スクラップNo.14『さがしもの』②

「あ」


 ピチャ、とまるで犬が水を啜るような音が聞こえた。言われていた川はまだ結構遠くに見えていたんだけれど、これがうさぎの耳の能力か、と得心する。先輩もそれには気が付いたらしく、自分と同様に足を止めて音のした方へ視線を投げかけている。先ほどから、この世界には“余計な生物”が登場しない。例えば草原を歩いているというのに蝶は一匹も飛んでいないし、青空にもやっぱり鳥は飛んでいない。


「気付いてると思うけど、この物語ではストーリーと関係ない生き物は出てこんみたいやから……まあ、これは終結しなかった物語によくある特徴なんやけど……要するに、今あっちの方で暢気に水飲んでるんは……“野菜”って呼ばれてる連中で間違いないやろな……」


「あ~……念のため聞きますけど、野菜って動物なんですか?」


 麻酔銃を持ち替え、手汗をツナギの裾で拭って再度持ち直す。自分たちはこれから何と対峙させられるのか、そういう未知に対する恐怖がじんわりと背筋を伝う。相変わらず嘘くさいほどに爽やかな風が吹き抜けて、緑の匂いと、遠くの息遣いを運んでくる。


「―しかしまあ、進まんことには終わらんからな。―行くで、新人」


 溜息交じりの激励がすっと背を叩いてくれる。そうだ、行かなきゃ終わんないし、終わんなけりゃ残業だし。そうだ、あのバカでかい怪獣だってどうにかこうにか倒せたんだ。絵本の中の動き回る野菜くらい早々に仕留めて、ウサ山さんに美味しいディナーを作って貰おう。


「よォし!気を取り直して頑張りましょうか!」


 川へと改めて歩を進め、ぐっと両腕を突き上げて声を張る。同時に歩き出した先輩は、大袈裟に肩を竦めて横目にこちらをじろりと睨んだ。


「さっきも言うたけどな、お前声デカイて」


「いいじゃないですかァ、気合い入れるためですよ! 行きますよォ先輩!」


 その胡乱げな視線から逃れるために、ちょっと歩調を進めて先輩の前へ行く。開けた視界に、滔々と流れる水色の帯がずんずんと近付いてくる。まだ風は吹いていて、明るい緑をさわさわと揺らしていた。


 ―それから、どれほど歩いただろうか。川沿いを少し下ったところに木で出来た橋を見つけて、それを渡った。改めて奥の方を見遣れば、のっぺりとした山はすぐそこに見えた。そうなってくると、愈々ここが正念場だ。進むにつれ、獣のような息遣いは着実に近づいてきている。ウサ山さんからの説明を思い返しながら、スライドを引き、引き金に指を掛ける。


「……あれか?」


 それまですっかり黙り込んでいた先輩が、不意に潜めた声を上げる。先輩の後ろからより川下の方へと目を凝らす。一辺倒な水色の川縁に、確かに何かが蠢いている。逆光に当てられてぼんやりとした影のように映るそれは、それでも想像していた通り、野菜と言うにはあまりに大きな輪郭―流石に熊ほどではないが少なくとも自分より一回りは大きいサイズ―を描いていた。それもまあ、人参みたいな影もあれば玉ねぎみたいな影もある。


「やっぱり、流石に普通サイズの野菜、とはいかないみたいですね」


 銃を抱えて垂れ下がっていた腕を、スッと影の方へ掲げる。


「物語の中なんか理不尽なモンやで……っと、全部で何匹おる?」


 先輩も同じように銃を構えた。自分は空いてる手を瞼の上へ翳し、目を細める。


「うん、聞こえてる音と併せて考えても、全部で5体ですね」


 先輩の隣に並ぶ。両手でしっかりと銃を握り直す。


「……確か自分、前に入社試験の体力テスト1位やったとか言うてたな」


 的を見る。サイズは結構デカい。さっきまでの緊張がじんわりと外側の空気に溶けていく感じがした。


「はい、射撃なんか9割でしたよ」


 どういう理屈かはわからないけれど、この麻酔銃は連射可能らしい。ならいつもの練習と変わらない。動く的を撃てばいい。


「ほォ、ほな残り1割はこっちで拾うわ」


 一発目。


「お願いします」


 人参らしき影が大きく傾く。続けざまに二発目と三発目と撃ちこむ。不思議と反動も音も小さいが―多分それはこの物語があまりリアリティを持っていないからだ。水鉄砲でも撃ってるような軽さだった。―うさぎの耳への負担が軽くて済むのは助かる。


