第3話 契約成立

 進の願いごとの内容を聞いて、悪魔は心底落胆していた。魔導書を使い悪魔を呼び出してまで願うことが人の死など、叶えることが簡単過ぎる上に、進が碌な魂の持ち主ではないことが目に見えていた。


「それがお前の願いか」

「そうです。できるだけ惨たらしく、そして屈辱的な死をあいつらに与えてください」


 その要望を聞いて更に悪魔は落胆した。この魂は悪魔が誘惑するまでもなく堕落しきっている、人の死を願うばかりか辱めた上で惨殺しろと要求する。まったく度し難いと悪魔は思った。


「お前が死を望むものたちは、一体お前に何をした?そこまで残酷な死を望むということは、さぞ深い理由があるのだろう?」


 悪魔からそう聞かれた進は、今まで自分が受けてきた仕打ちについて細かに語った。心に受けた傷を語り、それによってどれだけ自分が相手を恨んでいるかや、いじめた相手に相応しい死はどういうものかを激情をたっぷりと込めて語った。


 しかし進に言葉にどんどんと熱が入るほど、悪魔は逆にどんどんと気持ちが冷めていた。進の望む通りの惨たらしい死を与えることは、悪魔にとって容易なことだった。そしてその願いを叶えてしまえば、進の欲望は満たされてそれ以上堕落が見込めないことも分かっていた。


 仕事の内容が簡単過ぎる上に手に入る魂は小粒も小粒、これでやる気を出せというのが悪魔からすれば無理な話しであった。


「分かった分かった。もういい、十分だ。ではお前は具体的にどんな死を望む?」

「は?ぐ、具体的に?」


 悪魔の問いかけに進は戸惑った。具体的な方法など考えていなかったからだ。それは悪魔が考えてくれるものだと思っていた。


「例えばそうだな…、よし!こういうのはどうだ?生きたまま腹を引き裂いて内蔵を引きずり出す。それを口の中に入れて綺麗に元に戻す。これを死なぬように調整しながら繰り返すのだ、生きたまま内蔵を引き抜かれる苦痛と延々に終わらない屈辱を味わわせることができるぞ」

「ヒッ!そ、そんなことが本当にできるんですか…?」

「悪魔にとっては容易いことだ。どうする?四肢を落としてバラバラにくっつけ治してやるのもいいな。それか切れ味の悪い刃物でじっくりと肉を削ぎ落とし、それをそいつの両親が飲むスープに混ぜてやることもできるぞ。お前が望む屈辱的な死はいくらでも思いつくぞ?今すぐ実行してやろうか?どうだ?どうする?」

「あ、あ、ええっと、その…」


 悪魔から次々に提案される惨たらしい死の内容に進はたじろいだ、まだ14歳の少年に悪魔の提案の内容は残酷過ぎた。しかし内容や方法はともかくとして、進が悪魔に願ったことはそういうことなのだ。殺すだけに飽き足らず、その死を辱めろと悪魔に要求した。


 それがどういう形で実行されるのかを悪魔は進に知ってほしかった。本来そんなことをする理由など悪魔にはない、それどころかこれに怖気づいて進が提案を断れば堕落の邪魔になる行為であった。


 業績について叱責を受けたばかりの悪魔が取るような行動ではない。それどころか今の悪魔には自身の進退もかかっていた。このまま業績を上げられなければいつかは降格させられて、ついには最下級悪魔にまで落ちてしまう未来が待っていた。


 最下級悪魔の扱いは絶望的に悪いものだった。魔法を剥奪されるので人間界へと渡る手段を無くし、魂を持ち帰ることができなくなる。仕事をする手立てを失わされ、上の階級へ戻ることは一生叶わなくなる。


 そうして最下級へ落とされた悪魔は、気がおかしくなる程の長大な生を、他の悪魔の奴隷に身をやつして過ごすことになる。役立たずの烙印を押された最下級悪魔は、奴隷として散々酷使された後魔界の業火へ焚べられ燃え尽きて灰になる。


 悪魔を魔界の業火で燃やしたとしても何ら益はもたらさない、ただ不要で邪魔だからという理由で焼却される、理由はたったそれだけだった。無価値の存在だと最後まで唾棄され終わりを迎える、それが最下級悪魔だった。


