第6話 変化

 人並みの生活には戻すことに成功した進だったが、部屋にこもっていた際に出たゴミはまだまだ全然片付いていなかった。進と悪郎は空いた時間を利用して、一緒に部屋の片付けと同時に清掃を行っていた。


 進が格好つけるために買った悪趣味な装丁がされた外国語の本、それらは部屋の片隅でほこりを被ってうず高く積み上げられていた。悪郎はその中にあった偉大なる魔術書と題されていた一冊が目に入り、手にとって広げてみた。


 パラパラとめくって中身を流し読みするが、でたらめな内容に意味のない挿絵、どう見ても偽物な上に何一つ得るものがない薄っぺらさに目眩がした。


「進、お前これ読めるのか?」

「あ、それ?ぜーんぜん。何語で書かれてるのかも分からないよ?」

「じゃあ何故買ったんだ」

「いやあ何か怪しい雰囲気があるし、こういうの本棚に揃えてるとかっこよくない?黒魔術的な感じで」


 本以上に薄っぺらなことを言う進に対して悪郎はため息をついた。せめて内容を理解し、その正誤を判断できるだけの知識でもあればと思ったが、そもそも進は不登校で知識を得るための勉学が大きく遅れをとっていた。


 トレーニングと並行して進の習学にも手をつけなければと悪郎が考え始めた時、片付けをしていた進が声を上げて悪郎を呼んだ。


「悪郎!これこれ、見てくれよこれ!」

「何だ?そんなに急かすな」

「見ろよ、これを使って悪郎を呼び出したんだよ。でもさ、これに書かれた通りにやって悪郎を呼び出せはしたけど、悪魔を制御する呪文は一切効き目なかったんだよな」

「…まあ見せてみろ」


 制御する呪文なんて使っていたのかと咎める前に、悪郎は進から本を受け取ってさっと目を通す。内容は分かりやすく日本語で書かれているが、方法として正しいのは悪魔の召喚方法までであり、後のものはすべてそれっぽく見えるよう書かれているだけのでたらめなものだった。


 しかしこの魔導書には進が集めていた他の本とは違い、本物の魔力が込められていた。偽物ではなく本物の魔導書であることは間違いない。だがこの本のからくりを知っている悪郎は進に言った。


「これはな、悪魔によって書かれたものだ。他のインチキとは違って本物の魔導書だが、正しい部分は召喚方法だけのものだ」

「は?どうしてそんなものを悪魔が?」

「人間界に介入する手段を増やすためだ。よほど強い悪魔でないと魔界から人間界へ自由に行き来することはできないからな、一部例外を除いて」

「例外?」

「進にはまだ早い」


 淫魔は格が低くとも人の夢を伝って現界することが可能だが、活動内容が思春期の進には刺激的すぎるので悪郎は詳しく話すことを避けた。


「自由に介入ができない悪魔が考えただしたのがこういった魔導書だ。悪魔の力に頼ろうって奴は大抵後ろ暗いことをしていたり、不相応な欲望を抱いているものだ。自分の願望を叶えられる悪魔が呼べて、それを制御できると知ったら呼び出さずにいられない」

「…悪魔が書いた悪魔の呼び出し方だからそれは確実に成功する、だけど成功するのは召喚だけで後の制御はできないのか」

「その通り。そして悪魔は呼び出した人間が持つ負の欲望や感情を揺さぶり、自分の力を使って願いを叶えさせようとする。悪魔の囁きに負け契約したが最後、手に入るもの以上に苦しめられるという訳だ」

「操るつもりが操られる側になるってことか…」


 進の言葉に悪郎は頷いて同意した。恐ろしさにぶるぶると身震いをした後もう一つ進は聞く。


「あれ?じゃあこの魔導書から悪郎が召喚できたってことは、悪郎がこの本を書いたの?」

「いいや違う。恐らく俺が顔も知らない他の悪魔だろうな。それはいわば魔界という大きな家の呼び鈴を鳴らすだけが目的のものであり、そこから出てくる悪魔を選べるというものではない。進の呼び出しに応じたのが偶然俺だっただけということだ」