「ていうかこれ……、思ったんですけど」


 四発目―は外れたけど先輩の援護射撃で事なきを得る。


「あんなデカいのどうやって持って帰るんですか?」


 五発目。最後に撃ったのはたぶんじゃがいも。


「あ~……まあその辺は支給の便利道具で何とでもなるから」


 カレーかなあ、とかぼんやり思う。


「ズルいな~……ほら、自分9割当てましたよ! 自分ちゃんと強いし……ナップザック貰えたっていいのに……」


「アホ、5匹中4匹やったら8割やろ。それにナップザック欲しかったらちゃっちゃと独り立ちせェ」


 先輩はなんかぶつぶつ言いながらナップザックを前へ回し、ごそごそと探っては何やら取り出した。


「ビニール袋?」


 2Lのジュースとかを買った時に貰えるくらいのサイズの奴。


「おう、容量無制限、ただし使用者以外が持つと底が破れて全部出てくる」


「え! ウチってそんな便利道具作ってたんですか?」


 率先して野菜に近づく先輩を追いかける。近付くほどに、なんというか青果店みたいな青臭さが強くなる。少し観察してみたが、人参、ほうれん草、じゃがいも、玉ねぎ、なすが川辺に倒れていて、そのいずれにもクレヨンで描かれたような顔が張り付いている。両目はバツ印になっていて、なるほどしっかりと気絶しているらしい。


「ウチで造ったっちゅうんはちょっとちゃうな。基本的に装備品に含まれる特殊用具は安全性が確保された物語の中から拾って帰ってきて、増産してるもンや」


 先輩はまず人参の細長くなってる部分を袋の口に捻じ込んだ。そうすると、まるで吸い込まれるように人参は袋の中へ消えていった。そうやってすべての野菜はすっかり袋に収められた。


「……ちなみにやけど、たぶん新人には指示出てへんけど、こっちは常時そういう使えそうなモンを集めるように言われてんで」


 先輩はビニール袋を腕に引っ掛け、なんか妙に所帯じみている。しかしその手でひらひらと麻酔銃を軽やかに振って見せるものだから、ちょっとちぐはぐした印象だ。


「今回やと、取り合えずこの銃は持ち帰りやな。テキ屋の射的より扱いやすい」


 セーフティを掛けてから、先輩はそれをナップザックへ放り込んだ。ちなみに自分が持ってた分はちゃんと返却するようにと言いつけられてしまったけど。




「中々壮観ですね」


 ウサ山さんの家の前には、気を失った大きな野菜たちがずらりと並べられた。見ようによってはそこそこ凄惨な現場だ。ウサ山さんは先輩に呼ばれて家の前へやってくると、まあ、と歓喜の声を上げた。


「ありがとうございます、これでお夕飯に間に合いそうです」


 今から調理に掛かりますね、と朗らかに微笑むウサ山さん。右手には鋸、左手には大きめの金槌。視線をそっと隣へ逸らす。


「せんぱァい……これ、調理過程見なきゃダメですかね……?」


 先輩は頬を引き攣らせつつ、項垂れるように頷いた。


「ウン……まあ見届けやなあかんからな……」


 ―これも仕事だ。どこかしょんぼりしたような声で、なにかお手伝いしましょうか、と先輩がウサ山さんに問いかけた。まあ、ありがとう、そんなウサ山さんの声が能天気な空に響いた。




 机の上には、ほかほかと湯気だった食事が並べられている。調理過程についてはあまり語りたくはないものの、とにかくして何とか食事は出来上がったのだ。シチューにバケット、それとサラダ。それに、あとからやってきたウサ山さんのおばさんが持ってきた果実のお酒も並んでいる。自分たちも食事に招待されたが、それは丁重にお断りしウサ山さんとおばさんがいただきます、と手を合わせるのを見届けた。


