第4話 名付け

 悪魔と契約をした進、その願いの内容は自分をいじめて不登校に追い込んだ相手を殺してもらうというものだった。ただ殺すだけではなく、望むのは惨たらしい死である。


 ここまで残酷な願いを望むようになったのには理由がある。それは不登校中の進の生活に原因があった。


 一人で自室の中に引きこもるようになった進、日がな一日をカーテンが閉じた暗い部屋の中で過ごし、食事も進の母親が部屋まで運んできていた。それも食べ残すことが殆どで、代わりに菓子を要求するメモを書いて置いてあった。


 めったに外に出ないので肌は生白く、顔色は常に悪い。好んで食すのはスナック菓子で、栄養バランスなど知ったことではないと言わんばかりの食生活だった。そこに運動不足も加わって、引きこもる前より進の体重はずっしりと増えた。


 髪はぼさぼさで整えるということもせず、風呂は三日に一度入ればいい方で不潔だった。肌もすっかり荒れていて、心と体は非常に不健康な状態だった。


 そしてやることといえば、一日中パソコンの前に張り付いてのブラウジングだった。悪魔の情報を見つけ出すことができたのは沢山のサイトを渡り見たからであった。


 しかしその本来の目的は、ゴシップ記事やアングラな情報を載せてあるサイトを巡回し、SNSなどで醜い争いを繰り広げている炎上現場を眺めることであった。


 不毛かつ趣味が悪い、精神衛生上にも悪影響がある。何故いじめられて追い込まれた上にこんな生活をしているのか、それは進が中二病真っ最中ということに他ならない。


 思春期特有の根拠のない万能感を持ち、他人のゴシップや炎上ネタを漁ることで自分はこいつらとは違うという勝手な優越感に浸った。取り分けいじめの被害を赤裸々に告白するものを下に見て、自分と比べたらこんなことなどと失礼極まりないことも考えていた。


 だが後から思い出して恥ずかしくなるものが中二病である。何事も一歩引いて見ている自分を賢い人間だと勘違いしていたり。敢えて対立を煽るような書き込みをしては、それに反応するネット利用者たちを、自分が意のままに操っていると錯覚していた。


 いつか間違いを自覚した時、進は顔を真っ赤に染めて自らの行動を呪う日がくるだろう。しかしこれは成長の過程で起こる仕方のないことだ、誰一人として進を笑うことはできない。誰しも他人事ではないからだ。


 ただしこれらの行動が進の生活環境と精神を悪化させているのは間違いなかった。これもある意味では堕落とも言えなくはないが、どちらかというと怠惰なだけであった。確かに贅肉はたっぷりと蓄えているが、これは魂についたものではなく皮下脂肪としてついたものだ。


 そこで悪魔は考えた。そして進には早速、死ぬよりも辛い目にあってもらうことにした。




「へあっ、はあっはあっ、ばあぁっぷ」


 息を切らした進が死にそうになりながらランニングをしていた。走るというにはお粗末な速度だったが、それでも必死に足を前に進めていた。


「おらおらどうした?まだ全然進んでないぞ。俺は足を止めていいと言ったか?」


 悪魔は背から漆黒の翼を生やし、浮遊しながら進についていた。背後から声をかけられ急かされるが、体力の限界がきた進は立ち止まって息を荒げた。胸が破裂しそうなほど痛くて空気が上手く吸い込めなかった。


「ど、どうして、ぼ、僕は走って、はあはあ、走っているんだ?」

「それはな進、お前の体が太っていてだるだるだからだ」

「そ、それ、それが?」

「不健康で見るに耐えん。どれだけ動けるか見てみるつもりだったが、ここまでダメダメだとは思わなかったな」


 自分の体型が悪魔に願ったことにどんな関係があるのかと進は疑問に思った。しかし今は悪魔にそれを聞く体力もなかった。


「まずは生活習慣の改善からだな、リズムを整えて最低限の人間らしい生活を取り戻させる。なあにお前は成長期だ、ちょっと環境を整えてやればすぐ健康な体になるさ」


 ゲホゲホと咳込みながら息を整えた進、ようやくまともに言葉を発せられるようになり悪魔に聞いた。


「何故こんなことを?これがどうして僕の願いに関わってくるんだ?」

「直接的には関わってこないな」

「はあ!?」

「俺はお前の望みを叶えてやると言った。契約書にもそう書かれている。だが、俺が直接手を下すとは言っていない。やり方はこちらで決めると言ったはずだ」

「なっ!?じゃ、じゃあ僕にやれって言うのか!?」

「今のところ俺はお前にやらせるつもりでいる」


 進は怒りに任せて悪魔に掴みかかった。話が違うじゃないかと批難するつもりであったが、胸ぐらに掴みかかった悪魔が向ける冷ややかな視線にたじろいでしまった。


「あっ…うう…」


 気圧された進は手を離す。悪魔は掴まれた所をパッパッと手で払って整えた。


「進、お前悔しくないのか?」

「え?」

「お前から聞いた話、その中で出てくる小坂拓巳という男は相当なクズだ。しかしクズだが賢しい、自分の強みを把握していて立場も存分に使ってくる。いじめの当事者を増やして責任感を分散させた手腕もある。勝ち負けという尺度で測れるものではないが、悪魔の俺から言わせればお前は小坂拓巳に負けたんだよ」

