第2話 進の願い

 佐久間進は不登校児であった。そうなったきっかけは学校でのいじめである。通う中学校の生徒の一人「小坂 拓巳こさか たくみ」がいじめリーダー格になり、進のことを不登校に追い込んだ。


 拓巳は中学生にしては長身で体格もよく容姿も悪くはない、幼き頃よりサッカークラブに所属していて、地元の新聞に期待の選手として取り上げられる程度の知名度があった。拓巳の父親は地元の名士で顔が利き、小坂家と拓巳は小さなコミュニティで広く知られる人物たちであった。


 拓巳は体と声も大きければ態度も尊大だった。まだまだ成長期の子どもたちの中において、スポーツが上手くて体が大きく、地元で知名度があるというだけで一目を置かれていた。


 自然の帰結で拓巳はクラスのリーダー格になり、学年中からも支持を集めることになった。自らのことを恐れ敬い、恭順の意を示す者には明るく寛大で友好的な快男児に見えるよう振る舞う。一方で自分に対して少しでも不平不満を抱こうものなら、取り巻きを使って暴力を行わせ見せしめにするなど狭量でこざかしい性格をしていた。


 拓巳は自分のことを慕い群がる取り巻きたちから得られる優越感に浸り悦に入っていたが、当然クラスの中にもそれを快く思わず距離を置こうとするものもいる、進はその内の一人であった。


 本当に偉い訳でも権力者でもないのに、我が物顔で威張り散らす拓巳のことを進は心の底から嫌っていた。しかしだからといって自分から何かをするような度胸も力も進にはなかった。だからこそ進が貫いた姿勢は徹底した無関心であった。


 反吐が出るほど嫌いだが、その感情を差し向けるだけの価値がない。進にとって拓巳とはそういう他人だった。そうして拓巳から距離を置いて離し続けていた進だったが、ある時目をつけられてしまう事態が起こる。


 進は同級生の女子生徒「如月 紗奈きさらぎ さな」と、ある共通の趣味で気が合い接点を持つようになった。出会えば挨拶を交わしたり、ちょっとした談笑を楽しむ程度の仲ではあるが、自他が認める友人と称してもいい仲になった。


 しかしこのことが拓巳の醜い嫉妬心に火をつけてしまった。進を目障りな自分の敵であると認識させ、醜悪な敵意を向けるきっかけとなってしまったのだ。


 紗奈はクラスや学年、果ては学校の垣根すら越えるほどの美少女であった。品の良い可憐な見た目をしていて、男子生徒の誰もが一度は恋心を抱いてしまう、そんな存在だった。


 天真爛漫な性格で人当たりもよく、誰とでも別け隔てなく接することができる。そして気取るような態度を取ったりしないので教師からの評価も高かった。


 性格も容姿も飛び抜けて良い。紗奈は拓巳とは対極の存在であった。


 拓巳はその他大勢の男子と同様に紗奈に惚れ込んだ、そして積極的にアピールを重ねた。地位も力もある自分には相応しい相手だと紗奈のことを思っていて、自分は紗奈に選ばれて当然の人間だと自負していた。


 だが紗奈は拓巳のことを特別扱いしなかった。拓巳とはその他大勢のクラスメイトと同じように接した。紗奈にとって拓巳は特別でも何でもなく、むしろ過剰にすり寄られてちょっと迷惑する男子の一人であった。


 紗奈から袖にされたことで拓巳の独占欲は強まった。何としてでも紗奈を自分のものにしたいという歪んだ欲求が拓巳の心の中に生まれた。そうして目にしたのが紗奈と親しげに笑いながら会話をする進の姿であった。


 自分は紗奈に蔑ろにされたのに、拓巳にとってどうでもいいモブ以下の存在である進が紗奈と親しげにする姿を見るのは耐え難いものであった。許せない、認められない、妬ましいという感情に拓巳は支配された。


 拓巳はそれから取り巻きを使って進に暴力を振るい辱めると悪評を広めた。メッセージのやり取りができるグループを作り、そこへ進以外のクラスメイトを招待すると、取り巻きたちに進の悪口を書き込ませた。


 そして拓巳はクラスメイトに悪口に同調するように求めた。それは彼らにとって死刑宣告に近しいものであった。


 逆らえば次の標的は自分になる。進のことをよく知らず親しくもない人たちが、こぞって拓巳に同調するような意見を書き込んだ。よくないことだと頭で分かっていても、自分が標的にされることを天秤にかけて、進を貶めることに決めた。


