第11話 取引 中編

 進の夢の中の教室、そこに悪郎と進は対面して座っていた。悪郎はそれを個人面談と称した。


「どうだ進?俺以外の声が聞こえてくるか?俺以外の存在を感じるか?」


 そう問われた進は改めて自分のあたりの様子を探った。言われてみて初めて気がつく、嘲笑が消え化け物もいなくなっていた。この教室にいるのは自分と悪郎の二人だけである。


「笑い声が消えた…。それにあの化け物も」

「そいつはよかった。話し合いの邪魔だからな、ちょいと手を加えて消えてもらった」

「悪郎があれを消したっていうのか?」

「ああ。俺は悪魔としては落ちこぼれだが、どういう訳か魔法の扱いは上手くってな。夢の中を弄くるのもお手の物ってことさ」

「ええ、それって僕に悪影響とかないの?」

「ないない。さっきまでのお前の状況の方がよほど悪影響さ」


 悪郎のその言葉に進は妙に納得してしまった。この悪夢に耐えかねて進は登校拒否をしているのだ、悪影響という指摘は至極真っ当だった。


「しかしこうして話すのも久しぶりな気がするな」

「ん?ああ、そういやそうかも」

「お前も俺も互いに会話を避けていたからな」

「悪郎もそうしていたのか?」

「まあな、俺は俺の考えをまとめていた。悪郎としてではなく、悪魔としてのな」

「それさっきも言ってたけど意味が分からん。どういうこと?」

「進が最初に願ったこと、いじめっ子共を残らず抹殺する、今なら叶えてやってもいいぞ。リクエスト通り惨たらしく殺してやろう、悪魔の力を存分に振るって生まれてきたことを後悔させてやる」


 進は悪郎の提案に息を呑んだ。まさか今ここでその話が出てくるとは思っても見なかった。悪郎の真意が分からず進は問うた。


「…どうして今更?」

「ご褒美だ」

「ご褒美?」

「今まで散々俺の好きなようにやらせてもらった。俺なりに悪魔として頑張ってみる機会をお前からもらったよ、そしてお前はそれに応えた。俺の詰めが甘かったせいで最後躓かせちまったのは予想外だったけどな」


 悪郎はこれまでの日々を懐かしむように遠い目をしながら語った。最後の「躓かせた」という言葉には後悔と謝罪の色が混ざり合っていた。


 この提案を受けて進は大いに困惑していた。今更こんなことを言われてもという気持ちもあれば、これを受け入れれば望みが叶った上で、自分も終われるという気持ちもあった。


「…聞いていいか?」

「何でも聞け、答えてやる」

「どうして僕を無理やり学校へ行かせないんだ?お前はそれを望んでいたし、できるだろ?」


 悪郎は暫し考え込んでからこくりと頷いた。


「できるけれど意味がない。俺にとっても、進にとってもな」

「意味?どんな意味があるんだ?」

「そうだな。ちょっと遠回りになるが、少し俺の話をしていいか?俺、というか悪魔についてだな」


 進は頷いて同意した。それを見てから悪郎は話し始めた。




「悪魔の仕事は、方法は多岐にわたるがどれも最終目的は人の魂を堕落させることだ。それを回収して魔界へ持ち帰る、それの繰り返しだ」

「仕事なのかそれって」

「悪魔にとってはな。人間の進から見るとそれの何が仕事なのか分からないだろう、でもこれが上手にできない悪魔ってのは、他の悪魔からすれば役立たずなのさ。魔界に生きる価値なしと烙印を押され、それからずっと死ぬまで無価値のままだ」


 悪郎のその話を聞いて進は胸が傷んだ。一度道を外れると戻ることが難しいことを知った今、この話がとても人ごとには思えなかった。


「悪魔は人の欲望に付け入り、願いを叶えるなどと囁き甘言で釣る。悪魔の力で一つ願いを叶えてやれば人はもっと欲が出てくる、次はこれを、更にこれをとな。そして最後には醜く歪んでぶくぶくに太った魂が完成する。こいつを魔界の業火に投げ込むとよく燃えるんだ、この一連の作業が悪魔のお仕事って訳さ」


 悪魔は最初から人の望みを叶えてやる気などなく、ただの燃料としか見ていない。そのことを悪郎は進に説明した。自分が手をだした悪魔がどんな存在なのか、それを進に教えた。


 取引とは名ばかりで、内容は悪魔の総取りである。悪魔の力を使って、どれだけ飽くなき欲望が叶ったとしても、死すればそれを手放さければならない。莫大な財産を築き上げても、華美な宝物を手に入れても、あの世へ共に逝けはしない。