「悪郎以外の悪魔が召喚される可能性もあったのか」

「そういうことだ。ほらもういいだろ、進はあそこに縛ってまとめておいた本を玄関まで下ろしてこい」


 悪郎はシッシッと手を払い進を追い出すようにそう言った。ぶつぶつと文句を言いながらも、大量にまとめられた分厚い本の束を持ち上げて進が部屋を出た。


 進が階段を下りる音を確認した後、悪郎は呪文を唱えて本物の魔導書を灰すら残さず燃やし尽くした。どうせ現存するのはこの一冊だけではないと知りながらも、これを世にのさばらせるのはよくないと思っての行動だった。


 悪郎も読んでみてようやく分かったことだが、魔導書が持つ力は悪魔を呼び出すだけではなかった。誰しもが持つ人の心の弱い部分に作用する魔法がかけられており、これを魔導書の内容を目にしたものは、悪魔を呼び出さないという選択肢を奪われる。


 この魔導書は人の心を蝕み、躊躇する感情を失わせてしまう。進の願いごとが必要以上に過激な思想に陥っていた原因の一つがこの魔法だった。


「悪魔の所業か…言いえて妙だな…」


 この行為に疑問を抱く悪魔はいないのだろう、そう悪郎は思った。より効率的に人の魂を堕落させることができるし、契約もスムーズに完了する。


 しかし悪郎は違った感情を抱いた。この魔導書のことを卑怯だと思った。実に悪魔らしい小細工であるが、誘惑くらい自分の力と言葉だけでやってみろよと悪郎はそう思った。


 ドタドタと階段を駆け上がる音が聞こえてきて進が部屋に戻ってきた。そしてくんくんと鼻を鳴らして悪郎に聞いた。


「何か焦げ臭くないか?」

「気の所為だろ。さ、続きだ続き。まだまだ汚いんだから手ぇ動かしてけ」


 悪郎は雑巾を固く絞って進に投げた。受け取った進は悪郎の変な態度に小首を傾げたが、まあいいかと言って床を雑巾で磨き始めた。




 ごちゃごちゃと散らかっていた進の部屋もようやく綺麗に片付いてきた。物と物の間から腐ってカビだらけになった菓子パンが出てきた時には、思わず悪郎も説教に長い時間を割いたが、それでこっぴどく叱られたことにより、進の片付けの手が早くなったお陰で予定より早く掃除は終わった。


 学校から帰宅してきた奏が進の部屋の前を通りかかる、進と悪郎は扉を開け放していたので部屋の中が奏に見えた。そしてその様子を見て足を止めた。


「すごいじゃん進。掃除頑張ったね」

「あ、姉ちゃんおかえり」

「ただいま。一人でこれだけ大掃除を頑張ったんだし、たまにはお姉さんらしいことしてあげようかな」

「何だよお姉さんらしいことって」

「制服着替えてくるから進も着替えな。お姉様がコンビニで高ーいアイスを買ってあげようではないか」

「マジで!?高級品じゃん!」

「私の気が変わらない内に準備しな」

「するする!絶対に待っててよ姉ちゃん!」


 進は姉を見送ると扉を閉めた。そして適当に着替えの服をひっつかむと、透明化を解いた悪郎に声をかけた。


「悪郎!お前の分もアイス買ってもらってくるからな!」

「は?いや、俺は…」

「いいからいいから!姉ちゃん機嫌いいみたいだし、どうにか言いくるめて二個買ってもらうよ」


 悪郎が止める間もなく進は顔を洗ってくると言って部屋を出ていってしまった。呆然とその姿を見送った悪郎は、仕方ない奴だと目を細めため息をついた。


 悪郎と始めた生活改善とトレーニングのかいあって、進は本来持ち合わせている少年の純粋さを取り戻しつつあった。いじめによって傷ついた心と体、その後心を閉ざしたことで悪化の一途をたどった精神状態も改善の兆しを見せている。


 そのことを悪郎はどうしてか誇らしく思っていた。自分のことではないのに、まるで自分のことのように感じていた。


 それは悪郎が今まで感じたことのない不思議な感情だった。戸惑いと混乱も確かにあったが、元気になっていく進の姿を見るのを嬉しく思っていた。


「堕落には程遠いけど、それでもまあいいか…」


 そんな独り言を呟くと、玄関から進と奏が並んで歩く姿が窓から見えた。アイスを勝ち得てくるのか、それとも姉に泣かされるのか、どちらにせよ悪郎にとっては喜ばしいことに思えた。

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