから…」

「でも僕はただ引きこもってた訳じゃあない。母さんの好意を無碍にして、父さんを困らせて、一緒に住んでる姉ちゃんの居心地を悪くさせた。他にも顔も名前も知らないから罪悪感を感じないって理由だけで、インターネットで他人を馬鹿にした。悪郎は僕の頑張りを認めてくれているけれど、そんな立派な人間じゃあないんだ僕は」


 進が悪郎を召喚するまでの日々はそれは酷いものであった。心の傷に甘えて好き放題にしていたし、一つ屋根の下で暮らしている家族のことを顧みることもなかった。


 ネットで沢山悪口を書き込み他者を嘲った。失敗した他人のことを見下して心の平穏を保っていた。自分も傷ついたのだから、他の人を傷つけてもいいと勘違いをしていた。


 そしてしまいには悪魔を召喚してまで自分を虐げたものへの報復を試みた。その内容も「できる限り惨たらしい死を」という残忍極まりないものであった。


「僕はそれで鬱憤が晴れると思っていた。あいつらの破滅を知れば自分が破滅していいと思っていた。他に何も考えず、ただそう思ってたんだ。僕が僕の望みを叶えて死ぬんだから誰にも迷惑をかけないって」

「進それは…」

「分かってる。それは違うってことは今は分かってる。これは悪郎が気づかせてくれたんだ。僕が死ねば母さんはすごく悲しむと思う、父さんだって同じだ。姉ちゃんも悲しんでくれると思うけど、それ以上にきっとすごく迷惑をかける、と思う」


 家族仲を良好に戻せたお陰で、進は自分の命が自分一人だけで成り立っているものではないということを知った。家族とはもっとも身近にいる他人だ、血の繋がりは確かにあるが、それ以上に複雑な愛情で繋がりを持っている。


 思いやりの心が家族を結びつける。それは自分と他人のことを思いやることができなければ気がつけないことだった。


「僕が望んだのは、そういう自分勝手なわがままだった。そのことを清算せずに、悪郎の嘘に甘えるのは嫌だ」


 進は悪郎の嘘を見抜いていた。過ごした時間はそれほど長くないが、他の誰よりも濃い付き合いをしてきた。だからこそ嘘を見抜くことができた。


「悪郎は僕が考えているよりもずっと僕のことを認めてくれていた。僕はあれだけやってもちっとも自分に自信が持てなかったのに、よくやったって褒めてくれた。今も無理を押してまで僕の願いを叶えようとしてくれている。僕は悪郎の気持ちに応えたい。いや、応えなきゃ駄目なんだ!」


 目の前の机をバンっと叩いて進は立ち上がった。そして悪郎に力強く宣言をする。


「僕は学校へ行く!あのいじめっ子連中に一泡吹かせてやる!その準備は悪郎と一緒に十分してきた。…具体的にどうすればいいかはまだ分からないし決めてないけど、それでもここで怖気づいたまま足を止めるよりずっといい!」


 そう宣言する進の姿を見た悪郎は、胸の奥がギュッと締め付けられるような思いがした。力強い意志の宿った目にもう迷いはなく、一回り大きくなった逞しい姿の進があった。


 悪郎は成長する進の姿を見て「やりがい」と「達成感」を得るに至った。悪魔らしからぬやり方ではあったが、自分らしさの一端をそこに見出していた。


 そして成長した進の姿を見て、悪郎の胸を締め付けている感情は「感激」であった。それを感じたことのない悪郎からすると、この現象にただ困惑するばかりではあったが、熱くこみ上げてくるものがあった。


「そう自分で決めたんだな?」

「ああ、決めた」

「ならば俺は直接手を下さんぞ?」

「必要ないね」

「お前への風当たりは強いままだ。心折れてまた失敗するかもしれない」

「その時はまた悪郎が立ち上がらせてくれ。そういう契約だろ?」


 ここで契約の話を持ち出されて、悪郎は面食らうと同時にぷっと吹き出した。そしてそのまま声を上げて愉快に笑い、目元の涙を拭ってから言った。


「確かにそうだ。やり方は俺が決めるけれど、お前の復讐に手を貸すと契約した。悪魔にとって契約は絶対だ、お前がそれを完遂するまで協力を続けなくてはな」

「そうだろ?だから力を貸してくれ悪郎」

「ああ、進の魂の行く末は俺が見届けよう。この先何が何があろうと、俺の、いや俺とお前のやり方でな」


 進の方から差し出された手を悪郎が取ってしっかりと握った。握手を交わした瞬間悪郎の姿は夢の中から消え、進はベッドの上でぱちりと目を覚ました。


 目をこすりながら体を起こした進に傍らにいた悪郎が声をかける。


「さあっ、今日も行くか。顔洗ってこい」


 悪郎と進は準備を整えると早朝のランニングへでかけた。いつも通りになった習慣と自分たちで考えたやり方で進は駆け出した。後ろを追う悪郎は、進の背中を見つめ目を細めた。

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