 進は皆の保身のためにクラスから孤立し、居場所を失うことになる。いじめが最高潮に過激化する手前で、救いの手を差し伸べてくれたのは紗奈だった。


 拓巳はグループに紗奈を招待しなかった。それを見て嫌われたくなかったし、紗奈がメッセージを目にすればすぐにいじめが露見するだろうと予想していた。実際に紗奈は、偶然友人のメッセージを見かけるまで進がいじめられている事実に気がつくことができなかった。


 しかし事実を知ってからの紗奈の行動は素早いもので、すぐに多数の証拠を揃えると、数多の教師を巻き込んでいじめの事実を告発した。教師たちはいじめが顕在化し辛くなっているという現状を加味しても、自分たちが負うべき責任は大きいと解決に乗り出した。


 ただし担任の教師以外は、できるだけ表沙汰になるようにはせず内々での解決を望んだ。そうして行われたのは妥協と決まり文句だけの談合、見せかけだけの沈静化、やがて親が介入し「悪気はなかった。本人は反省している。将来のために大事にはしないでほしい」という要望を聞き入れるお粗末な結果に終わった。


 紗奈はそのことに憤慨する、しかしそれ以上は個人の限界もあって何もできず、有耶無耶にしたい大人たちの都合に飲み込まれた。結局根絶できなかったいじめは鳴りを潜め、水面下で続けられることになる。


 より深く潜ることで見つかりにくくなったいじめは進の心と体を蝕み、すっかり居場所を失った彼は自室へ閉じこもった。もはや閉ざされた空間にしか進の居場所はなくなっていたのだった。




 進は不登校のまま進級し中学二年生となった。何度か担任の教師が家を訪ねてきたがすべて突っぱねた。すべてを拒絶してのめり込んだのは悪魔召喚の術であった。


 インターネット上でたまたま見つけた情報に、悪魔は対価さえ用意できればどんな願いも叶えるというものがあった。進はそれからどうすれば悪魔を召喚することができるのかを調べ尽くし、一冊の魔導書へたどり着いた。


 進はショッピングサイトで捨て売りされていたその魔導書を買った。商品説明欄に本物と大きく書かれていたこともあり即決だった。商品が届くと急いで梱包を引きちぎり、強烈なカビ臭さにも構わず本を開いて目を皿にして読みふけった。


 悪魔を召喚する方法、そして制御する方法、対価に生贄として捧げるもの。必要なものや方法を書き出して準備を進めた。ただひたすらにある目的の為に邁進する。


 進の願いごとは、呼び出した悪魔に自分をいじめた者たちを、できる限り惨たらしい方法で殺害してもらうというものだった。進は自分のことを追い込んだすべての人が憎らしかった。


 引きこもり生活で淀んだ心には積もり積もった澱が溜まっていた。それはいつしか真っ黒にくすみ心を染め上げた。そして自分をいじめていた人間たちがのうのうと生きている世界を呪うようになった。


「準備はできた。よし、始めよう」


 誰が聞いている訳でもないのに進は召喚の儀式を開始する宣言をした。緊張して震える手を必死で抑えながら魔法陣を描き、たどたどしく呪文を唱えてから指にナイフを突き立てて自らの血を魔法陣に垂らした。


 魔導書に書かれた内容が正しければこれで悪魔を呼べるはずだ、進は逸る気持ちを必死に押し殺してその時を待った。


 すると魔導書に書かれていた通りに魔法陣が輝き始めた。そして進の目の前の空間がぐにゃぐにゃと捻れ曲がった。そこから足が、手が、体が、そして頭が空間から這い出るように現れた。


 進の部屋へ降り立った悪魔は腰を抜かして呆然としている召喚者に向かって言った。


「さあお前の望みを言え。契約と引き換えに俺がそれを叶えてやろう」


 悪魔召喚の儀式は成功した。しばらくは呆けていた進であったが、気を取り直して居直ると悪魔に向かって頭を下げた。


「僕をいじめていた奴らと、それに加担した奴らを殺してください!お願いします!」


 進は悪魔に願いごとを言った。それは自らの魂を売り払う行為であった。本当の対価が自分の魂であることを進は知らないでいた。悪魔は頭を下げる進を見下しながら冷ややかな視線を向けていた。

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