「…クソッ!」


 悔しさを滲ませ拳を握りしめる進、悪魔から問われるまでもなく悔しい思いを抱いていた。恨みつらみは当然のことだったが、それ以上に強く刻み込まれた感情は悔しさだった。


 進と拓巳、実のところ当時はそれほど身体能力に差はなかった。不登校で引きこもり生活を続けていた今の進とは大きな差ができたが、まだまだ成長期途中の中学生だ、よほど特別な訓練でもされていない限り大きな差が開くことはない。


 図体と態度の大きさ、それらが与える威圧感の効果を拓巳は知っていた。誰から教わったことでもないが、自分に対する周りの態度から少しずつ学んでいたのだ。拓巳はそれらを賢しく活用できる図太さがあった。


「俺がすべてを終わらせてやるのは簡単だ。しかしお前はやり返すチャンスと、悪魔の存在という最強の後ろ盾を得た。どうせやるなら自分の手でやりたくはないか?」

「それは…」

「何も俺はお前に手を汚せと言いたい訳じゃあない。ただ下準備が必要だと言いたいんだ。進はやり方を俺に任せるという契約内容に承諾した。だから今は俺に従え」


 悪魔に頼めばすぐに問題が解決すると思っていた進は少々落胆した。悪魔が自分の思うような働きをしてくれないことへの落胆だった。


 召喚にこそ成功したが、ランニング中何度も唱えた悪魔を制御する呪文は効き目がなく、悪魔を操ることができなかった。進の思い描いていた悪魔はさっさと願いを叶えてくれるものだと思っていたので、随分想像と違う悪魔が来てしまったなと今更激しく後悔した。


「こんなことやってられるかっ!」


 そう一喝できたらどれだけよかっただろうか、しかし悪魔と進の実力には絶対的な差がある。悪魔は14歳のガキが太刀打ちできるような相手ではなかった。


「ほらもう散々休んだろう?そろそろ行くぞ。走らなくてもいい、代わりに腕を振ってしっかりと歩け」

「…はい」

「そう嫌な顔をするな、今度は俺も一緒に歩いてやるよ。お前の体に最適なペースを教えてやる。ちゃんと覚えるんだぞ」


 悪魔はそう言うと、自らの背に生えていた翼をパッと消して地に下りた。進と隣り合って歩き始めた悪魔は、絶妙なペース配分のウォーキングで進のことを引っ張って歩く。


 息苦しいランニングから、心地よい疲労を感じるウォーキングに変わったことで、進の体力にも余裕が出てきた。そして隣で一緒に歩く悪魔に進は聞いた。


「悪魔、あんたの名前を聞いてなかったな。なんていうんだ?」


 最初こそ敬語を使っていた進も、望み通り動かぬ悪魔を相手にしてすっかりと態度を変えていた。しかし敬語をやめた進に対して特段思う所もない悪魔は気にもとめず答えた。


「名前はない。俺は上位の悪魔じゃあないからな」

「んん?悪魔って名前がないのか?」

「格の高い悪魔には名前がある。ただし俺のような上級以下の悪魔が名前を持つことは許されていない、だから俺には名前がない」

「ふーん、じゃあさ僕がつけてやるよ名前。そうだな、悪郎あくろうってのはどうだ?」


 悪魔は進の提案を聞いて、目をパチパチとさせ驚いた。そして得気な顔で悪魔を見ている進に言った。


「話しを聞いていなかったのか?俺は名前をもつことを許されていないんだぞ」

「それは魔界の決まり事だろ?何かで見たことわざにあったぞ?確かええと、郷に…郷に入る?」

「郷に入っては郷に従え、か?」

「そうそれ!だからこれからは悪郎って名乗ればいいよ、改めてよろしくな悪郎」


 進にとってこの行為はただの意趣返しであった。悪郎という名前も「悪魔のクソ野郎」を縮めたものであり、多分に嘲りが込められていた。


 しかし悪魔にとって自分の名を名乗るという行為はとても重要なことだった。名付けの価値観が人のそれとは大きく違っていた。それを知らぬ進がサラッと決めた名前であったが、悪魔は微笑んで言った。


「悪郎、そうかいい名前じゃないか。進がくれた名だ、これから俺は悪郎と名乗ろう」

「えっ!?そ、そうかな?」

「少なくとも俺は気に入った」


 ふんふんと機嫌よく鼻歌まじりに歩く悪郎、そんな姿を見て進は罪悪感を抱いた。こんなに喜んでくれるならもっといい名前を考えてあげればよかったと思ったが、はしゃぐ悪郎の様子を見ていたらとてもではないが言い出せなかった。


 こうして名も無い悪魔は「悪郎」という名前を得た。これから先、名をもつことはないだろうと思っていた悪郎にとって、思いがけず手に入った大切な名前であった。

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