 それでも悪魔は進に考えを改めさせるように促す発言をした。どうしてそうするのか悪魔にも分かっていない、ただどうしてかそうしたいと思ったからそうした。


 提案を受けて悩み、頭を抱えて考え込む進。悪魔は進の考えがまとまり発言するまで根気強く待った。そしてついに顔を上げて進が口を開いた。


「や、やってください…。それがどんな残忍な方法であっても、やはり僕はあいつらのことを許すことができない」


 いじめの主犯格拓巳の理不尽な言い分で辱められ、頼りになるはずだった教師たちからも見捨てられ、日和った結果いじめに加担した多くのクラスメイトたち。進はそれらを許すことはできないし罰を受けることを望んだ、復讐を否定するものは多くいるが、それでも進はやり返さなければ気がすまないのだ。


 答えを聞いた悪魔はため息をついた。長々と考えて出した答えがそれかと呆れた。ここまで言っても分からない人間の魂なぞ、どうせすでに堕落しきっているだろう。悪魔は進の願いを叶えるまでもなく、早々に始末してその魂を魔界へと持ち帰ろうとした。


 悪魔は進に向けて人差し指を立てた。それを横一文字に振り払えば魔法によって進の首が斬り裂かれる、ごとんと音を立て頭が落ちておしまいだ。何が始まるのかと困惑する進をよそに、悪魔は進の命を終わらせようとした。




 悪魔の手がぶんと振り払われた。しかしいつまで経っても首が落ちる音は聞こえてこず、進の表情は謎の行動を取った悪魔に対して当惑するばかりであった。


 途中で魔法を止めて悪魔は進を殺すことをやめた。殺す直前、堕落していると思っていた進の魂の中に、かすかではあるが輝く何かを悪魔は感じ取った。それ故魔法をかき消したのだ。


 堕落しきっていない魂を持ち帰っても仕方がない、むしろそれを業火に焚べると勢いが弱まってしまう、きちんと魂を堕落させる努力が必要だと悪魔は思った。


 他の悪魔たちも一人の人間にべったりと張り付いては、誘惑を重ね魂を堕落させようとしている、ならば自分もそれに倣うべきではないかと考えた。他の悪魔と同じよう上手くはできないが、それでも自分なりの方法を見つけるべきだと思い至った。


 進の魂を堕落させたとしても悪魔にとっては大した利益にも業績にもならない。だが上手くできないことを練習するには、進の存在は丁度いい相手だと悪魔は思った。


 例え堕落に失敗してもどうせ大した魂ではない、損失は軽いし経験は積める、自分にとっていいことずくめであることに気がついた。悪魔は何もない空間に手を差し込んだ、空間は水面のように揺れて悪魔の腕を肘まで飲み込んでいた。


 そこから一枚の用紙を引きずり出した悪魔は、それを進に渡してこう言った。


「契約してやろう。お前の望みを俺が叶えてやる、しかしやり方はこちらで決めさせてもらうぞ」

「ほ、本当ですか!?」

「勿論だ。悪魔にとって契約は絶対だからな。お前は俺の言う通りに動け、そうすればいじめっ子共に残らず復讐できるようにしてやる。これは俺との契約書だ、さあこれにお前の名前を書け」


 進は契約書に自分の名前を書き込んだ、そして名前の横に血判を押す。これで悪魔との契約は成った。進から契約書を取り上げた悪魔は、それをまた何もない空間へとねじ込んで戻した。


「契約成立だ。進、これで俺はお前の協力者となった。その魂は俺のものとなし、願いが成就した後には魔界の業火へ燃料として焚べられる。悪魔との取引や契約はそういうものだ、覚悟はできているな?」

「…はいっ!」


 進の返事は力強く、目は覚悟を決めた者の目をしていた。復讐に燃える強い意志が感じ取れる、それを見て悪魔は笑みを浮かべた。


「いい度胸じゃないか。仕返しの方法に悪魔との取引を選ぶような奴だ、そうこなくては俺も張り合いがない。お前は死ぬよりもずっと辛い目に遭うぞ」

「死ぬより辛いことはもう経験しました。誰よりも、誰よりもです」

「はははっ!そうだったな。では始めるとしようか、お前の復讐とやらをな!」


 悪魔は高らかに笑い声を上げた。進も釣られるように笑みを浮かべる、それには多分に強がりも込められた笑みであったが、これでやっと復讐ができるという期待も込められていた。


 名も無い悪魔と14歳の少年、奇縁に引き寄せられた二人はこの瞬間手を組んだのだった。

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