スクラップNo.50『改題済み:マツリカ号からの脱出』②
「ええと、これ、普通に撃ったらいいんです?」
死人を再度撃つなんて芸当、前職でも流石になかったモンだから、些か躊躇する。先輩は、フフ、とそれを鼻で笑って自分が手に持っている銃を指差した。まあ、馬鹿にしてるような仕草と言うよりは、微笑ましく見られているような仕草だった―いや、どちらかといえばそっちの方が嫌なんだけど―。
「あんなァ、言うてもそれ、銃弾が出るわけとちゃうぞ。マ、普通に撃ってみぃや」
と、促されるに従って、取り合えず絨毯の上ですっかり冷たくなっていた探偵の背に向かって、一発、発砲する。チュン、と軽く細い音がして、射出された黒いインクが探偵の背広にベとりと広がった。―さて、自分はこのインクがどういう風に働くかを知らない。…もしかしたら座学の時間に説明があったのかもしれないが、少なくとも自分の知識の中に執筆機関が作ったアイテムの情報はない。
「わ」
不意に、インクがじわじわと広がり始める。言うなればそれは意思のある黒いスライムみたいに、探偵の体をすっかり覆いつくしてしまった。
「このインク、なんやどっかの物語から持ってきたやつでな、元々は“異星人の一部”やったらしいで」
なんて、意地悪めいていわれたその言葉に、うへぇと顔を歪める。インクと名ばかりに、生体の一部だったのだと思うと、なんかちょっとぞっとする。科学の実験でもやってるような気分で、改めて死体を見下ろす。と、数回の瞬きの間に死体はすっかりと消えてしまった。
「んで、そいつを執筆機関が転用した」
同時に、血もインクも、始めから何にもなかったみたいに、部屋の中から消えていた。
「実際の効果は、このインクによって消えたモノにまつわる因果が、物語から消えるっちゅうことやな」
開いてみィ、と言われ、片手でウエストポーチを漁り、取り出したスクラップブックの当該箇所を開く。違和感にはすぐ気が付いた。
「今回で言えば、そもそもの“この列車内で殺人事件が起きた”っちゅう因果が、死体と一緒に消えた」
―タイトルが変わっている。
「……マツリカ号からの脱出?」
「おう、さっきも言うた通り、この物語はもう改題された―要は、当初とは別モンになったわけや」
「そんで、自分たちが主催者……ですよね」
この物語の主題は今や、推理から脱出へと挿げ代わった。この物語の登場人物たちは、皆一様に移動する密室へ閉じ込められ、それから手を取り合い、脱出を試みる。そうして彼らが無事にこの列車を降りたとき―物語は終結する。頭の中で、その一連の流れを思い描く。
「うんうん……結構いい感じのストーリーになりそうですね」
なんとなくの感想を口にすると、先輩は急にバッと顔を上げ、にやりと嬉しそうに口角を上げた。
「せやろ! こういう問題のある物語においては、どういう風な改変をするかは現地調査員の腕の見せ所やからな……しっかり学んどけよ」
ほら行くで、と愈々部屋を出ていった先輩の、その小さい背を慌てて追いかける。
最初に向かったのは、言わずもがな運転室である。如何せん、この列車には今から密室になってもらう必要があるので、まともに運転しては敵わないのだ。
「すみませんねぇ、運転手さん」
また、軽い調子で銃を撃つ。運転席の前に立っていたその男性は、やっぱり見る見るうちにインクへ飲まれて消えてしまった。それを横目に、先輩はずかずかと運転手の前方に座す機械群を眺め始めた。
「……あ~、この作者、流石に列車の詳しい知識まではなかったみたいやな」
「へえ―……ああほんとだ、なんかわかりやすいですね」
泥と沈んだ運転手を跨いで、先輩の隣に並ぶ。そこには、確かに想像していたよりずっとシンプルな操作盤があった。恐らくはこれで各部屋のロックを操作できるんだろうな、とか、このバーで速度調整してるんだろうな、とか、そういうのが素人でもわかる感じだ。
「ほな、ここでシステム関係は弄るとして……新人、お前通信機装着してるよな?」
「はい! 装備してます!」
左手でコンコンと耳に装着した受信機をノックする。先輩はそれを見止めると、じゃあ、と続けた。
「こっちで細かい設定はちまちまやっとくさかい、銃返して、ほんでお前これ持って車内に色々設置してこい」
先輩がこちらへ向き直り、両手をこちらへ差し出した。右手へ銃を押し付けて、左手の端末を受け取る。端末は、スマホみたいな外観をしていて、画面上には見慣れないアイコンが並んでいる。なんだったらアイコンの下に表示されている文字は、わかり得る限りでこの世のものではないように思える。まあ、物語産の物品なのだろうな。
「使い方とかは通信で指示するから、一旦それ持って―あ~……まずは食堂車行って貰える?」
「わかりました!」
大きい声で、やる気アピール。先輩は相変わらず苦々しい顔をして、溜息を吐く。
「自分ホンマに声大きいなぁ……」
「へへ、ありがとうございます!」
昔っから声の大きさには自信がある。お礼を言いつつ、運転席を後にする。
締まりかかった扉の隙間から、褒めとらへんわ、の声が一瞬聞こえた気がしたけど、それは聞かなかったことにする。掌の中の機械を見る。新しい玩具を手に入れた高揚感に、軽やかな足取りで食堂車へ向かった。
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