 悪魔に回収され業火に焚べられた魂は、燃え尽きるその日までずっと焼け焦げていく苦しみを味わい続ける。悪魔と取引した代償は、死すら生ぬるいものであった。


 それを聞かされた進は身震いをした。人の死を望んだ以上、ろくでもない終わりが来ることは分かっていたが、想像力が足りていなかった。悪魔の召喚と願いごとをするということを、どこか甘く見ていたところがあった。


 それは子どもならではの浅はかさであり、まだまだ思慮の足らない未熟さでもあった。取り返しがつかないと気がつく時は、いつでもその時になってからである。


 だが悪郎の話を聞いた進は、何故悪郎がいじめっ子に手を下さずあえて自分にやらせようとしたのか、それを疑問に思った。話を聞く限り、願いを叶えるのは悪魔側がやることで、人間はそれをただ享受するだけのはずだ。


 進はその疑問を素直にぶつけた。それを受けて悪郎は、伏し目がちになってトントンと指で机を叩き始めた。言いにくそうに口をもごもごとさせ、歯切れ悪く喋りだす。


「俺はな進、この仕事に就くまではずうっと成績優秀で、何をやっても上手くできた。沢山表彰もされたし、称賛も受けた。でもな、さあ悪魔として活躍してくれって期待されても、俺は何一つ上手くできなかった。俺は落ちこぼれの駄目悪魔なんだ」


 そう言った後悪郎はもっとばつが悪そうにした。自分が如何に駄目な奴なのかを自分の口から語ることは中々勇気が要ると悪郎は思った。


「ついさっきも言っていたけれど、本当に悪郎が落ちこぼれなのか?あんなに色々できるのに?」

「そう言ってくれるのは嬉しいけど現実はそうなんだ。俺はどうも悪魔の仕事ってやつに価値とか意味を見いだせなくて、やる気もでないし何をやってもずさんなものだった。他の悪魔たちからは呆れられて、上司からは説教ばかりされていたよ」


 悪郎としての姿しか知らない進にとって、その話はとても信じられなかった。進のサポートをする悪郎は常に優秀で、根気よく何事にも付き合うし改善策を次々に打ち出してきた。


 常に自分第一に考えてくれていることを進は分かっていた。そのために悪郎が奔走してくれていることも理解していたし、弱音を吐いても諦めて見捨てることは一切なかった。優秀で有能な、進のパートナーだった。


「俺は進に召喚されて願いを聞いた時、こんな小粒の魂なんて相手にする意味もないって思った。相変わらずやる気はなかったし、飴玉程度の魂でもさっさと回収して次を待つかと思っていた」

「お前、そんなひどいこと考えてたのか…」

「あくまでもその時の話だ。ともかく俺はどうせ仕事をするなら、やり方を変えてみようと思った。俺に足りないのは試行錯誤だと思ってな」

「それが俺を鍛えることや生活環境の改善だったってこと?」

「契約の際俺は言っただろ?辛い目にあうぞって。節制された生活を取り戻すことは生半可な覚悟じゃできない。早寝早起きにきっちりと整えられた身支度、家族との円滑なコミュニケーション、毎日の運動と筋力トレーニングによる健康な体づくり。言うは易いがこれを実行できている人間はそうそういるもんじゃあない」


 悪郎が挙げ連ねたことは、進がすべて実践してきたことだった。これらをこなすには言われたから渋々やる、という心構えではなくやり遂げてやるという強い意志が必要だった。


「肉体と精神を磨き上げた屈強な魂を堕落させれば、よりよい燃料になるのではないかと俺は考えた。そしてそれをお前で試した。俺が強制したら意味がない、自発的に動いてほしいってこと。真相はこういうことさ」

「僕はずっと悪郎の実験材料だったってことか」

「ああ。しかしそれは前までの話だ、今は違う」

「どういうこと?」

「俺は進を変えるつもりでいた。だけどそれは違っていた。進の成長を通じて変わっていたのは俺だったんだ」


 悪郎は言葉を切って一呼吸置いた。そしてしっかりとした口調で気持ちを伝える。


「進、お前は目標に向かって努力ができる立派な人間だ。いまや俺は、お前のことを誇りに思うほどだ。だから俺は一度ここで悪魔としての自分を捨て、悪郎としてただお前の願いを叶えてやりたいと思った。これが今の俺の結論だ」


 悪郎のその言葉に、今度は進が伏し目がちになってうつむいた。破格の信頼を置いてくれている相手にどう応えるべきなのか、進は己の心にそれを問うた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る