「……これで終わりなんですか?」


 見届けて、そこで物語は終わったらしい。時間が止まったようにウサ山さんとおばさんは固まってしまい、湯気でさえその場から立ち昇ることもなく留まっている。


「おう、ここで物語は終結みたいやな」


 いただきます、の言葉で終わる。過程は随分滅茶苦茶だったが、終わってみれば暢気な物語だ。


「ほら」


 先輩は机の上を指差した。ウサ山さんの手元、サラダを取り分ける用の皿の上に、橙色の小さな立方体が一つ、転がっていた。そっと摘まみ上げてみれば、ガラスのように半透明なそれは、時折鼓動するように鈍い光を発していた。


「なんですかこれ」


「……あー……お前さ、なんか映像見る研修受けたことある?」


 先輩はふとそんなことを聞いてきた。ちょっと記憶を辿る。入社したての時に見たやつだろうか。


「はい、なんか見た記憶ありますね」


「どこまで起きてた?」


「なんか……さすまたみたいな武器がでてきたところかな……」


「はいはい……だいぶ序盤やな……。新人、スクラップブック出せ」


 なんだか不服そうな先輩に、ウエストポーチの中から取り出したスクラップブックを差し出した。すると先輩はかぶりを振って続ける。


「この物語の割り当てナンバーは?」


「えっと、確か14、ですよね」


「ほなそのページ開いて」


 片手に石を持っているもので、スクラップブックを持っている手だけでどうにか細かくページを移動し、スクラップNo.14の記載があるページまでたどり着く。


「そのページの上にその石―それは“物語の核”って言われるもんやな、それを置いて、んで一回本閉じて」


 言われるがままに、そのページの上へと石を置いて、一旦本をパタリと閉じる。妙なことに、本の間に何かを挟んだ時のようなふくらみは無く、寧ろ紙の間でなにか柔らかい果肉が潰されたような触感があった。


「ほなお前、アレや、なんか物語が終わるときの言葉あるやろ、何でもいいしそれ言うて」


 ええ、と一瞬狼狽したが、そういえば“終結の手順”がそんな感じだったなと思い出す。この手順を遂行することによって、物語が現実へ干渉する可能性を0に近づけることができる、とかなんとか。思い返しつつ、自分なりの言葉を紡ぐ。


「―めでたしめでたし」


 一瞬、本の隙間から橙色の光が漏れ出して、すぐに引っ込む。


「ン、ほなもう開いてええよ」


「……おお、凄いですね、コレ」


 スクラップブックの該当のページには、今回の物語の顛末が橙色のインクで簡潔に書きつけられていた。


 ―そうして、にひきはおいしいよるごはんをたべました。 めでたしめでたし。


 ページの最後では、そんな風に締めくくられていた。なるほどこうやって物語の終結を記すものなのかと感心する最中、先輩は隣でとっとと帰還ビーコンの準備を始めていた。


「後は帰って報告書提出するだけやから、お前ちゃんとまとめとけよ」


「え~、前みたいに先輩が書いてくださいよ」


 ビーコンの無機質な音が、時間の止まった部屋の中に規則的に響いている。


「あンなあ、終結の手順を遂行したヤツが報告書作るんが基本や。ちゃんと覚えとけ」


「……はァい……」


 実のところ、細かい書類業務が苦手なもので、がっくりとする。


 ―が、ふといいアイデアが降って湧いて、ばっと先輩の方を振り返る。


「先輩、この後メシ行きません? なんかシチュー食べたくなっちゃって」


「あ~……まあ確かにな」


 先輩は荷物をまとめてナップザックを背負い直した。


「ほなご飯行こか、まあ初仕事祝いってことで」


「え、前回のは?」


「アレはノーカンやろ。検閲機関の再調査と執筆機関の改変終わったらもっかい行かなあかんからな」


「まあ、それもそうか」


 自分もウエストポーチにスクラップブックを仕舞って、帰還の準備を整える。


「―晩御飯奢ったるけど、そんな高いモン奢れんからな。近くの洋食屋な」


 転送が開始される。暗がりに落ちていく中で、ありがとうございます! とめいっぱいの声量で伝える。―後から先輩に、めっちゃ響いて頭が痛くなった、と苦情を入れられたけど。




スクラップNo.14 『さがしもの』の報告書


うさぎの耳が生えました。


野菜を倒して持って帰った後、解体してご飯作りました。

美味しそうでした。


たしか先輩が銃を持って帰ってます。


その後シチューとかができて、うさぎ2匹がいただきますをしたところで終わりました。


[受理不可: 上官に確認の上、書き直した報告書を再提出してください]

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